2014年05月19日

板東俘虜収容所 松江豊寿大佐

この話も大正時代の感動的な話。ドイツ俘虜を武士の情けとして人道的に扱った話。

「武士の情け」として俘虜を扱うように訓示した松江豊寿大佐、板東俘虜収容所所長。

1914年7月に第一次世界大戦が勃発。青島の戦いで日本軍に降伏したドイツ軍俘虜は、徳島や大阪など全国12ヶ所の収容所へ振り分けられたという。俘虜たちが徳島俘虜収容所に収容された時の感動的な話を紹介する。

まずは動画をどうぞ。

国旗の重み 板東俘虜収容所 第一話



国旗の重み 板東俘虜収容所 エピローグ



松江豊寿大佐

松江 豊寿(まつえ とよひさ、1872年7月11日(明治5年6月6日) - 1956年(昭和31年)5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第9代若松市長。

第一次世界大戦中に板東俘虜収容所所長を務め、在任中にドイツ人俘虜を人道的に扱い地元の住民とドイツ人俘虜を交流させた。この時、ドイツ人俘虜によって日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏された。映画『バルトの楽園』の主人公としても知られる。

生誕 1872年7月11日
福島県若松市
死没 1956年5月21日(満83歳没)
東京都狛江市
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1894 - 1922
最終階級 陸軍少将
除隊後 若松市長
稚松会評議員

俘虜収容所長時代
1914年7月に第一次世界大戦が勃発。青島の戦いで日本軍に降伏したドイツ軍俘虜は、徳島や大阪など全国12ヶ所の収容所へ振り分けられた。それと同時に松江は同年12月徳島俘虜収容所長に任命される。1917年には12ヶ所の収容所が板東など6ヶ所にまとめられ、同年4月に板東俘虜収容所長となる。ここにおいて松江はドイツ人の俘虜達に人道に基づいた待遇で彼らに接し、可能な限り自由な様々な活動を許した。賊軍としての悲哀を味わった会津藩士の子弟に生まれた体験が、大きく彼の良心的な人格形成に影響したといわれる。

また、付近の人達と俘虜との交流や技術指導も盛んに行われ養鶏・養豚・野菜栽培から建築・設計まで広い分野で交流が行われたと言う。

1920年4月、第一次大戦終了に伴い板東俘虜収容所は閉鎖された。だが、俘虜たちは解放された後もここで受けた温かい扱いを忘れず「世界のどこに松江のような(素晴しい)俘虜収容所長がいただろうか」と語るほどだったと言う。
(Wikiより)

今までも数々の戦争時代の秘話を紹介してきたが、日本軍の「武士の情け」による人道的な扱い。どこぞの国とはえらい違い、崇高な日本人に誇りを感じる。

正田邸解体の経緯

先日両陛下が皇后さまのご実家があった旧正田邸跡地のねむの木公園を訪れたことをきのう書いた。
ご実家取り壊しについては当時私も心を痛めた。なんとか残せないものかと。

でも結果的には皇后さまが取り壊してほしいと発言なさり、反対運動もしぼんでしまったことを覚えている。

皇后さまはなぜ残してほしくなかったのか、当時いろいろと疑問が湧き、納得いく回答は得られなかったことも覚えている。財務省に屈服してしまわれたのか?

財務省のうさんくささについて当時の西村眞吾衆議院議員も指摘していたそうだ。

西村真悟衆院議員は15日旧正田邸正門前で会見し、
「真偽を確かめられない皇后さまの意思を宮内庁が発表することは、行政による皇室の政治的利用にほかならない。司法の判断をあおぐことも検討している」と話し、取り壊しの差し止めを求める仮処分を申請することを示唆した、とある。

旧正田邸 昭和の残像


旧正田邸解体工事辞退会見(株)フジムラ元社長


こちらに「うさんくさい財務省役人」のことを書いた記事を見つけた。
どんなに財務省が解体したいと言っても皇后さまが残したいと言えば済んだ話では?
でも残すにしても維持費がかかるだろうし、遠慮されたのか?

正田邸の解体にみる“うさんくさい”財務省役人  

皇后さまの実家、旧正田邸の取り壊しが始まった。皇后さまの生家であり、昭和初期を代表する建造物として移転・保存運動が起きていたが、

財務省関東財務局の竹内洋局長は14日に記者会見で「15日から解体工事を開始する」と発表、翌日工事開始という手回しの良さで、取り壊しを強行した。

だけど、取り壊した跡地を品川区に売却して公園にするんだったら、旧正田邸をそのままにして『正田邸記念公園』にすればいいじゃないか。

財務省役人の姿勢には正田邸を何が何でも取り壊すのだという悪意ある意図を感じる。

ようするに、「たとえ皇后陛下の生家といえども相続税で物納された国有財産の処分は財務省が決定し、第三者が口出しすることは許さない」と言いたいのだろう。

さらにいえば、財務省役人は皇室に悪意を持っているのかもしれない。

現に長野県軽井沢町や群馬県館林市の旧正田邸移築検討の動きに対しても、「皇后さまが保存を固辞している」とした財務省の工作によって断念させている。

旧正田邸の保存を訴える西村真悟衆院議員は「諸君!1月号」でそうした財務省役人の“うさんくささ”をこう指摘している。

「正田邸を取り壊すのは皇后陛下のご意向です」と財務省の役人が説得してまわっているから、
そんな政治利用があるかと宮内庁に電話して怒ったんです。

あれは国有財産だからを、それについて皇后陛下がこういっていますなんて役人が説明してまわったら、皇后陛下の真実の意見はどうかと国会で参考人としてお尋ねしなければならなくなるじゃないか、と。

すると自己正当化の理屈をこねるばかりでね。

皇后陛下のお言葉は、皆さんに迷惑をかけたくない、という思いからなんですよ。

それをさも皇后陛下のご意向を体したかのように立ちまわって、あいつら役人は君側の奸ですよ。」

そして、西村真悟衆院議員は15日旧正田邸正門前で会見し、
「真偽を確かめられない皇后さまの意思を宮内庁が発表することは、行政による皇室の政治的利用にほかならない。司法の判断をあおぐことも検討している」と話し、取り壊しの差し止めを求める仮処分を申請することを示唆した。

また、この問題のそもそもの原因は、多額の相続税支払いのため正田家が正田邸を国に物納しなければならなかった現行の相続税にある。

正田邸問題は民間人が一生をかけて営々と築いた私有財産を、その死につけこんで財務省役人がかっぱらい、退職金という名目で役人達が山分けしている歪んだ今の日本の縮図である。

役人が自分達に都合のよいときだけ持ち出す『日本国憲法』の第29条には「財産権は、これを侵してはならない」とあるが、

相続税がそれに反していることは明白であり、国家による財産権侵害行為を早く止めさせなければならないのである。


「岸田コラム」ってあのコメンテーターの岸田さん?
こちらにもけっこう事実が書かれている。
 

「岸田コラム」から 
http://kishida.biz/column/2004/20040827.html

旧正田邸
美智子さまご成婚のころ「粉屋の娘だろ」というギャグが流行った。美智子さまの父である正田英三郎氏が日清製粉のオーナー社長だったからだ。しかし、創業者で、英三郎氏の父である正田貞一郎氏はもともと醤油屋だった。そこが、旧日清製粉を買収して見事「粉屋」になったのだ。現在は業界トップの一部上場企業だ。

美智子さまは4人兄弟。お兄さんの巌さん、妹の恵美子さん、弟の修さんがいらっしゃる。弟の修さんが現在日清製粉の社長をやっている。お兄さんの巌さんは元日銀の監事や日本火災の相談役などを勤めた金融畑。その奥さんは浜口雄幸元首相の孫娘にあたる。

正田家では3人の兄弟とご両親の5人が美智子さまを皇室に見送った。母富美子さんは今から16年前に、父英三郎さんは5年前にそれぞれ他界した。

英三郎さんが亡くなったときの相続財産は33億円。美智子さまを含む兄弟4人に相続権があったが、美智子さまは8億円あまりの相続を放棄された。相続財産は日清製粉の株式や自宅と預貯金だったが、3人の兄弟は現金で相続税を払うことができず、自宅が物納された。

そこで、主を失った東五反田の正田邸は3年前国有財産となり、財務省が管理することになった。清水組(現清水建設)が昭和初期に建てたチューダー朝形式の屋根が特徴の和洋折衷住宅は、すぐに草ぼうぼうになり、近所の環境を守りたいと願う「五丁目の環境と文化を守る会」の住さんが財務省に草を刈るよう要望した。

すると財務省から3人の役人がやってきて正田邸は解体して更地にし競売にかけると通告してきた。驚いた住さんが保存運動を始めたのだが、これには賛同する人が日増しに多くなった。建物自体も価値があるし、なにより昭和のシンデレラが正田邸から出てくるのに皆がテレビの前に釘付になったのだから、昭和を生きた人には思い入れがある。

しかし、物納当時は地価がどんどん下がり更地にしないと売れないというのが財務省の主張だった。そこで財務省の幹部は、正田邸の保存には美智子皇后が反対されていると関係議員に吹聴しだした。これに怒った民主党の西村眞悟議員が「財務省は国有財産の処分に以前の所有者の希望を聞くのか」と噛み付いた。ごもっとも。

そんな中、正田邸をぜひ軽井沢に移築してほしいと軽井沢町長が保存に名乗りを上げ、保存運動は絶好調に。

すると今度は宮内庁が「皇后さまのお考えとして、保存を望む人々の気持ちを本当にありがたく思われながらも、実家を残してほしいとのお気持ちのないことを常々申されている」と軽井沢町長に伝え断念させた。

いよいよ取り壊し工事が始まると実力阻止の動きがあって、工事は一時中断するが、結局は取り壊された。

そして、今日、正田邸跡地に美智子さまにちなんだ「ねむの木の庭」という区立の公園がオープンし、小泉首相が立寄った。なんなんだ、こりゃと思う。

結局のところ品川区が約3億円で買ったのだ。物納されたのは175坪。坪当たり170万円だ。平米50万円ほど。この価格は調べてみると路線価と一致する。財務省と品川区が取引をするのだから、公の路線価で売買されるのはどちらにも損得を与えない順当な取引に見える。

しかし、元はといえば相続税が払えないから物納し、それを最大限に高く売りたいから財務省は更地にしたわけだ。それを何で路線価で取引するのか。路線価は役所が見積もる価格だから最も保守的な価格。都内で通常取引される価格は路線価を上回るのが常識。

少しでも高く売ろうと更地にしたはずなのに、最も安いところに売るとはどういう事なのか。あの一等地を由緒ある建物付で売り出したら、もっと高く売れたに違いない。

結局、国の税金を区の税金で払ったことになる。何やってんだろう。どっちも同じ住民が払ってんじゃないか。

2004年8月27日(金)


ほんとうになんなんだこりゃ、である。
昭和の残すべき建物が皇后さまのお言葉だと財務省が利用して、多額の退職金ほしさに替えた?
役人は身勝手でどうしようもない。
当時の決定した役人の名前を公表せい!
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Mikki

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