2010年10月

d7b96e45.jpg台風が来る雨の土曜日、なんとなくつけたテレビで11月3日から5夜連続放映する「99年の愛」というアメリカに住む日系人の家族愛を描いたドラマが放映される予定のドラマ予告を見た。

1941年12月8日に日本による真珠湾攻撃があってから、アメリカに住む日系人12万人はアメリカ全土の砂漠や荒野11ヶ所に分散されて収容された。その家族愛のドラマらしい。

太平洋戦争に突入することから多くの悲劇があったが、アメリカに住む日系人の姿は真の日本人魂を見せてくれる。インターネットで検索してみるとかなりの情報が得られた。

「アメリカで生まれアメリカ文化の中で育った日系二世は、日本は遠い外国の国であり、アメリカこそが祖国なのだ。『差別の中にある今こそ、アメリカに忠誠を見せる時だ』日系二世達は忠誠の証として軍隊に志願してアメリカのために戦う道を選んだという。軍部は懐疑的な視線を向けたものの、日系二世達の余りに強い声の前についに折れ、日系人だけで構成された部隊「第100歩兵大隊」を設立した。この部隊には志願者が殺到し、定員の数倍に及ぶ日系人達が集まったという。そして442連隊にさきがけ、この第100歩兵大隊がヨーロッパで驚異的な活躍を遂げた。

欧州での戦いを終え帰国した442連隊を待っていたのは『強制収容所での軟禁』という悲劇的なものだったという。だが終戦間際になって、442連隊があげた戦果が凄まじいものであると分かると、状況は一変した。『個人勲章獲得総数18000個・全米軍部隊中1位』『累積死傷率320%・全米軍部隊中1位』『名誉負傷勲章獲得者6700名・全米軍部隊中1位(一人あたり平均2個)』という前代未聞の大記録であった。この記録は大々的に公表され、アメリカ全土で広く報じられた。同時に日系人が置かれた状況も広く報道され人々はアメリカの暗部を知る事となった。』

終戦後の混乱が一段落すると、時の大統領トルーマンは国民に向けてある演説を行った。その内容は『戦中、我々は日系人に対して不当な差別を与えてしまった。これはアメリカ史における最大の汚点であり反省しなければならない過去だ。それに気付かせてくれたのは442連隊の勇敢な日系兵士達であり、彼等には特別の感謝の気持ちを伝えたいと思う』といったものだった。……この時、442連隊は遂に差別という敵に打ち勝ち、真のアメリカ人になったのだった。

 日系人達は強制収容所から解放され、国は賠償金を支払った。彼等が戦中に失った名誉を回復するための運動が各地で始まり、歴史は見直された。

442連隊の元兵士達はホワイトハウスに招待され、大統領直々に感謝状を手渡された。また第100歩兵大隊の故郷ともいえるハワイには博物館が建造され、彼等の勇気と献身を永久に語り継ぐよう記録の保管が始まった。

 そして現在、442連隊の戦史を学ぶ事は米国陸軍の必修課程となり、多くの軍人が彼等の活躍を知る事になったのである。」と簡単な経緯を知る。

こんな勇敢な日本人の誇りを見せつけられるとほんとうに中国や朝鮮に対してひどいことをやったのか疑問に思う。敗戦国としてかなり歴史をねじまげられた自虐史観が戦後の教育に浸透したのではないか。こういう話をマスコミがもっと報じるべきだし、歴史でも学びたいもの。聞くと日本人でよかった、という誇りを持つことができる。

ニューヨークに住んでいた時、毎年12月8日になると知らない人からも「あなたは日本人か?きょうは何の日か知っているか?」と真珠湾攻撃のことを言われたことを思い出す。ここから当時の多くの日系人の苦悩が始まったのだ。

写真はこの話と関係ないが、新浦安のオリエンタルホテルロビーにあるハロウィーンのお飾り。

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34996985.jpg帰宅してNHKを見ていたら、「クローズアップ現代」で手作り弁当という内容を放映していた。主婦が子供のために作った弁当をブログにアップしたら世界中から200万件もアクセスが来たという驚く内容。働く奥さんに毎日メッセージを込めてすばらしいお弁当を作るご主人。娘がお父さんに作って職場に届けるお弁当。そのお弁当の中身がすばらしい。

自分を振り返って子供たちは保育園時代から小学校、中学校とず〜っと給食だった。フルタイムで仕事をしていた自分にはとても助かった。だが、高校からはいよいよ給食がないからお弁当持参。長男の高校3年間、二男が続いて3年間、合計5年間、毎日朝5時に起きてお弁当を作った。仕事をもっている意地から絶対にお金を持たせてコンビニ弁当だけはさせなかった。

ところがこの弁当作りが大の苦手。とにかく今でも食事作りが一番いやなのだ。おいしいレストランへよく行くし、当ブログでも紹介しているから、それだけおいしい料理を食べているなら、さぞおいしい料理を家庭でも作るのでしょ、と言われるのだが、まず外で食べたものなど作らない、作れるわけない、とあきらめている。先日も銀座のイタリアンで写真撮っていたら、同じの作るから?と友人に聞かれてしまった。彼女にはブログのこと内緒だからいいえ、とあいまいに答えた。

子供も今でもお母さんの弁当はまずかった、と言われる始末。あまりにワンパターンでまずいから友だちの弁当と交換していた。お母さんが作った弁当の中で一番うまかったのは「焼きそば」と友だちが言ってたよ、ですと。テレビのお弁当は人気アニメあり、きれいな絵柄あり、のすばらしい絵になるお弁当だ。どうしてそんなもの作れるのか、と不思議。私のお弁当はとにかく土留め色なのだ。味を濃くして醤油味にすると土留め色になる。蓋を開けてもちっともおいしそうでない。

ふたりとも大学生になって5年間の弁当作りから解放されてほんとうにホッとした。あの解放感はなかった。当時通勤も大変で、お金払うから誰か個人のお弁当作ってくれないかなあ、と本気で思ったし、地元のミニコミ紙に広告出そうかと真剣に考えたこともある。そんな広告出したら恥でしょ!と誰かに言われた。それでもコンビニ弁当は持たせたくなかったから毎日土留め色でもまずくても作り続けた。テレビを見ていて思い出した、苦い5年間だった。

もうすぐハロウィーン。写真は地元駅に入っている花屋さんに飾ってるかぼちゃ。
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edfbf3d6.jpgきのうの雨の一日、ワンコ仲間の風太くんの飼い主さん、Sさんと地元で買い物した。チラシにあった品がほしいとスーパーのはしご。彼女は薄手のダウンジャケットと帽子を格安でお買い物。マツキヨでセール品もゲット。ボディシャンプーや洗剤が安かったのだけど、雨で自転車置いてきてしまったので重いから私は買うことを断念。自転車があるとどんどん買い込んでしまう。

それからいつも素通りしている安い中華やさんに入った。以前出勤遅出の夫と昼に入って安いしおいしいのでびっくりという話をしたらそこに行こうとなった。彼女は牛肉とピーマンの細切り炒め、私は豚肉とキャベツの辛子味噌炒めの定食。ふたつの総菜をふたりで分けていただいた。ご飯もたっぷり、ザーサイ、サラダ、具だくさんスープと杏仁豆腐がついてなんと650円。ランチの後ミスタードーナツでドーナツとカフェオレを、と思ったが、お腹いっぱいで入らない。それでマックに入ろうとしたらプレミウムコーヒーの無料券を配っていて、無料でコーヒーを飲み、熱々のアップルパイを100円で注文。きょうのランチはしめて750円で満足満足。

おしゃべりもたくさんしてからスーパーで夕食の買い物。彼女が一階にある宝石店へ寄りたい、というので買ったものを冷蔵コインロッカーに入れてその店へ。たいしたものないなあ、と見て歩いたら、ブラックダイアモンドの大きな指輪を見つけてしまった。28万円もする。前日裁判所へ一緒に行ったYAさんがブラックダイアモンドのネックレスをしていたのを思い出した。このブラックダイアモンドの石は4カラットもある大きさ。これだけ大きいの珍しいですね、と興味を示したら、22万4千円まで下げるというではないか。でもだめだめ、そんな買い物の余裕はなし。

カメラもって出たのに、おなかすいていて中華料理の撮影も忘れ、ブラックダイアモンドの写真も撮るのも忘れ、写真掲載が困った。Sさんの愛犬、トイブードルの風太くんを掲載することに。

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a0b599f9.jpg0fbe63a2.jpg日比谷公園を歩いて裁判所8階法廷隣りの待合室に着くと支援者がすでに来ていた。

尋問は午後1:40から。中国塗料社から総務部長と原さんに対する主尋問(自分の弁護士から尋問すること)と反対尋問(相手方弁護士からの尋問)。時間は約3時間。原さんの裁判を降りてしまった弁護士に困り、探していたところ幸運なことに元特捜検事、検事正で退官したO弁護士さんが着手金も取らずに受けてくださった。まさに捨てる神あれば拾う神あり、原さんは裁判には負け続けているが、幸運の持ち主。

裁判は中国塗料「船舶塗料データベース」が原さんが作成したものとする著作権者確認訴訟で控訴審第13回、被控訴人、控訴人双方の証人と本人尋問だ。場所は東京地裁、知的財産高等裁判所8階の法廷。原さんを応援する多数の傍聴者で傍聴席は埋まった。

O弁護士さんは原さんの案件を引きうけてまだ時間も経ってないのに見事に頭に叩き込み、尋問をなさった。「やめ検弁護士」(検事を辞めて弁護士になった人)と聞いていたので、刑事事件よろしくおまえがやったのだろう!!というようなすごい尋問を期待していたのだが、とても神士で、女性陣は「もっと期待していたのになあ」と勝手に言っていた。でもO先生、よくここまでやってくれたと思う。なにかあったら、お願いしたい弁護士さんだ。

裁判後法廷横の待合室でO先生から裁判の内容と報告。一生懸命やったが、予断を許さないだろう、と厳しいコメントが。でも先生よくやってくださった。原さんもがんばった。

原さんと男性支援者たちはグリーンハウスという日比谷公園内のカフェでお茶に出かけた。私たち女性陣は日比谷公園内にある松本楼でお茶。YAさんは赤ワインをオーダー。私とYOさんはケーキセットを注文。緑の公園を見渡せる静かないい店だ。私たちが帰る頃に原さんと男性支援者たちは私たちがいる松本楼へやって来た。これから飲んで食事という。原さんお疲れさま。準備書面を1ヵ月後に提出し、次回12月22日に結審し、年が明けて判決となるだろう。17年も続いた原さんの裁判もいよいよ終盤を迎える。彼の人生をかけた裁判だ。
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156ffee0.jpgba225634.jpgきのうは霞が関、久しぶりの裁判所だった。広島に本社のある一部上場企業、中国塗料を知的所有権を主張する著作権者確認訴訟を起こしている原敏恭さんの裁判だった。裁判は午後1時40分から。

原さんを応援する女性陣3人でまず銀座で早目のランチした。前日に続いてイタリアン。11時からやっている店が少なく、幸い開いていたイタリアンHiroというお洒落な店で食事した。寒かったが、お天気もよく、食後日比谷公園を歩いて裁判所へ。

写真は牛肉のラグーソースパスタをYOさん。前日私が注文したパスタと同じだが店によってやはり違う。私は茄子と豚肉のピリ辛ソースパスタ。上にのっているのはチーズ。店自家製のパンがおいしかった。パスタ、パン、デザート、コーヒーまたは紅茶で1733円。まあ、上等なイタリアンの店だった。

食後日比谷公園を歩いて裁判所へ。

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