考えてみるとガンで逝った友人が多い。この友とは老後の果てまで仲良くしていきたいと思う価値観の合った友が皆先に逝ってしまった。

独身で華やかな交友関係をもっていたK子は子宮がんで亡くなった。42歳で壮絶な最後だった。彼女とはヨーロッパや今のクロアチアに当たる旧ユーゴスラビアも一緒に旅した。彼女は亡くなったが、彼女を通して知り合ったクロアチアの友始め他の友人たちと今でも交流し、貴重な友を残してくれた。

次に亡くなった友人は乳がんだった。彼女には重度の障害児がいた。有名外資系企業の役員秘書として長く働き、障害児が生まれた時に働き続けなさい、と言ったのも彼女のアメリカ人上司だったという。施設に入っていて週末になると車椅子の出し入れが便利というベンツを運転して迎えに行き、自宅で一緒に過ごすのが唯一の楽しみだった。私の長男と1週間違いの生まれなので重度で寝たきりの息子が健康だったら今はどういうことができるの?とよく聞かれた。お産で脳に酸素がいきわたらず、障害を負ってしまった直後、ご主人とも離婚し、母親の援助も受け、育てた。その母親も数年後乳がんで手術、3年後に転移して亡くなってしまった。自分だけはこの子を残して死ねない、とそれはそれは注意して健康診断も受けていたのに母親と同じ乳がんを患い、3年後に帰らぬ人となった。お子さんは東京都下の施設に預けられていると聞いていたので亡くなってからいくつかの施設に電話して聞いてみたが、わからなかった。家族はお兄さんがひとりいらしたが私とのつながりもなく、消息はわからない。お子さんが不憫で自分が大事な友を失ったということより、お子さんのことでどうしてやることもできないことに泣いた。彼女も40代半ばだった。

次に50代半ばで逝った友の死因は肺がんだった。彼女を取り巻く友人たちの中で私と価値観を共有する大事な友だった。独身、やはり外資系企業で人事課長までやったやり手のキャリアウーマンだった。ホスピスに入り、最後に見舞った時は目も開けられず、彼女のお姉さまが私がきてくれたと耳元でささやくと閉じた目をぐるぐるとまわして反応したことが忘れられない。

もうひとり残念に亡くなったのは働く親たちの会を創立当時から一緒にやってくれたJ子さん。彼女がいなかったらこの組織もなかっただろう。私も含めてどれだけ多くの働く親たちが助けられてきたか。彼女が残してくれたこの活動は今も後輩たちが活動を続けている。

皆それぞれなにかを自分に残してくれた。自分が逝ったら今の友人たちになにを残せるのか、と考えてしまう。