台風が来る雨の土曜日、なんとなくつけたテレビで11月3日から5夜連続放映する「99年の愛」というアメリカに住む日系人の家族愛を描いたドラマが放映される予定のドラマ予告を見た。
1941年12月8日に日本による真珠湾攻撃があってから、アメリカに住む日系人12万人はアメリカ全土の砂漠や荒野11ヶ所に分散されて収容された。その家族愛のドラマらしい。
太平洋戦争に突入することから多くの悲劇があったが、アメリカに住む日系人の姿は真の日本人魂を見せてくれる。インターネットで検索してみるとかなりの情報が得られた。
「アメリカで生まれアメリカ文化の中で育った日系二世は、日本は遠い外国の国であり、アメリカこそが祖国なのだ。『差別の中にある今こそ、アメリカに忠誠を見せる時だ』日系二世達は忠誠の証として軍隊に志願してアメリカのために戦う道を選んだという。軍部は懐疑的な視線を向けたものの、日系二世達の余りに強い声の前についに折れ、日系人だけで構成された部隊「第100歩兵大隊」を設立した。この部隊には志願者が殺到し、定員の数倍に及ぶ日系人達が集まったという。そして442連隊にさきがけ、この第100歩兵大隊がヨーロッパで驚異的な活躍を遂げた。
欧州での戦いを終え帰国した442連隊を待っていたのは『強制収容所での軟禁』という悲劇的なものだったという。だが終戦間際になって、442連隊があげた戦果が凄まじいものであると分かると、状況は一変した。『個人勲章獲得総数18000個・全米軍部隊中1位』『累積死傷率320%・全米軍部隊中1位』『名誉負傷勲章獲得者6700名・全米軍部隊中1位(一人あたり平均2個)』という前代未聞の大記録であった。この記録は大々的に公表され、アメリカ全土で広く報じられた。同時に日系人が置かれた状況も広く報道され人々はアメリカの暗部を知る事となった。』
終戦後の混乱が一段落すると、時の大統領トルーマンは国民に向けてある演説を行った。その内容は『戦中、我々は日系人に対して不当な差別を与えてしまった。これはアメリカ史における最大の汚点であり反省しなければならない過去だ。それに気付かせてくれたのは442連隊の勇敢な日系兵士達であり、彼等には特別の感謝の気持ちを伝えたいと思う』といったものだった。……この時、442連隊は遂に差別という敵に打ち勝ち、真のアメリカ人になったのだった。
日系人達は強制収容所から解放され、国は賠償金を支払った。彼等が戦中に失った名誉を回復するための運動が各地で始まり、歴史は見直された。
442連隊の元兵士達はホワイトハウスに招待され、大統領直々に感謝状を手渡された。また第100歩兵大隊の故郷ともいえるハワイには博物館が建造され、彼等の勇気と献身を永久に語り継ぐよう記録の保管が始まった。
そして現在、442連隊の戦史を学ぶ事は米国陸軍の必修課程となり、多くの軍人が彼等の活躍を知る事になったのである。」と簡単な経緯を知る。
こんな勇敢な日本人の誇りを見せつけられるとほんとうに中国や朝鮮に対してひどいことをやったのか疑問に思う。敗戦国としてかなり歴史をねじまげられた自虐史観が戦後の教育に浸透したのではないか。こういう話をマスコミがもっと報じるべきだし、歴史でも学びたいもの。聞くと日本人でよかった、という誇りを持つことができる。
ニューヨークに住んでいた時、毎年12月8日になると知らない人からも「あなたは日本人か?きょうは何の日か知っているか?」と真珠湾攻撃のことを言われたことを思い出す。ここから当時の多くの日系人の苦悩が始まったのだ。
写真はこの話と関係ないが、新浦安のオリエンタルホテルロビーにあるハロウィーンのお飾り。
1941年12月8日に日本による真珠湾攻撃があってから、アメリカに住む日系人12万人はアメリカ全土の砂漠や荒野11ヶ所に分散されて収容された。その家族愛のドラマらしい。
太平洋戦争に突入することから多くの悲劇があったが、アメリカに住む日系人の姿は真の日本人魂を見せてくれる。インターネットで検索してみるとかなりの情報が得られた。
「アメリカで生まれアメリカ文化の中で育った日系二世は、日本は遠い外国の国であり、アメリカこそが祖国なのだ。『差別の中にある今こそ、アメリカに忠誠を見せる時だ』日系二世達は忠誠の証として軍隊に志願してアメリカのために戦う道を選んだという。軍部は懐疑的な視線を向けたものの、日系二世達の余りに強い声の前についに折れ、日系人だけで構成された部隊「第100歩兵大隊」を設立した。この部隊には志願者が殺到し、定員の数倍に及ぶ日系人達が集まったという。そして442連隊にさきがけ、この第100歩兵大隊がヨーロッパで驚異的な活躍を遂げた。
欧州での戦いを終え帰国した442連隊を待っていたのは『強制収容所での軟禁』という悲劇的なものだったという。だが終戦間際になって、442連隊があげた戦果が凄まじいものであると分かると、状況は一変した。『個人勲章獲得総数18000個・全米軍部隊中1位』『累積死傷率320%・全米軍部隊中1位』『名誉負傷勲章獲得者6700名・全米軍部隊中1位(一人あたり平均2個)』という前代未聞の大記録であった。この記録は大々的に公表され、アメリカ全土で広く報じられた。同時に日系人が置かれた状況も広く報道され人々はアメリカの暗部を知る事となった。』
終戦後の混乱が一段落すると、時の大統領トルーマンは国民に向けてある演説を行った。その内容は『戦中、我々は日系人に対して不当な差別を与えてしまった。これはアメリカ史における最大の汚点であり反省しなければならない過去だ。それに気付かせてくれたのは442連隊の勇敢な日系兵士達であり、彼等には特別の感謝の気持ちを伝えたいと思う』といったものだった。……この時、442連隊は遂に差別という敵に打ち勝ち、真のアメリカ人になったのだった。
日系人達は強制収容所から解放され、国は賠償金を支払った。彼等が戦中に失った名誉を回復するための運動が各地で始まり、歴史は見直された。
442連隊の元兵士達はホワイトハウスに招待され、大統領直々に感謝状を手渡された。また第100歩兵大隊の故郷ともいえるハワイには博物館が建造され、彼等の勇気と献身を永久に語り継ぐよう記録の保管が始まった。
そして現在、442連隊の戦史を学ぶ事は米国陸軍の必修課程となり、多くの軍人が彼等の活躍を知る事になったのである。」と簡単な経緯を知る。
こんな勇敢な日本人の誇りを見せつけられるとほんとうに中国や朝鮮に対してひどいことをやったのか疑問に思う。敗戦国としてかなり歴史をねじまげられた自虐史観が戦後の教育に浸透したのではないか。こういう話をマスコミがもっと報じるべきだし、歴史でも学びたいもの。聞くと日本人でよかった、という誇りを持つことができる。
ニューヨークに住んでいた時、毎年12月8日になると知らない人からも「あなたは日本人か?きょうは何の日か知っているか?」と真珠湾攻撃のことを言われたことを思い出す。ここから当時の多くの日系人の苦悩が始まったのだ。
写真はこの話と関係ないが、新浦安のオリエンタルホテルロビーにあるハロウィーンのお飾り。