remmikkiのブログ

2009年08月

きのうの選挙で国民審査によりバツをつけた最高裁裁判官たちの罷免は全員されず、という報道を今見た。「罷免されるべき」という意思を示すバツ印が過半数を超えないと罷免されず、対象の9人のうち過半数となった裁判官は一人もいなかった、とのこと。バツ印が最も多かったのは涌井紀夫氏で有効投票の7.73%にあたる517万6090票だった、という。

517万人の人がバツ印を付けたとはけっこうな数ではないか。それでも過半数となると有権者数の半分以上では千万人以上となる、これはほとんど不可能ではないか。

今回私も最高裁で植草元教授や佐藤優氏の上告棄却をした裁判官4名に×をつけたが、罷免にはならずだった。罷免することってよほど国民的事件でもない限りほとんど不可能ではないか、と思った。

結果を聞いてなあんだ、と思った。

衆院選挙が終わった。昨夜から続々と民主党議員の当選確実が報道され、朝起きると自民党大物議員が次々と落選するという結果となった。

小泉チュルドレンも落選多数、前回の選挙とまったく逆の結果となったのは、やはりこの4年間の庶民を苦しめる政策ばかりが取られた結果ではないだろうか。自民党政治家は企業の方ばかりを向いた政策ばかり、高齢者や母子家庭など弱者がさらに苦しめられる政治ばかりだった。

だからといって民主党を支持している人たちが民主に入れたことにはつながらないと思うので民主党おごるなかれ、だ。自民にはいったん降りてもらい、他の政党に任せてみたい、という有権者も多かったはず。民主党はこれからが正念場だ。これでまた有権者に見限られるような政策をしていくと次回の選挙ではまた負けることになる。

自民党の政治家もこれを機会になにが問題だったのか、よく考えて次に臨んでほしい。

それにしても小泉さん、ほんとうに自民党をぶっ壊してくれたわね。

家の改築工事がいよいよ始まる。新築して16年になるので屋根や外壁の塗装などやらないとこれからもっと劣化が進むというので始まるのだ。3社から見積もり取った。

きのう家のまわりの足場の組み立てに若いお兄さんが3人きてくれた。この暑い中、よく働いてくれた。9時にきて3時過ぎには足場の組み立ては終わってしまった。昼前に冷たい飲み物を出し、3時にはロールケーキと冷たい飲み物を出し、帰りに水のペットボトルを3本もっていってもらった。笑顔のいい働き者のお兄さんたち。ニートだひきこもりだという世の中、こんなに働く若者がいるのだなあ、と思った。

しばらく布団も干せないし、洗濯物も塗装の合間を見て干さないとならない。

自宅のパソコンのメール受信ができなくて、朝から大変だった。パソコンが動かなくなるともうパニックになる。家族で選挙に行ってからウイルス対策のせいかと思い、そちらに電話していろいろと探ってみたがウイルス対策のせいでない、とわかった。それから今度はプロバイダーに連絡、ようやく迷惑メール防止対策が原因とわかった。午後になってこの1週間パソコンに受信できなかった友人たちに送信してもらい、ようやく解決。やれやれだ。

しかし、この1週間受信できなかったものは保存されておらず、返信なかったら、読んでいない、と理解してほしい。これからようやく元のメール交信がでできるようになり安心した。

きょうも東京地裁で傍聴だった。「著作権確認等請求事件」。今回はあえて名前を出す。本人も名前を出すことを希望している。16年裁判で争ってきた広島の原敏恭さん(71歳)。

彼は55歳の時、31年間勤務してきた、広島にある一部上場企業、中国塗料株式会社を強引に辞めさせられる事件が起きた。彼が築いた船舶情報管理システムを業務委託し、独立して子会社の社長をやれ、という経営者の話に乗り、退職届けを出したとたん、そんな話はしていない、と言われ、会社を追われてしまったのだ。彼は会社経営陣による汚い方法で31年も勤めた会社を追い出されてしまった。この話を聞いた時、これは「詐欺による解雇」だ、と思った。退職届けを出したのだから「解雇」ではない。それで彼は弁護士に依頼し、契約不履行事件として広島地裁、大阪高裁、最高裁へと争った。結果はすべて敗訴だった。それは自分のいた会社の経営陣から言われたことだから契約や約束事を文書にしていなかったのだ。言った言わない、それも経営陣皆が口をそろえてそんな話はなかったと法廷で証言すれば、証拠がない限り、勝てるわけはない。裁判は証拠主義なのだ。

会社は人をだまし、31年勤めた会社を出された原さんは怒った。持家のマンションも売り払い、退職金も裁判費用に充て、二か月に一度、広島から東名高速を使わず、一般道路を2日間かけて東京地裁にきた。東京地裁の前が自分の法廷だ!とビラを配り、抗議活動をしてきた。東京地裁へ来る前に朝8時から都内の東京本社前でもマイク片手に出勤してくる社員にビラを配り、自分はこんな卑怯なやり方で会社を追われた、と抗議活動をしてきた。

「日本の民事裁判は世界の恥、日本の恥部、ますます悪くなる民事裁判」と訴えている。「判決は裁判官次第、民事裁判では勝てる方程式はないに等しい。裁判官は強い者、大きいものが正しいと判決する。個人や弱い者の味方の裁判官は少ない。判決は自分を評価するところを見て下す。弱い個人は控訴、上告、再審があると思うな。今の民事裁判は一審制。控訴してもすぐに結審、判決を言い渡す。間違った判決を変えようとしない。2年で3人替わった裁判官。事件の引き継ぎもなく、常にゼロからはじめる後任裁判官。民事裁判官は適当な和解案で和解させる仕切り屋・談合屋。最高裁に訴えても棄却定文で終わる。堕落の元凶は最高裁!今の裁判制度では社会・生活常識のない出世だけを考えたずさん・無責任裁判官しか育たない」と手厳しい抗議をしている。彼が抗議している地裁前の道路では裁判経験のある一般庶民が私も同じ体験をした、と何人も寄ってくるのだ。裁判所は正義を貫いてくれる夢の最終地点ではないのだ。

敗訴した原さんは今度は自分が構築した船舶塗料システムの著作権裁判を起こしているのだ。この裁判でも大阪地裁では敗訴だった。知的財産裁判の控訴審は東京地裁の知的財産高等裁判所でしかやっていなく、はるばる広島からきて裁判をしている。ところがきょうもたったの10分ほどで終わってしまった。民事裁判のほとんどは文書のやりとりで反論を書き、相手方も反論し、そのまた反論をするまで延々と続く。だから文書の確認作業だけで、「では次回は10月15日午後4時から当法廷で」と数分で終了してしまう。こういう民事裁判、なんとかならないかと思う。お金もなくはるばる遠くから自費で東京地裁までやってくるのだからそういう痛みもわかってほしいものだ。今までさんざんお金を散在し、裁判にかけてきたのに、また新たな裁判をするということで家族も大反対しているという。裁判を長くやっている人は離婚したり、家族が崩壊している人も多いと聞く。それほど裁判は過酷なものなのだ。

彼の戦いは平成8年10月28日から「サラリーマン433話ー55歳の反乱」として日本経済新聞に9回連載された。その後続編「続・55歳の反乱」も掲載され、大きな反響を呼んだ。また彼は「阿修羅になったヤス」というタイトルの本を自費出版している。一部上場企業を訴えた本は出版社も扱わないのだ。地裁前で抗議しながらこの本を1995円で売っている。CDROMも税込千円で売っている。

3週間東京で抗議活動をし、きょう法廷を終えて、この週末彼は広島へ車で帰る。彼の車は抗議文をベタベタと張り付けた目立つ車だ。そして10月の次回の法廷前にまたはるばる広島から東京へやってくる。支援者も増え、法廷はほぼ満席だ。今回は見ごたえのある結果を出してほしいものだ。

傍聴の依頼があったのでこのところ続けて東京地方裁判所に行っている。裁判所前で「最高裁と最高検は無実の坂本由太郎に謝罪せよ!」というビラを年配の男性が配っていた。無実の罪なのに有罪とされ、すでに死亡している坂本由太郎さんの義理の息子さんだ。

この事件は73年前(昭和11年)に起きた事件だった。2.26事件があった年だ。五所川原「コト殺人事件」で犯人とされた由太郎さんは事件当時馬車で飲食店に酒類を配達する仕事をしていたので被害者宅にも出入りしていることから疑われ、過酷な拷問により犯人とされてしまった。

生前仮釈放で社会に戻った由太郎さんは妻(現在99歳)や家族が全力で真犯人として追及し続けた結果、顔見知りの「金順慶」がととうとう自らの犯行であると告白したというのだ。

それなのに再審の扉は今だに開く気配がないという。計9回にわたる再審申し立てをしているのに長岡哲次裁判長より棄却決定されたという。理由は確定判決を覆す新たな証拠がないという。もともと確たる証拠もなく断罪した裁判所が自らの間違いを正すについては無実の人間の側から「新たな無実の証拠」を持ってこいというのはあまりに理不尽ですと義理の息子の坂本せいいちさんは嘆いている。

彼は明白な冤罪は国の責任で救済せよ、と強く要求している。そしてコト殺人事件の全貌を記したせいいちさんの著作「誰がコトを殺したか」という本(1260円)を文芸社から出版し、世論に訴えている。彼も年を取り、足腰が不自由な状態で、東京港の埠頭に停めた軽貨物車の荷台に寝泊まりし、命がけの訴えを続けているという。

昔は今以上に冤罪があったのではないか、今でも冤罪に苦しんでいるのは犯人とされた人ばかりでなく、その周囲の家族も同様だ。本人が死んだからいいではなく、司法はこういう人たちを救済し、冤罪をはらしてあげてほしい。その裏には本当の犯人がほくそ笑んでいるのだから、許してはならない。

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