うたのひろばー津田沼

384452da.jpg日曜夜の「99年の愛」をときたま、涙を流して見入った。第4話を見逃したが、最後はハッピーエンド。平松家の幸せは一郎さんの戦死でもたらされたのね。日本に帰された姉妹がどちらも戦争の激戦地であった広島と沖縄のおばさん宅に預けられ、かわいそうでたまらなかった。「蛍の墓」もそうだけど、なんでおばさんたちって自分の兄弟の子供にあそこまで意地悪できるのか、と。自分が食べるだけで精いっぱいになるとあのようになるのかしら?自分は甥や姪にあそこまで意地悪できないと思うのだけど。

きのう昼は津田沼の公民館でうたのひろば。小さいホールに椅子をいっぱい広げて出してほぼ満席。年配のおばさん多数、おじさんも大きな声で歌った。夜継母のお通夜なので会場に喪服を着たまま参加した。

曲は休憩をはさんで約20曲。「故郷」(ふるさと)から始まり、「野菊」、「誰もいない海」、「思い出」、「枯葉」、他10曲をアコーディオンの伴奏で歌う。

後半の曲に谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」という歌を6番まで歌った。歌の指導をしてくださったないとうひろおさんは「武満徹さんは日本ではあまり知られていない作曲家だが、世界の人気はすごい、彼が亡くなった時、日本の新聞はたった一行だったが、ニューヨークタイムズには全面ページに掲載された」という話しを聞いた。

それで思い出したが、私がニューヨークに住んでいた時のアメリカ人の友人、ハロルドが武満徹の大ファンだった。私も武満さんの名前を知らなかったがハロルドから初めて知った。今度アメリカへ行く時は武満さんのDVDを彼にお土産に持って行ったら喜ぶと考えていたら2年前に彼も亡くなってしまった。そんなことを思い出した。

後半は「河は呼んでいる」、「小さな喫茶店」、「帰れソレントへ」、「故郷を離るる歌」など他多数の歌を2時間目いっぱい歌った。

誘ってくださったNさんはいつもはアコーディオン伴奏をするがきのうは一緒に歌う方の立場だった。その後、妹と待ち合わせする時間までお茶していろいろお話できた。

夜は通夜会場の松戸へ妹の運転で向かった。娘である私たちは喪主をせず、継母の甥が喪主を務める葬儀会場へ複雑な思いで向かった。

熟年カップルの来客

53789dde.jpg5829d47b.jpg友人のFさんが交際している彼女を紹介したいので我が家に来ると数日前連絡あり、日曜午後待っていた。ところが昼になってもなかなか来ない。都内杉並から車で我が家に到着したのが午後2時だ。我が家近辺のいいレストランは午後2時がラストオーダー。結局新検見川に近いマンマパスタなら11時から夜通しやっているのでそちらへ行った。ここはピザを石窯で焼いている店だ。パスタもボリュームあっておいしい。家に来るのだからほんとうは手料理でもてなすべきなのだが、料理するエネルギーはないのでレストランへお連れすることにした。

このおふたり共にバツ2バツ1同士。彼女には小学生のお嬢さんがふたりいる。彼女手作りのおいしいチーズケーキをもってきてくださった。夫とFさんは初対面で話しが合うかどうか心配していたが、けっこう政治の話しや世間の裏話などで盛り上がっていた。遅いランチ後、我が家に寄ってもらい、いただいたチーズケーキでお茶してさらにいろいろ話しをした。ふたりのお嬢さんが待っているというので夕方彼の愛車、セルシオで帰っていった。

たまには初対面の人同士、楽しい会話とランチで仲良く盛り上がり、いい日だった。

ところがランチの真っ際中、妹から携帯に電話。父が再婚した私たちの継母が日曜朝亡くなったという。今夜がお通夜、火曜昼が告別式だ。この母とはいろいろあって松戸のグループホームに入ってからこの数年交流もなかった。今夜はあちらの親戚たちと数年ぶりの顔合わせ、とっても憂鬱。

11月6日尖閣諸島侵略糾弾するデモに4000人集結

「株式日記と経済展望」というサイトにマスコミには報道されていないニュースが載っていた。

11月6日土曜に尖閣諸島侵略糾弾するデモに4000人が日比谷野外音楽上に集結し、有楽町から東京駅までデモ行進したという。これ、マスコミはまったく報じない。参加者には子供も居た、車椅子、主婦、お年寄り、若い女性。確実に広がる抗議の声だったそう。尖閣問題-の政府への抗議 中国の侵略抗議 北朝鮮への拉致抗議 チベット・ウイグルなど中共の侵略への抗議も。

今回の集会で小池百合子元防衛大臣がトップで登壇、田母神俊雄、山田 宏、西村眞悟、ペマ・ギャルポ他の話を熱心に聞き入る3500人の聴衆。中に入りきれない聴衆が外に溢れたそう。集会の後、日の丸を掲げてデモ行進、沿道からは拍手が沸いたという。今回のデモで特徴的なのは、ネット世代の若い人の参加が多くなった事だという。ネットのおかげでデモの呼びかけも楽に出来るようになったし、組織が無くても呼びかければ自然発生的なデモも行なえるようになったことだという。

このサイトのブログ主さんが詳しくこの集会のことを映像と一緒に書いている。
「『頑張れ日本!全国行動委員会』は田母神氏が呼びかけているように、自主防衛と核武装を訴えている。しかし当面はアメリカと手を組むしかないだろうと言う事であり、アメリカに防衛を依存しすぎる事は危険だ。これは日本だけではなくアジア諸国やオーストラリアやニュージーランドにもいえることだ。だから彼らと集団安全保障的な枠組みを作るべきだろう。」

売国政府や売国政治家には任せておけない日本人が徐々に立ちあがっている。それにしても漁船衝突ビデオ流出で犯人探しにやっきになっている民主党、他にやることあるだろうに。

愛犬の美容院

39573c9a.jpg2ヵ月ぶりに愛犬の美容院へ。2ヵ月経つと足先の毛がもじゃもじゃと伸びてきて雨の日など足が濡れて大変。土曜11時に予約して3時にお迎え。お迎えに行くとふたりの若いトリマーさんにまだ毛を切ってもらっていた。待合室でしばらく待ったら、きれいでいい香りを振りまきながらしっぽフリフリ出てきた。

迎えは長男がちょうどサーフィンから戻ってきていて車で行ってくれて助かった。送り迎えも幼稚園児並みに大変。ひとりで帰ってこい!と言いたいくらい。家に着くと近くの緑地で排泄させてから家に上がると疲れてクタクタよ、とソファの一等席で寝てしまった。

きのうは夫は大学の同窓会で午後から出かけ、私と長男は土曜にしては珍しく家で食事。二男は土曜出勤で夕食はいらないという。私は冷蔵庫の残り物で済ませてしまった。

連続テレビドラマ「99年の愛」の続きを見ようとしたら、私の大嫌いな野球が延長戦になっていた。30分くらいで終わるかと思ったら、まだ続いていて結局寝てしまい、録画もせず、きのうのドラマはミスってしまった。、あ〜、残念。再放送されるといいのだけど。

北方領土

読売新聞夕刊に「よみうり寸評」という小さなコラムがある。きのうの夕刊のコラムに注目した。このブログに訪問する人たちにも知ってほしいので紹介したい。

「終戦直後の1945年9月、ソ連兵が侵攻してきた国後島から、不動産の所有権を証明する登記簿を命がけで根室に持ち帰った人がいた。当時の根室区裁判所国後出張所に勤務していた浜清さんだ。引き揚げのための船探しに奔走し、紙切れ一つ残さず船積みした。17年後法務省の刊行物に思い出をつづっている。裁判所から引き揚げの許可が届かない中で、『根室に移すほかない』と自ら決断した。それが災いし、根室に到着した当初、『出張所の無断閉鎖は許されず、沙汰を待て』との扱いも受けた。65年間も不法占拠が続く国後島を今月1日、ロシアのメドベージェフ大統領が訪問した。日本側の中止要請は無視された。駐ロシア大使は一時帰国し、北方領土を巡る日露の緊張は近年になく高まっている。一人の職員の機転で難を逃れた登記簿は今、釧路地方法務局根室支局で保管され、再び利用される時を待つ。浜さんが決死の思いで渡った海。元島民やその家族が自由に行き来できる日が来ることを願う。」

ロシアに不法に占拠された北方領土にこんな日本人の努力があったという話しに心温まる、現実はまだロシアの領土。尖閣諸島も竹島も日本のまわりの国にどんどん取られてしまいそうな事態だ。まるで泥棒国家。それになにもできない日本政府にいらだつ。日本はなめられているのよね。


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