2009年11月

ケチな話

今政府の事業仕分けが注目を浴びている。これは国家予算の大きな節約だ。今までの自民党政権ではどれだけ見過ごされてきたものか驚くばかりだ。

そんな中読売新聞夕刊にエッセイストの酒井順子さんのコラムを読んだ。「その節約変な癖かも」というタイトル。

誰もが面白いところで節約し、ケチになるという話。ある主婦は料理が薄味すぎるといわれているが、調味料がもったいなくて調味料ケチなのかも、という。かくいう彼女は歯磨き粉ケチ。歯磨き粉のコマーシャルで歯ブラシの幅いっぱいに絞り出されるのを見るたびたくさん使わせるための陰謀と見る。彼女はほんのちょっとだけ歯ブラシに乗せるだけという。さらに彼女はティッシュケチだ。一度鼻をかんだくらいでは捨てない、使用していない部分で何度も鼻をかみ、ティッシュのすべての面を使ってから捨てるという。ぼろぼろになるまでティッシュを使い、ティッシュの減りが少ないことに満足するという。

さらにコラムに書いてあるのは「ある部分にケチだから全方位的にケチではない。靴底が減るのを嫌がる靴ケチの人が歯磨き粉は口が泡だらけになるほど盛大に使うとか、人にはそれぞれケチになる対象があるのではないか。人は自分のケチ具合に気付きにくい。ケチ心というのはもったいないという殊勝な心がけからくるものばかりでなくて「そうせずにはいられない」という性癖のようなものだったりする。他人から見たら変でも本人はいたって満足という」ことなどが書かれていておもしろいと思った。

そういう私もいくつかのケチを実行している。それは透明のラップとアルミフォイル。一回使ったくらいでは捨てない。それこそボロボロになってから捨てるのだ。食品をチンする時にラップするが、温まった食品からはがしてまた使う。我が家のラップは減りが遅いのだ。こんな節約なんていくらにもならないと思うが。

洗濯洗剤もスプーンに7分目くらいしか洗濯機に入れない。鼻をかんだティッシュは一回で捨てるが、化粧に使ったティッシュは捨てないでまだ使う。

こんな小さなケチを実行したって金額にしたらなんぼ?という少ないものだと思うが、酒井さんが書いたようにこれは「性癖のようなもの」だろう。もっと大きな金額が節約できるケチを行いたいものだが、家庭の中ではそんなもの見当たらない。


外に目を向けると交通費の節約はけっこう考えるようになった。以前は都心へ行く時はJRでまず東京駅に出てから地下鉄を利用していたが、今は西船橋から東西線で行く。西船橋から都心のほとんどの駅まで片道270円で行けるのだ。さらに270円の普通回数券、これは2700円で11枚出てくる。それと時差回数券も買う。これは12枚くるのだ。時差とは昼間の10時から16時までの間と土日祝日は終日使える。これでかなりの節約になる。

節約が小さな金額でもチリも積もれば山だ。これからも実行続けるだろう。

歌舞伎

きのう久しぶりに歌舞伎を観てきた。歌舞伎座は来年4月からいよいよ建て替えが始まる。今の歌舞伎座も見収めだ。古い歌舞伎座を新しくするなんてもったいないなあ、なんとか現在の劇場を生かしながらリフォームできないものかしら、と思ったが、実際あらためて行ってみるとやはり建て直した方がいいかも、と思った。

エスカレーターがない。三階へ行くのにフーフーと上がった。階段も迷路のようにわかりにくい。それから一番不便なのが席だ。前の席との間隔が狭く、奥の席に着くのに座っている人たちがいっせいに立たないと中に入れない。寒いのでコートや荷物を足下にも置けない。もし雨で傘があったらどこに置くのかしら?と思った。

二階から花道が見えない。歌舞伎の一番の見どころは花道から出たりひっこんだりする役者さんを見ることだ。それが見えなくて残念だった。

きのうの出し物は仮名手本忠臣蔵。イヤフォンは借りない。だって解説を聞いていたら役者さんのせりふを聞くことができない。せりふがちっともわかなかったりするが、なんとか理解しようと努める。やはり生のせりふを聞きながら理解し、見るのが歌舞伎だ。

ところどころで「成駒屋〜」、「松島屋〜」だの掛け声がかかる。歌舞伎ならではだ。4時から9時過ぎまで長かった。6時半に歌舞伎座二階のお弁当屋さんで幕の内弁当をいただいた。薄味でおいしかった。

女形10人くらい並んだ時、友人がもってきたオペラグラスでよく見たがあまり美しい女形はいなかったなあ。きのうの演目では菊五郎、幸四郎、梅玉、仁左衛門、福助が演じた。

4時間慣れないわかりにくいせりふを聞いて疲れたが、舞台がきれいだった。特に最後の雪の中の討ち入りが美しい。久しぶりの歌舞伎を堪能した。新しい歌舞伎座は数年後か、また楽しみだ。

千葉港めぐり遊覧船

地元の友人から千葉港から出る遊覧船があると誘われた。車で迎えにきてもらい、千葉港近くにあるホテルオークラでランチした。なかなかおしゃれないいホテルだった。まあ、オークラだものね。

千葉港は名古屋港に次いで貨物の港では大きいところだそうだ。湾を一周したが、まわりはすべて鉄工所や成田へ送るガソリンタンクありや、穀物倉庫や、ありとあらゆる荷降ろしの倉庫ありだった。外国籍の貨物船も多数あった。船長さんの詳しい説明があり、勉強になった。

外国籍の船は自国の旗をかかげ、さらに高いマストに日本の旗もひらめいていた。相手国の旗をかかげるのは敬意を表することであり、船の常識だということも知った。

特にたくさんのガソリンタンクには圧倒された。このタンクから鉄道や道路で輸送するのでなくて地下から油を成田空港へ送られていると聞いてびっくり。どこを通っているのかしら、でもそれを言うとテロ攻撃にもなりかねないし、報道していないようだ。タンク近くの海上では見張りの船もいた。

小学生も社会科見学で乗船しており、小学生にわかる説明だったのでわかりやすかった。

千葉に住んで数十年、千葉にはけっこういい観光スポットがある。暇もあるし、いろいろなところを訪れていくことにしよう。

講演会と映画

きのうは午後から講演会だった。新聞のチラシで知った講演会だ。それは毎週日曜朝フジテレビの「報道2001」という番組でキャスターをしていた黒岩祐治氏が最近番組を降板した。はて、政治につっこんだ発言をして降ろされたのか、気になっていたら大学教授になったという。その黒岩氏の講演会が地元であった。彼は政治番組のキャスターという印象だったからてっきり政治関係に転じるのかと思ったら、国際医療福祉大学大学院教授になったのだ。どうも畑違いと感じ、興味をもった。講演参加を申し込むけど、一緒に行くかと聞いたら夫も行きたいというので夫婦で申し込んだ。

講演を聞いてようやく理解できた。彼はキャスター時代から医療福祉をライフワークとしていたのだ。取材を通して日本の救急車では医療行為ができないことを知り、番組を通してキャンペーンをし、ようやく救急救命士という医療行為ができる資格ある人を乗せる救急車が走るようになったきっかけを作った人だということもわかった。

取材で救急車で医療行為ができなくて助かる命も助からないケースがけっこうあることがわかった。医療行為をできるようにするべきだ、と即座に思ったそうだ。命が助かることなのだから反対運動など絶対にあり得ないと思ったという。ところがところが強力な反対があった。それがなんと医師会だったという。救急車の中の医療行為は医師法違反だ、と言いだしたのだ。医者の領分に入るべきでない、救急車は消防署に所属していて消防士が病院へ運ぶもの、だまって病院まで運べばいいのだ、その先は医者がやる、それでも医療行為をしたければ医者の免許を取れ!という言い分だったそうだ。そこで彼は欧米を視察し、調べたら、欧米ではとっくに救急車の中で医療行為をやっていて多くの命が助かっていることがわかった。それから彼の正義感から大キャンペーンを張り、国民の同意を得て、医師会も反対できず、ようやくできたのが救急救命士だった。

彼のお父様が肝臓がんになった時、西洋医学、つまりがんの病巣を切り取るだけでは治らない、QOL(クォリティオブライフ、生活の質)を求めていかなかればいけないことを実感したという。そこで漢方の権威の方を紹介してもらい、病院を出て漢方を処方してもらって治療に専念したら、なんとがん細胞がいっきに小さくなり、食欲も出て、すっかり元気になったそうだ。漢方の先生の患者を診ることが外科医といかに違うかも実感したそうだ。外科医は病巣とデータしか診ない、漢方医は耳から目、体をくまなく診る。それでどこが悪いか言い当てるという。それにそって漢方を処方してもらい、治療に専念したという。

ある日データを診た外科医があなたの病巣は小さくなったかもしれないが、データはかなりひどい、あなたの命はそれほど長くない、と言われた途端、お父さんはすっかり元気をなくし、みるみる体調を悪くしていったそうだ。漢方は「気血水」のバランスが命の質を高めるという。ところが外科医の発言が「気」を失わせていったのだ。結局それからまた元気になったが、QOLを維持したまま、ある日ころりと亡くなられたそうだ。キャスターだった逸見政孝さんは西洋医学に頼り、切るところすべて切り取ったが、QOLを失ったまま亡くなられたことは有名だ。

それからナースの存在の重要性の話もした。病気は医者だけが治すものでなく、医者、看護士、リハビリテーションを含む理学療法士、作業療法士、薬剤師などチームで治療することが大事だ、という話など貴重な話を伺った。最後の質疑応答で夫が手を挙げて質問した。「あらゆる医療学部があるが、医学部だけがこの大学にはない、医学部があって初めて総合的治療ができるのではないか」この質問には大学関係者が応え、近々医学部も創設するそうだ。

なるほど国際医療福祉大学の教授になったわけがわかった。この大学私は知らなかったが、栃木、小田原、静岡、東京、福岡にキャンパスがあり、関連病院も全国に多数ある。那須に行った時、緑の中に大きな建物を見てなんだろうと思ったが、それがこの大学のキャンパスだったことがわかった。

いい話を聞いたね、と会場ホテルを出たら、まだ夕方まで時間があったので映画を観ることにした。夫婦で映画館なんて初めてだ。観たのは松本清張の「ゼロの焦点」。松本清張の作品はどれもおもしろい。過去を消すために人を殺していくというストーリーは砂の器や水上勉の「飢餓海峡」も同じだ。夜は長男運転の車で鮨屋へ。欲張りのいい休日だった。

勤労感謝の日

きょうは勤労感謝の日だ。私は仕事をしなくなってかなり経つが、我が家では夫と息子ふたりの3人が勤め人だ。

アメリカでも11月の第四木曜は感謝祭だ。木曜が祝日となるので金曜も連休。日本のお正月やお盆のように皆家族が一同に集まるのでアメリカの交通機関は大変混雑する。

感謝祭の言われとは、「1620年9月6日、メイフラワー号に乗った清教徒たちがマサチューセッツの海岸に辿り着いた。本国イギリスで迫害を受けた彼らは希望の地、新大陸へとやってきた訳だ。しかし、未開の地での彼らの幸福は長く続かなかった。冬の寒さに直面したのだ。清教徒たちの半分が死んでいったそう。

そんな彼らを助けたのがアメリカ先住民の人々(いわゆるアメリカインディアン)だった。先住民たちは彼らに七面鳥やとうもろこしの栽培などを教え、翌年(1621年)にはかなりの収穫を上げることができた。彼らは感謝の祈りを捧げ、先住民も招いて祝宴を催した。これが感謝祭の始まりと言われている。」というそうだ。

私が初めてニューヨークで暮らした1970年代始めの夏が終わろうとしている時、アパート近くのいつものスーパーで買い物をしていたら、レジの横に「感謝祭に七面鳥を当たろう」というクジがあった。名前と住所、電話番号を書いて箱に投函した。

クジを入れたことなどすっかり忘れていた感謝祭前、突然電話が鳴った。電話に出ると「おめでとうございます!あなたに七面鳥が当たりました!つきましては近々取りにきてください」と。え〜、七面鳥なんてどうやって調理して、食べるのよ〜、とルームメートのイギリス人のバレリーに言った。彼女は小躍りして喜んだ。

スーパーへ取りに行くと、それは大きな七面鳥だった。とてもふたりだけでは食べきれない大きさだ。調理はバレリーがお得意でやってくれるという。ふたりだけでは食べきれないのでパーティをやろう、ということになった。

当日知る限りの友人たちを私たちのアパートに呼び、大パーティを開いた。バレリーは温野菜やマッシュトポテトやデザートにライスプディングも作ってくれた。

NYで寂しくひとりで過ごす感謝祭だったが、にぎやかにおいしい七面鳥をいただいて楽しい祝日を過ごすことができた。

そんなことを思い出す11月の勤労感謝の日だ。

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Mikki

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