住まいが決まるとアパートの家具や電気製品のレンタル、それもひととおりのパッケージプランというものがあり、その中にアイロン台や炊飯器なども含むそうだ。炊飯器などかなり古い製品でびっくりしたが、炊いてみたら、ご飯がとってもおいしく炊けた、と言っていた。ベッドもレンタルしたら大きなダブルがきてびっくりしたそうだ。家具付きのアパートもあるのだが、彼女はレンタルを選んだそうだ。
私が始めてNYに行った1970年代は最初の数週間は安いホテル住まいだった。アパート探すのだってひとりで大変だった。結局国連勤務のイギリス人がルームメートを探しているということを国連スタッフの掲示板で見つけて面接し、気に入られてようやく入居した。アパート代はふたりで折半だ。NYでは当時は治安がとても悪くて安ければどこでもいいというわけにはいかなかった。とにかく命が一番大事だから。それでアッパーイーストサイドというマンハッタンの東側で特に白人ばかりが多く住むところを選んだ。でも安いからドアマンはいない。ドアマンのいるアパートに住みたかったが予算オーバーでとても払えない。
入居してまもなく近所の一人住まいのスチュワーデス、今ではフライトアテンダントというがストッキングを首にまかれて殺されたという殺人事件が起きて震撼としたことを覚えている。それにやはり近くのイタリアンレストランでお肉屋さんの業者がマフィアに銃で撃たれて4人死亡というショッキングなニュースも。マフィアが狙っていた4人は席を替えて奥の席に移動し、空いた席にお肉やさんが座っての悲劇だった。とにかくそういう事件が後を絶たない時代だった。NYをひとりで歩いているといつも後ろを振り返り、安全を確認していたものだ。日本に帰るとどんなに夜遅くても命を狙われる危険はあまり感じないでいられる。水と安全はただという日本はほんとうに安心な国だ。最近はどうも治安も悪くなってきているようだが、それでも日本は他の海外の都市に比べて安心だと思う。
ジュリアーニ市長が就任してからNYはめざましく安全な都市になった。でももうNYに住みたいとは思わなくなった。年取ってきたせいかも。