remmikkiのブログ

2011年03月

8701ef64.jpg3d82a283.jpg毎日計画停電の時間をチェックすることが大事な日課になっている。今朝は6:20から停電という一番朝の嫌な時間帯なので昨夜のうちに洗濯もしてしまおう、そしてアイロンかけをしていたら、朝の計画停電は中止、と聞いてほっとした。

きのうも午前9:30から13:00まで停電だった。そして夜6:20からも予定していたので、急いで出先からスーパーへかけこんだ。スーパーの従業員に何時に閉店か聞くと夜11:00まで。ほっとしてゆっくり買い物した。

とりあえず、一日一回の停電で済んでいるが、二回はきつい。二回と予定を公表しているが、中止の発表が直前なので落ち着かない。

このブログを書いている真っ際中にも福島に地震でけっこう長い揺れが続いている。もう船酔いしそう。いつまでこの地震続くのやら。電気釜の予約設定もどうしようと考えてしまう。

今月はフラワーアレンジメントも絵手紙教室も地震・津波・原発後遺症でお休みとなってしまった。

教室がお休みで新しい作品を紹介できないのが残念。以前の教室の作品を紹介することにする。

これはフラワーアレンジメント教室で上級クラスの方の作品。
お店の開店祝いなどで見られるアレンジメントだ。

絵手紙教室の他の皆さんの上手な作品。

7dea9e64.jpg地元から市議会議員に平成21年10月の選挙でトップ当選を果たした田沼隆志さんを応援している。彼は自民でもなく民主でもなく無所属から立候補した。

今でも覚えているが、都心へ行くため、区役所で期日前投票を済ませてから駅に向かった。すると田沼さんが駅前に立っていたので「たった今田沼さんに投票してきたところです!」と答えたら満面笑みで握手してくださった。選挙前に田沼さんのチラシを夫がもらってきて読んでみると彼の信条や考え方が今こそ日本が必要としている貴重な政治家とわかった。自民も売国政党民主も信用できないでいたのですぐに支援しようと投票した。

田沼さんは1975年12月生まれ、30代半ばの若さだ。最近結婚したと聞いた。おめでとうございます!

地元の園生幼稚園から小中台南小学校・中学校から千葉東高校とすべて千葉市稲毛区出身。東京大学経済学部を卒業後、世界・日本最大の経営コンサルティング会社 アクセンチュアに入社。ビジネスで最も厳しいと言われる戦略立案の現場で7年間の奮闘。平成18年8月15日をもって退社、政治活動を開始したという。

平成19年4月8日の千葉県議会議員選挙にて、千葉市稲毛区から出馬したが、落選。政治浪人中は、自営業として経営コンサルタント業を行い、千葉の中小企業をご支援。また、日本教育再生機構の職員として、教育再生の最前線で研鑽した、と彼のブログにある。

当ブログのリンクにも載せているのでご参照を。ブログタイトルは「誇りある日本を、千葉から〜千葉市議会議員、田沼隆志の挑戦」

その田沼さんを応援したいと思っているのだが、集会などいつも自分の先約とぶつかり、なかなか参加できないでいる。今度こそ、と4月の選挙の出陣式に夫と参加しようとしていたら、大地震で延期されてしまった。会場を借りての出陣式は2回の延期を経て結局地元の田沼さんの事務所で4月1日午前にするそうだ。できれば参加したい。

田沼さんがメールでこの連休中にパソコン入力のボランティアを募っていると知った。風邪ぎみで連休は特に用事もなかったので名乗り出た。ほんとうはお彼岸でお墓参りへ行かねばならないのだが、計画停電などで電車もフルに走ってなく、遠出は心配。落ち着いたらお墓参りに行くことにする。

事務所のパソコンはフル活動だそうで、私の自宅のパソコンを使ってできます、と伝えた。こういう時、パソコン作業は便利この上ない。事務所の方から私のパソコンアドレスにさっそく添付付きで資料が届いた。気安くやれるわよ、と思ったらけっこうな量だ。おまけに資料の文字が小さくてプリントしたが見にくい。虫めがねで確認しながらの入力でけっこう時間がかかってしまった。午後2時から始めて、家族には夕食に買っておいたお弁当をチンして食べてもらい、入力専念。終わったら夜中の12時過ぎだった。目はショボショボ、腰は曲がり、肩は痛い。仕事が現役ならたいしたことないかもしれないが、仕事辞めてウン年の腕と目の低下を感じたものだ。

夜の愛犬の散歩も我慢してもらっていたので12時過ぎに散歩へ。

祝日の月曜朝に夫に念入りに入力したものと原稿をチェックしてもらい、さらに自分がチェックして修正。昼前にようやく事務所へ送信できた。

即座に田沼さんと事務所からお礼のメールが。喜んでいただけると疲れも吹っ飛ぶ。

秋篠宮妃紀子様の実弟、獣医で東農大講師川島舟さんが今回の大地震に自ら救援活動をしているという。片や日本ユニセフの役員になっているのが雅子妃の母親。日本ユニセフはなにかと募金ピンハネとか黒いうわさが絶えない。こういう噂を聞いて以来、私も日本ユニセフには募金しない。

スポーツ報知3月21日付けによると、

「秋篠宮妃紀子さま(44)の実弟で、東農大講師の川嶋舟(しゅう)さん(37)が、震災で被災した妻の地元・福島県相馬市へ支援活動を行っていることが20日、分かった。川嶋さんは帰省途中に被害に遭ったものの無事で、救援物資が被災地に十分に届いていない現状を「報道以上に現地は混乱」などと、ソーシャル・ネットワーキング・サービス「フェイスブック」で報告。トラックで自ら東京入りして物資を調達、配送する作業の陣頭指揮を執っている。

 紀子さまの実弟で、震災で深刻な被害を受けた福島県相馬市に妻子を残している獣医師の川嶋さんが、被災地の支援活動に奔走している。

 川嶋さんはマグニチュード9・0の大地震、津波の被害状況をフェイスブックでkak『報道以上に現場は混乱」「相馬市には、人口4万人弱のところに原発関連の避難も含め1万以上もの人を受け入れているようです』などと報告した。

 東京に住む学習院高等科時代からの親友で、4月の豊島区議選にみんなの党から出馬予定の関谷二葉氏(37)も全面支援。ブログで『相馬市、南相馬市だけでなく 北隣新地町も津波に遭いました』、必要な物資についても『水 炊き出しのいらないおにぎり 塩 簡易の医薬品…』と、川嶋さんの声を代弁した。

 ブログなどによると、川嶋さんは支援物資が相馬市に十分届いてない現状に「届かないから、取りに行く!市長と相談した」と決意。キャンピングカーと2トントラックを調達し、13日に東京へ。15日に一度、物資を相馬市に持ち帰り、18日に再び東京に向かったという。

 20日夕刻には、紙おむつや下着、毛布などを積んだ第3便のトラックが相馬市に到着。届いた物資を仕分けて市役所の救援物資担当者に預け、市内約10か所の避難所などに分配されている。

 相馬市に住む妻・麻紗美さんの父・田代誠信さん(58)によると、川嶋さんは11日、単身赴任先の東京から麻紗美さんと長女が住む同市に帰省中、被災。仙台駅から常磐線で相馬駅へ向かう途中、1駅手前の駒ケ嶺駅付近で被害に遭ったが無事で、誠信さんが宮司を務める「相馬中村神社」へ徒歩で約2時間かけてたどり着いた。
 同神社は震災で鳥居などが損傷したが、海岸から約5キロ離れているため、津波による大きな被害は免れた。

 川嶋さんは学習院高等科を卒業後、麻布大―東大大学院で獣医学を専攻。2006年に結婚した。現在は東農大農学部バイオセラピー学科で講師を務め、獣医師としても活動している。

 誠信さんによると、川嶋さんは震災後、紀子さまと連絡を取ることができ、自身と家族の無事を伝えたという。」

どこかの妃殿下の家族とえらい違い。

ネットでも
「素晴らしいの一言、自分の家族を連れて逃げることも出来るだろうに 自ら物資を運び陣頭指揮をとは頭が下がるな 。一方バ管政府は支援物資を要請が無いからと送らず視察は雨が怖くて中止。」という。

「役所なんか、
連絡電話番号が分かったとしよう。
・「夜間休日は受け付けておりません」と留守電で断られる。
・平日昼間に連絡するといつも話中
・やっとつながるとたらい回しされる
・たどりついた部署の担当者は昼食中

担当者とつながると....
・電話番号が役所の電話では無いと言われる。
・身分証明書を郵送するよう言われる。
・所定の申込書に記入しろと言われる。
・所定の申込書はホームページからダウンロードしろと言われる。
・人数分の身分証明書のコピーを要求される。」

こんなことありえるわね。


土曜、夫は御徒町まで出かけて5キロお米を2袋買ってきてくれた。

ラジオや懐中電灯を買いにご主人と秋葉原へ行ったYさんが地元の駅に戻ったと連絡あり、さっそく1袋自転車に積んで持って行った。Yさん、これでしばらくは安心と喜んでいた。秋葉原のどこでろうそくや懐中電灯を買うといいか夫から知らせてあげたので買い物もスムーズに出来たそうだ。助け合いはお互い様だ。

土曜夜寝る前にルルの散歩に出かけたら、道路の真ん中に白いものがあった。スーパーの袋かと思ったら白い猫の死骸だった。可哀そうに飛び出して車に轢かれたのだろう。顔のまわりは血だらけだ。

このまま道路の真ん中に置いたままなら、さらにまた車に轢かれてしまう。でもどうやって道路の端に寄せることができるのか。もっていた犬のウンチ用の小型シャベルでは動かせられない。ルルは興奮してまわりを嗅ぎまわっている。

双方から車が来てしまった。一台の大型ワゴンが止まってくれたら運転手は女性だ。彼女も触るのは苦手という。片方からは数代の車が止まってしまっている。急いでもっているビニール袋で猫の両足をつかんで端へ引き寄せた。まだ体は柔らかくて暖かい。可哀そうになあ。

翌朝夫に頼んで区の清掃会社へ電話し、引き取ってもらうようお願いした。午後道路を見に行ってみたら猫の死骸はなくなっていた。清掃会社が持っていってくれた。

b3cb35e0.jpg日曜朝愛犬の散歩の後また食材を買いにスーパーへ。

焼きそばがない。ティッシュもほしい。土曜夜にはあったから翌日買えばいいや、と思ったら翌朝にはもうない。ある時に買わないといけないわね。どの商品もおひとりさま一点のみ。そりゃあ、そうだ、ひとりでいくつも買われてはかなわない。皆さんに行きわたるようにしないと。

帰宅すると長男が外人の女性から電話があったという。名前を聞くと“Marilyn”だ。
ほどなくもう一度彼女から電話がかかってきた。

そう、私が独身の時NYに住んでいた上のアパートに住んでいたマリリン、地震に心配して電話してくれた。メールも送ったそうだが、どうやら迷惑メールと間違えて削除してしまったらしい。

マリリンとは数十年のおつきあいだ。クリスマスカードは毎年交わしてクリスマスレターで我が家の報告もしているからよくわかっている。NYに行く時は必ず一緒に食事もする。なつかしいマリリン。

我が家は皆無事と聞いて安心してくれた。電話に出た長男が4歳の時マリリンのアパートに滞在して可愛がってもらったことがあるのにもう28歳になっていると聞いてびっくり。しっかり英語で答えてくれたそう。

彼に聞くと4歳のその時のことを覚えているという。お愛想のひとつも言えばいいのに。英語では緊張するわね。でもちゃんとメッセージは書き取ってくれた。

彼女については2010年2月9日付けの当ブログに「NYの白タク」と題してマリリンに抱かれた長男の写真入りを掲載している。同日付けの「マリリン」にも彼女のことを書いている。日付をさかのぼってご覧いただきたい。

丸いお皿の写真はNYに住んでいた時のソファに座った私の若かりし頃の写真。



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