2015年02月
2015年02月23日
皇太子さま、55歳誕生日 今上天皇即位のご年齢に

皇太子さまはきょう55歳の誕生日を迎えられた。
今上天皇陛下は55歳と十数日で即位された。
同じ年齢になった皇太子さまにも当然質問があった。
記者会見後両陛下にご挨拶へ。
ANN 皇太子さま 誕生日 両陛下にあいさつ
皇太子さま:55歳の誕生日「正しい歴史伝承が大切」
毎日新聞 2015年02月23日 05時00分(最終更新 02月23日 13時23分)

皇太子さまは23日、55歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち20日に東宮御所(とうぐうごしょ)で記者会見し、戦争の記憶が薄れつつあることに触れ、「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と述べた。
皇太子さまは子どものころから、天皇、皇后両陛下と一緒に、沖縄戦が終結した沖縄慰霊の日(6月23日)、広島と長崎の原爆の日、終戦記念日に黙とうし、原爆や戦争の痛ましさを教わってきたことを紹介。今は長女愛子さまも両陛下から戦争の話を聞いているという。
今年、戦後70年を迎えることについては「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」とし、「本年が日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と語った。
また、この1年を振り返り、中東などで続いた武力紛争に「我が国国民を含め市民を巻き込むテロの事件がさまざまな場所で発生したことに深く心を痛めています」と言及。青色発光ダイオードの開発で日本人3人がノーベル賞を受賞したことにも触れ、「地道な研究の積み重ねと大学、民間企業をはじめ多くの方々の支援と協力から生まれた」と喜んだ。
55歳は天皇陛下が即位した年齢にあたる。「身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしお」と語り、今後も両陛下の姿に学びながら努力していきたいとの考えを示した。療養中の雅子さまについては「焦らず慎重に、少しずつ活動の幅を広げていってほしい」と思いやった。【古関俊樹】
55歳誕生日記者会見全文:
読売新聞 2015年2月23日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150222-00050087-yom-soci
記者会見全文は長すぎるし、いつもの変わり映えしない、感動もない言葉の羅列なのであえて取り上げることはしない。
それよりも週刊文春2月26日号が文春としては批判的な記事を書いていて驚いた。
「皇太子さまに55歳のご覚悟をお聞きひたい!」
2・23今上天皇即位のご年齢に
いくつかピックアップしてみた。
・「残念ながら、これまではそのお言葉が何とも頼りない。肺腑からにじみ出るようなご覚悟を拝聴することは出来ていません。平成の次代を継がれる皇太子殿下が、ご自身の御世に一体何をなさりたいのか、ご真意を推し量ることは難しいのです」(千代田関係者)
・「皇太子が会見などで発信するお言葉は、誰に向かって何を言ったらいいのか、はっきりしないという印象を受けます。というもの、皇太子のお言葉には、過去の出来事を反芻するという『歴史回顧』の要素がないからです。歴史との対話が欠如しているので、現代を生き、次代を担う皇太子としての生身の言葉として伝わってこない。例えば、先の大戦や国内外の情勢、さらには、ご本人が取り組みたいとおっしゃった『時代に即した新しい公務』などについて、具体的に何を思い描いていらっしゃるのかわからず、誰もが思いつくような"公約数的"な発言しか出てこない。
唯一、具体的エピソードと実感を伴って語られるのは、雅子妃と愛子さまのことだけでう。お言葉についての注目がそこにばかり集まってしまうのは無理からぬことでしょう」 (東京大学名誉教授・御厨貴氏)
・「宮内庁では、湯浅利夫長官時代に参与を差し向け、新しい公務について、皇太子の考えを聞く機会を設けたこともありました。しかし、結局皇太子の目指すところはよく分からない。天皇陛下が一番案じられていたのは、考えがあってのことではなく、安易に時流に縛られているだけではないか、という点でしょう」 (ベテラン宮内庁担当記者)
・「天皇とは、仰ぎ見るものであり、それが日本国民統合の象徴であるということです。全国民の上に立って『国民と共に歩む』ということが天皇制度の根幹にあるのです。
昭和天皇の玉音放送、今上天皇の東日本大震災に際したビデオメッセージ。これが日本の天皇と国民が一体になった瞬間でした。こういった未曽有の事態に国民に寄り添い、語りかけてくださる天皇皇后両陛下を頂きたいと願うのは、国民の自然な期待だと思います」 (京都大学名誉教授・中西輝政氏)
・「宮内庁から発表される両陛下の穏やかな後日常とは、天皇陛下が稲作をなさり、皇后さまが養蚕をなさるお姿です。謙虚さのある慎ましい生活を国民と共に歩まれるお心の現れではないでしょうか」 (作家・三浦朱門氏)
・「憲法を尊重し、伝統に学び、現代にふさわしい皇室の在り方を求める、という三本柱を明確に捉えておられました。中韓を含めた外国訪問や、昭和天皇が果たされなかった沖縄慰問にも強い意欲があるということをご自分の言葉で語られた。
現在の皇太子にこれほど立派な、"所信表明"ができるでしょうか。どこか平板に見える皇太子のお言葉には、内なる強い決意といったものが見えません。国民が感じるのは、療養の続く雅子さまに配慮しつつ、思春期特有の不安定さを抱える愛子さまを守るのに精一杯な、夫や父のイメージだけです。日本悠久の歴史の中でたった一人、第百二十六代の天皇になられるお方として、崇高な視座をお示し頂きたいのです」 (皇室ジャーナリスト・松崎繁弥氏)
・「1945年11月7日、皇太子殿下と私たちは疎開先の国鉄日光駅から特別列車に乗って東京に帰ってきたのです。原宿の皇族専用プラットホームに降りると、一面焼け野原で何もなかった。(中略)
平和な時代にお育ちになった今の皇太子殿下は、先の大戦について実感を持たれることが難しいのかもしれません。お言葉を拝見するとご家庭などに対する内向きなお優しさが目立っているように思いますが、日本の近現代史をより深く学ばれて、拠り所となるご活動をなさることが今後の課題でしょう」 (天皇と学習院初等科の同学年、明石元紹氏)
・「沖縄をはじめ、広島や長崎、東北の被災地など傷ついた国内への暖かい目配り(両陛下)によってどれほどの国民が癒されてきたでしょうか。一方で皇太子は昨年の会見で、地球温暖化や生物多様性の減少などの世界の問題に触れていました。もちろん大事なことですが、順番が違うのではないか、という印象が拭えません」(前出千代田関係者)
・(天皇の周囲には、皇太子時代からその信念を支え仕えた"皇室の藩屏"が数多くいたという。)「現在の東宮にも、そうした頼り甲斐のある藩屏たちがいるのならば、『国民は天皇陛下のお言葉とご姿勢に強く心惹かれているのでう。ぜひ皇太子殿下にも、陛下の言行一致の精神を受け継いで頂きつつ、分かりやすく雄弁に発信をしていただきたい』と殿下にご忠言申し上げるべきではないでしょうか。藩屏たるもの、それくらいの矜持を持ち合わせてほしいものです」 (前出・中西氏)
以上抜粋引用。
藩屏(はんぺい)とは、「皇室の守護としての諸侯・諸藩」
東宮御所は小和田氏の取り巻きとも言われる外務省の天下りやカルトなどの職員に入れ替わってしまっているという噂もあり、それでは藩屏などと呼べるものは誰もいないだろう。
ここに書かれていることは会見文書を読んでもなぜか空しい、毎度心に響かない、それがなぜか、という回答がすべて文春記事に書かれているではないか!
週刊文春、有識者たちの辛口のご意見を集めたGood Job!記事だと思う。
陸自配備、賛成が過半数 与那国町住民投票

日本最西端の沖縄県・与那国島(与那国町)で22日、陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非を問う住民投票が実施され、即日開票の結果、賛成票が反対票を上回った。
政府の配備推進を追認した形。外間守吉町長ら誘致派の勝利で、反対派には大きな打撃となった。
賛成票632
反対票445
無効票17
投票率85.74%
賛成票を投じに投票所へ行ってくれた方々に感謝。
単純に6対4、
反対派のほとんどが外国籍やブサヨだったとしても
全体の4割を占めていると考えると勝ったとはいえ単純には喜べない内容・・・

与那国が沖縄のように反対派が勢力を持つ状態でなくてよかった。
中学生や外国人にまで投票権を与えたけど、サヨクは勝てなかった。
でもまだ4割は反対というし、また特亜やカルトの連中を大量移住させてひっくり返すこともありうるから要注意だ。
FNN 与那国島住民投票で陸自配備賛成多数
陸自配備、賛成が過半数 与那国町住民投票
産経新聞 2月22日(日)20時51分配信
日本最西端の与那国島(沖縄県与那国町)への陸上自衛隊「沿岸監視隊」配備の賛否を問う住民投票が22日行われ、賛成票が過半数を占めた。来年3月に部隊配備を完了させる方針の防衛省にとって弾みがついた形。
ただ、駐屯地予定地を縦断する町道の廃止と駐屯地への水道の引き込みについて町議会の議決を得なければ施設整備に支障が生じ、配備反対派は施設建設差し止め訴訟を起こすことも検討しており、なお楽観はできない。
平成21年と25年の町長選も陸自配備を最大の争点とする一騎打ちで、いずれも陸自を誘致した外間守吉(ほかま・しゅきち)町長が反対派を破っており、住民投票は賛成派にとって3度目の勝利にあたる。
住民投票は1284人に投票資格があり、選挙権のない中学生41人や永住外国人5人にも資格が与えられた。投票率は85・74%だった。
ネット書き込みも皆安堵の書き込み:
http://military38.com/archives/42897258.html
良かった
外国籍にまで投票権付与とかとんでもないだけに心配して
8: あ 2015/02/22(日) 21:16:54.10 ID:1IgKXAYiC
与那国島の中学生は賢かった。
9: 名無しさん@13周年 2015/02/22(日) 21:23:30.15 ID:ulTxJcn0S
サヨクが本腰を入れないといいが
心配はつきないね
13: 名無しさん@13周年 2015/02/22(日) 21:50:24.45 ID:3tI9XKA4o
与那国
GJ
上記サイトにコメント:
1.名無しさん:2015年02月22日 22:07 ID:.4LbGKGH0
与那国島のみなさん、最前線の国防をありがとう!
2.名無しさん:2015年02月22日 22:11 ID:FdAmYg5HO
与那国島出身の自衛官は地元に帰れるな
島の人達の就職先も増えるね
3.名無しさん:2015年02月22日 22:11 ID:Dss9E.Rv0
最前線なのに無防備マンとかアホの極みだしな
4.名無しさん:2015年02月22日 22:11 ID:ocEaS.UQ0
売国奴に踊らされなくて本当に良かった、与那国の人たちありがとうございます
5.名無しさん:2015年02月22日 22:12 ID:CynLN5th0
当然の結果だろう
てか早く無人潜水艦の研究を終わらせて配備してほしい
6.名無しさん:2015年02月22日 22:12 ID:XxSIWGbR0
反対票がこれだけあったことを無視するなって言い出すな、これ笑
7.名無しさん:2015年02月22日 22:12 ID:CQ.Bmz9a0
極左に誑かされなくてよかった……
9.名無しさん:2015年02月22日 22:13 ID:xW7VNE4R0
よかった。
12.名無しさん:2015年02月22日 22:13 ID:9uxiU3tC0
13.名無しさん:2015年02月22日 22:13 ID:E2xaHlEU0
14.名無しさん:2015年02月22日 22:15 ID:gRNvD0vb0
15.名無しさん:2015年02月22日 22:15 ID:25xMKe6l0
でも、配備反対派は施設建設差し止め訴訟を起こすことも検討してるということなので、まだまだ油断はできないけど.
16.名無しさん:2015年02月22日 22:15 ID:rvDk.bRl0
17.名無しさん:2015年02月22日 22:15 ID:QxeTqtrF0
与那国の人たちの決断に感謝します
また駐屯する自衛官の方もお疲れ様です
今回の結果にはひとまず安堵したが、ブサヨどもが大量に外国人を送り込みそうで怖いな
18.名無しさん:2015年02月22日 22:15 ID:SLuuU0dx0
国費で与那国高校を作ろうよ。
国境離島にはその程度の国費投入も必要だと思う。
19.名無しさん:2015年02月22日 22:16 ID:rOvu0PZh0
20.名無しさん:2015年02月22日 22:16 ID:Z.spWVSjO
問題は沖縄本島か…
22.名無しさん:2015年02月22日 22:17 ID:X9xynOUe0
まじでブサヨざまぁwwwwwwwww
23.名無しさん:2015年02月22日 22:18 ID:1jDosEQu0
まぁ島だし右翼左翼とか関係なしに
島の有力者同士の対立で◯◯が賛成してるからうちらは反対だって動いてただけかもしれないけどな
24.名無しさん:2015年02月22日 22:18 ID:SFwqhrJL0
上記映像を見ると住民たちが開票をガラス越しに監視している。
私たちの選挙でも不正を許さない住民たちの監視が必要だとつくづく思う。
与那国の住民たちの日本を守る意識の高さに感謝だ。
2015年02月22日
きょうは竹島の日、ニホンアシカは絶滅

きょう2月22日は竹島の日。
竹島の日は、2005年(平成17年)に「竹島の日を定める条例」(平成17年3月25日島根県条例第36号)により定められた。
島根県隠岐郡隠岐の島町の竹島は、1905年(明治38年)1月28日に島根県への編入を閣議決定し、同年2月22日に島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行った(明治38年島根県告示第40号)。
2005年はこの閣議決定および告示から100周年にあたることを記念して、同年3月16日、島根県議会は2月22日を「竹島の日」とする「竹島の日を定める条例」を制定し、澄田信義島根県知事もこれを全面的に支持した。
同条例1条は、「県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。」としている。
ところで竹島にはニホンアシカがいたが韓国が竹島を占拠して以来ニホンアシカは絶滅してしまった。
それを日本が絶滅に追いやったとまた罪をなすりつけている。
竹島の日 竹島のニホンアシカ絶滅
韓国が不法占拠始めて、激減どころが絶滅に追い込んだ。
それを日本が絶滅したと言い張っている。
もうキチガイ相手にできない。
【外信コラム】竹島のアシカ絶滅の真相 韓国は日本のせいにするが…
産経新聞 2月21日(土)13時5分配信
島根県が「竹島の日(2月22日)」を制定してから10年になる。日本では今もこの日はほとんど知られていないが、在韓日本人たちは毎年、島根県で行われる記念行事のことをいまいましげに伝える韓国マスコミのおかげ(?)でちゃんと記憶させられている。
竹島をめぐっては最近、日本政府の「内閣官房領土・主権対策企画調整室」のサイトが、島根県の元小学教諭が作った絵本『メチ(アシカ)のいた島』の動画を紹介したことに韓国側が反発。竹島のアシカを絶滅させたのは日本だとかみついている。
悪いことは何でも日本のせいにするのが韓国の反日手口だが、竹島のアシカだって戦後、韓国占拠の後も存在していたことを伝える資料は多い。島根県竹島問題研究会の下條正男座長が地元の山陰中央新報(1日付)に寄せた論評によると、1970年代の韓国紙は「警備隊員たちの銃撃で絶種」と伝えている。
最近、目にしたWWF(世界自然保護基金)の1977年度報告書では韓国人研究者さえ「最上の保護策は警備隊の島からの撤収だ」と主張している。韓国政府は島を「自然保護区」にし「天然記念物」に指定しているのに、年間20万人もの観光客を上陸させ反日イベントをやらせている。あれじゃアシカも寄りつかないだろう。(黒田勝弘)
アシカの絶滅は、韓国による島根県の竹島侵略以降の話です
まあ、日本がアシカの個体数を激減させ、絶滅危惧種になった事は確かであるのですが、韓国による島根県竹島の侵略後も、たびたび海驢は島根県の竹島で個体が確認されています。島根県竹島は日本領土ですが、韓国に侵略され、施政権が行使できないため、こういった絶滅危惧種の保護ができませんでした。 また、仮に、「竹島韓国領土」の視点に立って考えてみると、絶滅危惧にある海驢を保護せずに頬って置いたのは韓国政府です。本来無人島で季節的に漁撈者が短期滞在していた場所に、守護隊と証した侵略者が常駐するようになって、それまでの繁殖地の環境を変えてしまった事も原因のひとつです。海驢絶滅に対する管理責任が、「竹島韓国領」の視点で考えると発生します。 日本が竹島にて猟を行っていたときは、雌や若い固体は捕獲しない、また、一定区域に禁猟区を設け、底の固体は取らない、などの完全絶滅回避作を捕っていました。 しかし戦前に日本人に雇われた竹島に渡っていた、竹濱の韓国人が、戦後、竹島に入るようになり、そこで、子供や雌の個体まで取って好んで食べてしまったといわれております。とくに若い固体のペニスは精力剤になるので好んでとって食べていたとのことです。(*すみません、この話については出典を失念しましたので再調査します) また、Scapin指令による日本領土竹島の爆撃訓練地指定を受けた事も関係があるかもしれません。 そして竹島近海の名称を「アシカ礁」に韓国が決定したそうだ。 でもなんで日本の名前、「アシカ」と名付けるの? 竹島は韓国のものと言っていながら、そこが浅はか。 |
韓国が竹島近海の名称を「アシカ礁」に決定!
そしていつもの通りソウルでは抗議集会で火病状態。
「竹島の日」 韓国ソウルの日本大使館前で抗議集会
稲毛新聞 「我国は国連支配下の植民地である」
日本一小さな新聞社だが、真実を追求する内容は大手新聞社をはるかに上回っている。
今月の論説委員の記事も真実だ。
| 主張 我国は国連支配下の植民地である |
| 稲毛新聞論説委員 入野 守雄 |
国連(United Nations)は連合国組織で国際の言葉はない。国際連合と訳すのは愚かな日本だ。共産シナ(Shina China)は連合国軍組織と訳す。シナを蔑視語というならSがCに変わったチャイナも差別語になる。我国だけにシナと言うなは屁理屈だ。 |
社長ひとりで運営している。
私が好きなこちらのブログでも過去に取り上げていた。
稲毛新聞の主張は真実だが、朝鮮系の団体による何らかの圧力が懸念される。昔からこの手の言論弾圧は日常茶飯事だ。
政治家や知識人、マスコミがテレビなどで在日朝鮮人(韓国人を含む)に都合の悪いことを発言すると、民潭、総連、街宣右翼、在日ヤクザなどが自宅に押しかけ、恐喝や恫喝を繰り返すのは、もはや常識といっても良い。そうやって彼らは日本人の意見を封殺し、マスコミや役所の在日枠を獲得し、数々の在日特権を享受してきたのである。
稲毛新聞の記事は真実だが、それゆえに抗議や圧力が心配である。言論の自由は気安く使われる言葉だが、実際にはネットの中の個人レベルでしか言論の自由は存在していない。大手マスコミが唱える言論の自由とは、偏向報道、反日プロパガンダの自由であり、安全保障上、無制限には認め難いものである。
稲毛新聞は日刊ではなく、月一程度で発行されるフリーペーパーの弱小地方紙だが、千葉市長選挙が近いので、郷土愛が高まってつい真実を書いてしまったのだろう。地方紙ならではの身軽さなのだろうが、この記事の影響で部数が増えたら、ちょっと面白いことになるかもしれない。
日本の大手メディアの
腐敗には耐え難いです
稲毛新聞こそ
真のジャーナリズムですね
2015年02月21日
映画 「フォックスキャッチャー」

アメリカ三大財閥のひとつデュポン家に起こった実際の話を映画化したもの。
ジョン・デュポン、デュポン財閥の資産相続人がレスリング競技に力を入れ、莫大なお金を投資して選手を育てる。
1997年に彼は友人でありレスリングのフリースタイル金メダリストであるデイヴ・シュルツを殺害してしまう。
映画 『フォックスキャッチャー』予告編
映画 『フォックスキャッチャー』特報
映画『フォックスキャッチャー』(原題Foxcatcher)は、実話に基づく作品だ。心に問題を抱えた米国の富豪ジョン・E・デュポンと、レスリングの元金メダリスト、マーク・シュルツ選手との関係を軸に、緊迫感の漂うストーリーが展開される。
デュポンは、米国の三大財閥ともされるデュポン家の一員だ。デュポン家は、1800年代に黒色火薬工場としてスタートし、世界屈指(世界第3位)の化学会社へと成長したデュポン社を所有している。
デュポンは広大な自分の屋敷をレスリングチームに提供し、マーク・シュルツとともに、1988年に韓国ソウルで開催されるオリンピックに向けて、圧倒的に強いレスリング代表チームをつくり上げようと努力する。
しかし、最終的にそれは悲劇に終わった(マークの兄で、やはり元金メダリストであるデイヴ・シュルツがチームのコーチとして参加したが、デュポンは1996年にデイヴを射殺。精神障害者向けの医療刑務所に収監され、2010年に同施設において72歳で死亡した)。
解説
「マネーボール」「カポーティ」のベネット・ミラー監督が、1996年にアメリカで起こったデュポン財閥の御曹司ジョン・デュポンによるレスリング五輪金メダリスト射殺事件を映画化し、2014年・第67回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したサスペンスドラマ。
ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得したレスリング選手マーク・シュルツは、デュポン財閥の御曹司ジョンから、ソウルオリンピックでのメダル獲得を目指すレスリングチーム「フォックスキャッチャー」に誘われる。
同じく金メダリストの兄デイブへのコンプレックスから抜けだすことを願っていたマークは、最高のトレーニング環境を用意してくれるという絶好のチャンスに飛びつくが、デュポンのエキセントリックな行動に振り回されるようになっていく。
やがてデイブもチームに加入することになり、そこから3人の運命は思わぬ方向へと転がっていく。「40歳の童貞男」のスティーブ・カレルがコメディ演技を封印し、心に闇を抱える財閥御曹司役をシリアスに怪演。メダリスト兄弟の兄をマーク・ラファロ、弟をチャニング・テイタムが演じた。
| 原題 | Foxcatcher |
|---|---|
| 製作年 | 2014年 |
| 製作国 | アメリカ |
上映時間: 135分
ジョン・デュポン役(スティーヴ・カレル)、コメディアンと聞いて驚いた。何を考えているかわからない無表情のデュポン役をよく演じている。
写真はデュポン役とイメージがまったく違う。
スティーヴ・カレル(Steve Carell, 1962年8月16日 - )は、アメリカ合衆国のコメディアン・俳優・脚本家。マサチューセッツ州出身。
マサチューセッツ州アクトンで育つ。父親は電気関連のエンジニアであった。イタリア、ドイツ、ポーランドの血を引く。
学生時代より即興劇団で活動し 、オハイオ州グランヴィルのデニソン大学を卒業後、シカゴのコメディ劇団セカンド・シティに参加。在籍時はいくつかのコメディ劇団との共演舞台に立った。その後、脚本家兼俳優としていくつかのテレビ番組の仕事をする。
プライベートでは女優のナンシー・ウォールズと結婚し、2人の娘と1人の息子がいる。
2009年11月、経済誌『フォーブス』が「アメリカのテレビ界で最も稼いでいる男性」のランキングを発表し、2008年6月から2009年6月までの収入が2,100万ドル(日本円で約18億9000万円)で5位にランクインした。
マーク役(チャニング・テイタム)
チャニング・マシュー・テイタム(Channing Matthew Tatum, 1980年4月26日 - )は、アメリカ合衆国の俳優。
学生時代はアメリカン・フットボールや陸上競技、バスケットボールなど、様々なスポーツをしていた。
1998年にフロリダ州タンパ市内の高校を卒業し、ウェストバージニア州のグレンヴィル・ステート・カレッジに進学するが中退。実家に戻り建設関係やセールスマンの仕事をしていた。また、この時期にストリップ・クラブでストリッパーとして働いていた。その後マイアミに移るが、スカウトされてモデルとして働き始める。
『ステップ・アップ』で共演したジェナ・ディーワンと2008年9月に婚約、翌年6月11日に結婚[10]。2012年12月、来年第一子が誕生予定であることが報告された。
デイヴ・シュルツ役(マーク・ラファロ)
マーク・アラン・ラファロ(Mark Alan Ruffalo, 1967年11月22日 - )は、アメリカ合衆国の俳優。身長175cm。
ウィスコンシン州ケノーシャにて、イタリア人とフランス系カナダ人の血を引く両親の間に生まれる。父親は建設塗装工、母親は美容師[3][4][5]。3人の兄妹(タニア、ニコール、スコット)がいる。
9年間、バーテンダーとして生活をしながら、ロサンジェルスのステラ・アドラー・コンサヴァトリーで演劇活動を行う[3]。舞台で活躍していたが、2000年の『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』でローラ・リニーの弟を演じて注目され、モントリオール世界映画祭主演男優賞とロサンゼルス映画批評家協会賞ニュー・ジェネレーション賞受賞。
2006年には舞台『Awake and Sing!』でトニー賞にノミネートされた[3]。
2010年には映画『キッズ・オールライト』でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。
2000年にフランス系アメリカ人女優のサンライズ・コイグニーと結婚。2001年に長男(キーン)が、2005年に長女(ベラ)が、2007年に次女(オデット)が誕生している 。
2002年には聴神経腫瘍と診断され手術した(良性腫瘍)。このため、出演予定だった映画『サイン』を降板している。顔の一部に麻痺が残ったが、現在では回復している。
財閥デュポンについて興味があり、調べてみた。

ジョン・エルテール・デュポン(John Eleuthere du Pont, 1938年11月22日 - 2010年12月9日)は、かつてデュポン財閥の資産相続人の一人であり、殺人で有罪判決を受けた人物である。
いくつかの本を書いた鳥類学者でもあり、貝類学者、切手蒐集家、スポーツ支援者やコーチとしての顔も持っていた。慈善事業としてデラウェア自然博物館を設立し、いくつもの施設に寄付を行ってもいる。
1980年代に五種競技に興味を抱いたことから、所有するフォックスキャッチャー農場にレスリング施設を建設する。彼はアマチュアスポーツの支援者、アメリカレスリングチームの支援者として有名であった。
1990年代には彼の突飛な行動や強迫性障害的行動は友人らに心配されるほどになっていたが、彼は莫大な資産を持っていたためにそのことが表に出ることはなかった。
1997年に彼は友人でありレスリングのフリースタイル金メダリストであるデイヴ・シュルツを殺害する。
2014年には映画『フォックスキャッチャー』において、スティーヴ・カレルがデュポンを演じてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
私生活:
1983年9月3日、45歳のときにデュポンは29歳のセラピストであるゲール・ウェンクと結婚する。彼が自動車事故で負傷したことが出会うきっかけとなった。しかし二人が一緒に暮らしたのは6か月にも満たず、デュポンは結婚後10か月で離婚を申し立てた。
ウェンクは、デュポンが拳銃を自分に向けたり自分を暖炉に突き倒そうとしたとしてデュポンに対し500万ドルの請求を起こした。1987年に離婚は成立し、デュポンはウェンクを自らの資産の相続人から完全に排除した。1987年時点でデュポンが持つ資産は2億ドルに達していたという。
デイヴ・シュルツの殺害:
1996年1月26日、デュポンはデイヴ・シュルツを射殺した。自身の800エーカーの私有地内にあったシュルツ家の私道においてである。シュルツの妻であるナンシーとデュポン警護の責任者であったパトリック・グッデールがその場におり、現場を目撃していた。デュポンがシュルツに3発の銃弾を撃ち込むのを、グッデールはデュポンの車の助手席から見た。警察は殺害の動機を見出すことが出来なかった。シュルツは長らくデュポンのレスリングチームのコーチを務めており、デュポンがアルコール中毒を克服する手助けすらしていたのである。
デュポンは「心神喪失による無罪」を主張した。この主張は裁判において却下され、1997年2月27日に陪審によって第三級謀殺(Third-degree murder、故意はあるが計画性のない殺人)の有罪であるが同時に精神疾患を患っていると評決された。
陪審の「有罪であるが精神疾患を患っている」という評決は、判決が裁判長であるパトリシア・ジェンキンスに差し戻されることを意味していた。5年から40年の実刑判決が選択できるなかで、ジェンキンスはデュポンに13年から30年の収監を宣告し、ペンシルベニア州で最も警備が最低限なマーサー刑務所に収監が決まった。
陪審による評決後、デイヴの未亡人であるナンシー・シュルツは夫の不当な死についてデュポンに訴訟を起こした。和解内容は明らかになっていない。フィラデルフィア・インクワイアー紙は匿名の情報源を引いて、デュポンがシュルツ夫人に少なくとも3500万ドルを支払ったであろうと報じた。
デュポンは2010年12月9日、慢性閉塞性肺疾患と肺気腫により72歳で亡くなった。ペンシルベニア州政府矯正局の広報担当者は、デュポンがローレルハイランド刑務所のベッドで動けずにいるところを発見されたと発表した。サマセット共同病院において死亡が確認された。
デュポンは彼の遺言通り、フォックスキャッチャーの赤いレスリングジャージに身を包んだまま埋葬された。
フォックスキャッチャー農場
母の死後、デュポンは父が持っていた競走馬にちなんで、リスター農場を「フォックスキャッチャー農場」と改名した。母の事業をほぼそのまま継承したが、レスリング施設とそれに付属する建物を新たに建設した。
デュポンの逮捕後、家畜と共にデラウェア自然博物館の経営権も人手に渡った。農場の跡地の一部には米国聖公会の寄宿学校が建てられたが、400エーカーを超える部分は今も手つかずのままである。
2013年に邸宅は解体され、跡地に400の家が建てられる予定で「リスター地所」と名づけられている。ほとんどの建物は取り壊されてしまったが、7000平方フィートある古い納屋が新規造成地区の会館として使用されるという。
真相がよくわからなかったが、なかなか興味深いストーリーだった。








10.名無しさん:2015年02月22日 22:13 ID:5ohDjQxJ0