2009年08月16日
最高裁判所裁判官に対する国民審査
来たる8月30日に衆議院議員の選挙があるが、その時、最高裁判所裁判官の国民審査があることはあまり知られていない。毎回裁判官リストにバツをつける紙を渡されたが、なにもわからず白紙で出すことが多かった。現在特にネット情報からマスコミでは知らされることのない情報が多くなり、裁判官に対して国民が抗議をするまたのない機会だと思う。
植草元教授が有罪で今服役しているがこれを国策捜査と言われる情報があり、元外務官僚でやはり留置され国策捜査と言われている佐藤優氏に対して有罪とした裁判官にバツをつけてという。この裁判官の名前は竹崎博充、那須弘平、近藤崇晴、竹内行夫氏ら4名。
最近有罪であったのが新しいDNA鑑定で無罪となった足利事件、同じDNA鑑定で有罪となったが、一貫して無罪を主張していた飯塚事件の久間三千年さんは昨年秋に死刑執行されてしまった。これもまだ無罪と判定されたわけではないが限りなくこの死刑判決は疑わしい。こういう事件の判決を地裁・高裁の判決を支持してしまった最高裁判所裁判官に対しても抗議をし、バツとつけ、猛省を促すことは国民としてこの国民審査以外にはない。
高知白バイ事件の判断を下した最高裁判所裁判官は津野修、今井功、中川了滋、古田祐紀。このうち津野修氏の名前が見たらないのは退官したのかもしれない。
飯塚事件の裁判長は滝井繁男。
人の一生を台無しにし、家族も加害者ということで苦渋の人生を味わう、人間間違いはあるかもしれないが、もっと慎重にこのような冤罪や国策捜査などに関わる裁判官にはせめて徹底的な審査と判断を仰ぎたい。
2009年08月15日
終戦記念日に父を想う
今日は終戦記念日、といっても私も戦後生まれで戦争を知らない。父は私が18歳の時、腎臓を患って亡くなった。47歳だった。今思うとずいぶん若くして亡くなったものだと思う。大正生まれの父もやはり戦争に狩り出されていた。父が戦争に行った場所は中国だった。軍服を着た父が親族に囲まれて撮ったセピア色の写真が残っている。結婚間もなく中国へ渡ってしまったが、気丈な母は父を追い掛けて満州までひとりで行ったそうだ。その間、着物が入った行李など荷物はすべて盗まれてしまい、着の身着のままで行ったそうだ。
戦後父はよく戦争の時の話をしていた。集合の号令がかかったら足を巻くゲートルが盗まれてなくなっていた、とか、銃撃戦では皆横に逃げた者は撃たれてしまったが、縦に逃げた父は助かったなどの話をよくしていた。昭和45年8月の今日終戦となったが、その3ヶ月くらい前に市谷の軍本部から日本に戻るよう命令があり、終戦を満州で終えることがなかったので父はシベリア送りなならずに済んだ。もしかしたら、軍はすでに終戦間近を知っていて呼び戻したのかしら?とは私の憶測だが。この時戻っていなかったらシベリア送りとなり、命を落としたか、あるいは何年も経って戻ったとしても私は生まれていなかったのだ。父は運が強い人だと思った。
夫の父も運の強い人だったようだ。義父が送られていったところは南方のラバウルだった。ほとんどの人は餓死やマラリアで亡くなり、義父は生き残ったの数人のうちのひとりだった。日本に戻り、昭和25年に夫が生まれた。義父は十数年前に病死した。群馬の館林で夫の母と平和に暮らした。
私の母が今年の2月に亡くなり、病院へ見舞いに行った時、満州へ行った話などしていたが、もっと詳しく聞いておけばよかったと思った。私たち世代の親たちは皆戦争を体験している。このままいくと戦争の体験話を聞くこともなくなってしまうだろう。戦争だけは二度としてほしくない、と思う。
2009年08月14日
ゴミ置き場の片付け
隣りのケアハウスの事業用ゴミ収集にきたおじさんが笑顔でありがとう、と目線でくれた。
それにしてもこのゴミの山には折り紙や紙おむつ、明らかに子供のいる家族のゴミだ。こんなゴミの出し方をする親に育てられる子供はまた無分別にゴミを出すのではないか、と危惧する。
この地域はこの秋から週3回の燃えるゴミ収集を週二回にし、今まで月2回の資源ゴミ収集を週一回にするという。けっこうなことだ。最近は資源ゴミの方が多くなり、家の中に2週間ためておくのも増えて大変だからこの新しいゴミ収集には賛成だ。
ゴミの片付けを終えたら、犬の散歩だ。片手に犬のウンチバッグとゴミ袋をもち、公園までにある道路のゴミを拾って歩く。公園に着くと、公園内のゴミ拾いだ。この夏の時期は特に前夜にやったと思われる花火の残骸が多い。みるみるゴミ袋がいっぱいだ。公園の外にあるゴミ置き場の収集が遅いのでそこに拾ったゴミを出していけるので家まで持ち帰らないで済むのがありがたい。
こうして毎日ゴミ拾いして歩いているのに翌日またゴミが落ちている。公共の環境をよくする教育をしないとだめだなあ、と思う。最近駅や公共施設で禁煙となり、路上喫煙が増えている。たばこ飲みに聞いてみたいのだが、すい終わったたばこを路上にポイ、空になったたばこの箱も路上にポイする、どうして駅や家に着いてからゴミ箱に捨てられないのだろうか?一本でも残っていれば服のポケットに入れているのに空になった途端、ポイだ。路上のゴミに一番多いのがたばこの吸殻だ。歩いて捨てるばかりでなくて、車から捨てる人も多い。自分の車の吸殻入れはきれいにしておきたいのに路上に捨てるなんてもってのほかだ。火がついたままの吸殻も多いのだ。
我が家の子供たちには絶対にポイ捨てはだめ!と小さい頃から教えてきた。だから家に帰るとズボンのポッケに菓子の空きパックや自転車のカゴに空のペットボトルが必ず入ってある。路上に捨ててない証拠だ。小さいうちから教えていけば、必ず路上に捨てない子に育つと思う。
2009年08月13日
家の修理
パソコンの調子が悪くて書くと電源切れてしまう。もう5年は過ぎているので買い替え時だそうだ。耐久年数が年々短くなっているような気がする。
このところ電気釜とアイロンを買い換えた。冷蔵庫は改築してからもう16年だからずっと使っているので今年の猛暑あたりに壊れるのではないかと気が気でない。数年前夏の暑い真っ盛りに居間の冷房が壊れて大変だった。食事作りや食事したり出かける支度したり、と一番長く過ごすところだ。涼しい季節などには決して壊れないものだ。そういえばお風呂が壊れた時は寒い時期だった。子供たちは一日もシャワーパスできなくて寒い時期に冷たいシャワーを浴びていた。幸い二日ほど我慢して取り替えてもらったからよかったけど、20万円もかかってしまったものだ。
家も16年も経つとそろそろ手を入れないと長持ちしない。業者にきてもらって屋根と外壁、屋根裏部屋の壁と壁紙の張替え、足場を作ったりで二百万円ほどかかる。こういう出費は痛いけど、手を入れないと益々家もひどくなり、長持ちしなくなるから仕方のないことだ。
お盆休みのせいか、我が家の近所もみな留守のようで、ひっそりし、ワンコの散歩に出かけたらゴーストタウンみたいで寂しかった。みんな帰る実家があるようでうらやましい。我が家も夫も子供たちもお盆休みで家にいる。そうなると忙しいのは主婦の私だ。朝から三度の食事作りにうんざりだ。でも長男は今朝から会社の同期のところに泊まるといって京都へ出かけた。地震前に切符を手配しておいたから往復指定で行けると聞いて安心した。ひとりでもいないと楽だ。
2009年08月11日
会社の管理
実際、彼の会社は営業による車の事故がかなり多いのだそうだ。彼は入社して3年、多少の駐車違反や右折禁止を知らないで入ってしまったような違反はいくつかあるが、無事故である。でも同期の社員はけっこう事故を起こしているという。そういうことで会社はこのようなシステムを導入したのだ。
しかし、あまりの管理はどうなのだろうか。夜中まで叱責して帰宅してから3度も謝罪文の書き直しをさせられ、寝たのが明け方の3時だ。そんなに時間をかけて叱責しても返って寝不足で事故を起こしやすくするのではないか、と親としてはいらぬ心配をする。謝罪文を読ませてもらったが、まあ、妥当じゃないの、と思ったが、上司が彼が書いた謝罪文を気に入らぬようで何回も書き直しだった。夫に言われせると(うるせえなぁ、めんどくさい)という気持ちが文面に表れるのが上司にはわかるからではないか、上司が言うとおり気持ちがこもってない、ということだ。
このような会社による管理と叱責を目にしてJR西日本によるマンションに脱線激突した福知山線事故を思い出す。あの事故もj管理による原因が問われた事故だった。営業の車はお客を乗せているわけでないので数百人の犠牲者を出すことはないが、道路では他の車や歩行者を巻き込むことだってあり得るからやはり要注意だ。
きのうは叱責されて帰りはのろのろ運転できたので後ろに数珠つなぎの渋滞を起こしたと言っていた。それはちょっと過剰ではないの、迷惑だよ、と注意した。このような管理がいやなら転職するしかないでしょ、と親が会社を辞めろ、と過激なゲキを飛ばした。でも次のところを確保してから辞めるのよ、と。実際昨年あたりから転職活動はしているようなのだが、仕事の拘束が長いのでなかなか思うようにはかどらなかったのだ。
会社によるこのシステムが効果を産むのか、数ヶ月後の報告を聞いてみたいものだ。