2015年08月
2015年08月29日
紀子さまと佳子さま、高校生手話大会にご出席

秋篠宮妃紀子さまと佳子さまは29日、都内で高校生の手話によるスピーチコンテストに出席された。
開会式では、学生時代から手話の勉強を続けられている紀子さまが手話を交えて挨拶された。
佳子さまは高校生のスピーチを真剣な表情で聞かれていた。
(日テレニュースより)
「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」に臨席された紀子さまと佳子さま=29日午後、東京・有楽町(代表撮影)
FNN 秋篠宮妃紀子さまと佳子さま、手話のスピーチコンテストにご出席

高校生手話コンテスト 紀子さまと佳子さま出席
8月29日 17時00分
このコンテストは、手話の普及や福祉の人材育成につなげようと、聴覚障害者の団体などが毎年開いていて、秋篠宮妃の紀子さまと次女の佳子さまも出席されました。
開会式で紀子さまは手話を交えながらあいさつし、「聴覚障害者の大切なことばである手話に対する理解がさらに深まり、皆が心豊かに暮らせる社会が築かれることを願っています」と述べられました。

コンテストでは、全国から選ばれた高校生10人が、手話を通じたこれまでの体験や将来の夢などについて、豊かな表情と手話でスピーチし、今回初めて出席した佳子さまも熱心にご覧になっていました。
審査の結果、「失敗を恐れずに挑戦し、社会に貢献できる人間に成長したい」と訴えた、愛知県の高校3年生、佐藤梨江さんが1位に選ばれました。
手話の時はアクセサリーを一切付けず、装いもダークな紺色で気遣われていらっしゃる。

昨年は長女の眞子さまがこのコンテストに臨席し、手話を使ってあいさつをした。
美智子さまはピアノを披露。でも草津でプロの音楽家と弾くピアノはご自分の満足ではないのか。福祉ではないのでは。
紀子さまの手話は聴覚障害者の大切なコミュニケーションであり、紀子さまが手話で述べられた通り、心豊かに暮らせる社会を築くためのもの、手話に対する理解を深めることに努力を惜しまない。
そして、お母さま妃殿下に習い、眞子様・佳子様も習われていらっしゃる。
秋篠宮家の女性たち、完璧に天皇家と東宮家を超えられた。
日本を代表するこの方たちこそ尊敬を集める皇族では。
2015年08月28日
コルマール事件
昨年皇太子さまのスイス訪問に合わせて取り上げた記事に書いたのだが再度あげることにする。
画像も追加した。
2014年6月20日
「皇太子さま スイス訪問中」
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html
ところで舞台はスイスではないが、同じヨーロッパでのコルマール事件というのをご存じだろうか。
「ドス子の事件簿」より(このサイトは削除されている)
http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%B3%A5%EB%A5%DE%A1%BC%A5%EB#content_1
「アルザスの恋」
フランス東部アルザス地域圏の一地方都市。浩宮徳仁親王と小和田雅子が昭和59年(1984年)に出会っていたという説がある土地である。徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早いことになる。
昭和天皇を始めとする千代田関係の人々から皇太子妃としては不可と判断が下されていた小和田雅子に、何故徳仁が強い執着を見せたのか? それはコルマールで彼がハニートラップに嵌められていたからでは、とする説も2ちゃんねるあたりで囁かれている。
週刊ポスト1989・7・7号 スクープ:
•2度にわたるフランス国内旅行
ヨーロッパ・アルプスには、モンブラン、アイガー、マッターホルンといった世界有数の高山が集まっている。フランスからスイス、イタリア、ドイツを経てオーストリアにまたがるこの山脈は、その山麓に多くのリゾート地を持っている。
なかでもイタリア国境にほど近いフランス・サボア地方の小村、メリベルは、最高級リゾート地として知られている。ここは、ヨーロッパの王室関係者や政治家、映画スターといった著名人が集うことでも有名だ。
これまでほとんど日本に紹介されることのなかったこのリゾート地のメリベルで、五年前、日本人の一団がクリスマスを過ごしていた。その一団とはオックスフォード大学マートン・カレッジに留学中の浩宮、現在の皇太子徳仁とその一行である。
当時この旅行は、皇太子のプライベートなスキー旅行としか発表されなかった。しかし、このプライベート旅行に関与したある関係者は、単なるスキー旅行ではなかったという。
「これはまったく知られていない事実なんですが、この旅行のなかに皇太子殿下のお妃選びにおける重大事実が隠されているんですよ」
と前置きして、この人物はこう語り始めた。
「メリベルでの皇太子殿下は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも、大胆に滑られた。われわれ日本人関係者が心配するほどでした。
そういう意味では、間違いなくスキー旅行だったのですが、実はこの時、一行の中に殿下の意中の女性――日本でもその後、最有力妃候補としてとりざたされた小和田雅子さんが参加していたんです。しかも、この年、殿下はフランス国内を二度に渡って小和田さんを伴って旅行しているんです」
一瞬、耳を疑うほどの証言である。
ある皇室関係者が語る。
「この旅行をきっかけに皇太子殿下の小和田さんに対する思いが募るようになったのです。つまり“恋心”を抱かれたのです。その後、小和田さんをひとりで東宮御所に招いたり、たいへんな気の入れようでした。皇太子妃がなかなか決まらないのは、いまでも殿下が小和田さんに強い思いを抱いているからに他ならないんです。
もし、87年の昭和天皇の体調急変がなかったら、おそらく小和田さんは7月には留学されず、いまごろ成婚は実現していた可能性もあります」
皇太子の小和田さんに対する“思い”を決定づけた、この84年の二度にわたるプライベート旅行の“内容”は、前出の関係者によると次のようになる。その内容を見ると、この旅行が皇太子妃選びにおいて、重要なウエートを占めているかがよくわかる。
(1)12月のスキー旅行は、クリスマスと新年をメリベルで過ごし、9月の旅行は主にアルザス地方のワイン街道に沿った小都市を回る旅だった。
(2)旅行には、小和田さん以外に中年女性も加わっていた。
(3)この二回の旅行で、皇太子と小和田さんは、互いの価値観や意志を確かめあった。
まさに、関係者しか知りえない詳細さといえよう。
日本で一般公開された資料や報道を調べうる限り調べた結果、この9月、12月の二度にわたるプライベート旅行については、『朝日新聞』が12月の旅行についてのみベタ記事で報じているにすぎなかったことが判明している。
公にされていない、関係者のみが知りえる旅行スケジュール――。五年前にとりおこなわれたこの極秘旅行に、本当に小和田さんは同伴していたのか。そのあとを実際に歩き、足取りを追跡することにした。すると、そこには実に、衝撃的な事実が待受けていたのである。
(続きは上記サイトへ)
つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。
そして新婚間もない1999年12月東宮夫妻ベルギーへ出発。
1999年12月4日、フィリップ王太子結婚式に参列。用意してきた赤い衣装がレッドカーペットと色かぶりするため、土壇場で変更したロイヤルブルー衣装が周囲欧州王族貴族たちから浮きまくり。
•デュルビュイへ100km近い道のりを、グルメ旅行のため鉄道or陸路で長距離移動
結婚式の写真。
ロイヤルブルー(royal blue)を着た雅子さん。
紫を帯びた深い青色。
かつては英国王室のみが使用することを許されていた色、英国王室の権威を象徴するシンボルカラー。
どこに行っても失態ばかりの雅子さん。今回もスイスに同行しないで恥をさらけ出さずに済み、正解かも。
ベルギーのレストランにて食べかけ大皿交換し、記念写真で「Prince Naruhito et son epouse Masako Owada(徳仁皇子と彼の妻小和田雅子)」と記録され貴賎結婚認定される事件
店に掲げられた写真には
「Prince Naruhito et son epouse Masako Owadaですか・・・・
アメリカなどと違って、さすがに古い王室のある国は厳しい。
明らかに雅子を一段見下げた、痛烈な書き方ですね。」
この書き方では「貴賎結婚」扱いです。
貴賎結婚というのは、たとえば王族と平民女性が縁組した場合です。
正式に結婚はできますが、配偶者でありながら平民出の妻には称号は付与されず、
ただの「夫人」つまりSon Epouseというわけ。まさに「皇太子夫人」ですよ。
それだけでなく、その結婚でできた子供には王位・爵位の継承権がありません。
つまり、嫡出子でありながら準庶子扱いです。
貴賎結婚の代表例は、ウィンザー公とシンプソン夫人が有名ですね。
王冠とひきかえに「公夫人」の称号はかろうじて得ましたが、たとえ
お子さんが生まれてもイギリス王位継承権はなく、長く国外追放も同然の暮らし
でした。
なぜなら、
フルコース二人とも別々のメニューを注文したことから始まります。
お互い「おいしいですよ。」と言い合ったまではよかったが
あろうことか、三ツ星レストランで食べかけの皿を
交換し、お互いの食べかけを胃に収めたのでした。
レストラン側は超のつくマナー違反にびっくりぎょうてん、
あわてて新しくつくり直してお出しするも
そういうつもりじゃなかったと作り直しに手をつけなかった。
とんでも行動があったのです。
おかげで人の食べかけ食べちゃった皇太子も
「ハーロイヤルハイネス」の称号を剥奪されましたとさ。ちゃん、ちゃん。
ハーフポーションで全部って頼み方すらできないバカップル。
そして雅子さん、ベルギー王室に日本の皇室のことを愚痴ってしまった。
「これまで外国に行けなかった」とベルギー王家の方に雅子愚痴る→後日、天皇皇后両陛下の耳にも入り、さあ大変・・・」
確かこの後、第一子を妊娠していたが、流れてしまったというニュースがあった。
この時のお子さんは親王だった可能性あり。
神様の采配か。
常陸宮両殿下、美智子様の検査の陰でご無事に退院
常陸宮華子さまが銀座松屋デパートへいらした時の映像をコメントからいただいた。
なにごともなく、ご無事に退院なさったことが報じられ、安堵した。
あちらは大騒ぎの検査だったが、原爆記念日に検査してなんともなく、怒涛の如くの鑑賞。常陸宮殿下の方がよほど心配なご入院だった。
常陸宮さまがご退院
宮内庁は11日、東京・広尾の日赤医療センターに入院していた常陸宮さまが同日午前に退院されたと発表した。7月31日に38度台の発熱があったためご入院。せきも出ており、肺炎との診断を受けられた。点滴や投薬治療で症状が回復されたという。
こちらは2007年11月に日立、高萩両市の施設を視察された時の画像。
http://blog.goo.ne.jp/gomitaro_1940/e/bf8be47b13a15776e642ea5e74ca5e77
2007/11/9、常陸宮ご夫妻が「ねんりんピック」のご出席などのため来県し、日立、高萩両市の施設を視察された。
車は見えているところ、二台のみ。
国民宿舎「鵜の岬」に到着、玄関先にもお迎えの旗の波
両殿下のお写真をいくつかどうぞ。
2011年東日本大震災の後、2011年6月岩手県を訪問、被災者の方々を励ますと共に被災ペットを預かるNPO団体「動物いのちの会いわて」も訪問なさったそうだ。
このお写真は被災地ご訪問かどうか、わからないが。
とても和やか。
私も加入している日本動物福祉協会の名誉総載を務められる華子さまはスタッフを激励し、ペットの頭をなでられたそう。
左は神戸の被災ペット愛護センターをご訪問した時のもの。
常陸宮両殿下は愛犬家でたくさんの愛犬たちとのお写真もある。


2015年08月27日
皇后さま、2年ぶりにピアノ演奏を披露 草津

皇后さま、きょう軽井沢から草津へ移動、2年ぶりにピアノを披露された。
歌っているのはイタリア出身のソプラノ歌手、ジェンマ・ベルタニョッリさん。リヒャルト・シュトラウスの歌曲「あした」を演奏。
ANN ご静養中の皇后さまがピアノレッスン
FNN 皇后さま、世界的音楽家とピアノの演奏楽しまれ
NNN 皇后さま、2年ぶりにピアノ演奏を披露
音楽祭のコンサート会場に到着された天皇、皇后両陛下=27日午後、群馬県草津町(左)
音楽祭のワークショップでピアノを演奏される皇后さま=27日午後、群馬県草津町(下)
産経ニュース
2015.8.27 20:04
皇后さま草津でピアノをご演奏
長野県軽井沢町で静養していた天皇、皇后両陛下は27日、群馬県草津町に静養先を移し、「第36回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」のコンサートを鑑賞された。
これに先立ち、皇后さまは会場近くで世界的な音楽家から指導を受けるワークショップ(体験型講座)にも参加し、ピアノのレッスンに臨まれた。イタリア出身のソプラノ歌手、ジェンマ・ベルタニョッリさんの歌声に合わせてリヒャルト・シュトラウスの歌曲「あした」をご演奏。演奏の合間には英語で熱心に言葉を交わし、曲調などを確かめながら練習されていた。
レッスン修了後、記者団からご体調を問われた皇后さまは「大丈夫です」と話された。
ジェンマ・ベルタニョッリ Gemma Bertagnolli (soprano)
プロフィール:
イタリア・ボルツァーノに生れる。AsLiCoコンクール、フランシスコ・ヴィニャス国際コンクールで優勝。
ミラノ・スカラ座、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場、パリ・シャンゼリゼ劇場、ローマ・オペラ座、フィレンツェ五月音楽祭、チューリッヒ歌劇場、ローマ・聖チェチーリア音楽院、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ポツダム・サンスーシ音楽祭、ザルツブルク音楽祭、ウェクスフォード音楽祭等、主要オペラハウスや劇場、音楽祭に多数出演している。
イタリア人コロラトゥーラ・ソプラノのジェンマ・ベルタニョッリは、ヨーロッパの主要オペラハウスで活躍する名歌手として知られ、特にバロック音楽で高い評価を受けている。
皇室掲示板には、
・手が痛い肩が痛いと大騒ぎしてた年も草津のピアノは欠かさなかった。
・大好きな外人と一緒だとご機嫌で、痛い痛いの症状がでないんでしょうね。
・この人老いても目立つことが大好きだよなあ
・静養中なのに人前に出てピアノなんかやらされて全然静養じゃない
・心臓が心臓がって大騒ぎしてたのはなんだったんですか?
・御所でいくらでも権威呼びつけて弾けるだろうに
庶民の貴重な時間奪ってまでしゃしゃり出てうざいんですけど。
・目立つの命!国民はアテクシを見て励まされる!
・命がけでピアノ弾くアテクシ!さあ見てみて!!!
皇后さま、紀子様を呼んで佳子様が目立つのを注意した、と書かれていたが、そんなこと紀子さまに注意しても仕方ないのでは。
最近の美智子さん、なんか意地悪そうなお顔のようで・・・
それにあの東大病院での検査に7時間もかからないという。東大病院で謎の7時間誰と密談していたのか?と書かれているのが気になる。
無題 Name 名無し 15/08/27(木)00:16 ID:EGZfaBh2 No.1408195 [返信]
「CT検査なら宮内庁病院にもある。それつかえばいいのにわざわざ東大まで出向く。
東大にだれかやばいヤツでも呼んで売国の相談に忙しいんだろ。
宮内庁病院は宮内庁管轄だから病院に誰が来て、美智子と会ったとか
全部記録に残る。だから使いたくないんだろ。もうミエミエだよ。」
| … | 無題 Name 名無し 15/08/27(木)00:42 ID:EGZfaBh2 No.1408221 「つまり美智子は東大病院で 謎の7時間をすごしている。 |
>「つまり美智子は東大病院で 謎の7時間をすごしている。
色々密談するには充分すぎる時間だとおもう。
そして最後に天皇がきてそれを確認させて終わったんじゃないか?
「法曹テニス」
「左翼のコンサート」
...実は、「検査」まで「反日.売国会議」?
村山 元.首相も真っ青の、高齢なアクティブ左翼だね!
無題 Name 名無し 15/08/27(木)02:55 ID:Ecl2l2yM No.1408268 >MRIの検査時間はどの位かかりますか? |
| … | 「順番」とか「待ち時間」とか関係ない御身分で? Name 名無し 15/08/27(木)02:59 ID:Ecl2l2yM No.1408270 >今宮内庁HPみたら当日のスケがすでにうpされてて |
| … | 無題 Name 名無し 15/08/27(木)05:12 ID:TnhsKgrQ No.1408306 >...どちらにしろ、ミッタンは |
検査は8月8日、安倍総理の70年談話と陛下のお言葉が出る前。陛下は「反省」というお言葉を入れた。
さては誰かと密談?
映画 「「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」
原題は、
"THE SALT OF THE EARTH "
解説:
『パリ、テキサス』などのドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダース監督がメガホンを取り、高名な写真家セバスチャン・サルガドの足跡に迫るドキュメンタリー。彼の息子ジュリアーノ・リベイロ・サルガドとヴェンダース監督が、セバスチャンが2004年に開始したプロジェクト「Genesis」の魅力をひもといていく。ガラパゴス諸島やサハラ砂漠など120か国にも及ぶ場所で撮影を敢行。何かが訴え掛けてくるような写真に魂を揺さぶられる。
シネマトゥデイ (外部リンク)
あらすじ:
30代で写真の世界に足を踏み入れたセバスチャン・サルガドは40年かけて世界中を回り、何年も費やしたプロジェクト作品を多数発表。写真家であると同時に環境問題にも取り組む彼は、2004年に地球上の最も美しい場所を探すプロジェクト「Genesis」を始める。そして遊牧民のシベリア横断や、熱気球から撮影した水牛の群れなどを写真に収めていく。

セバスチャン・サルガド(Sebastiao Salgado, 1944年2月8日 - )は、ブラジル、ミナスジェライス州出身の写真家。ドキュメンタリー写真・報道写真の分野で活動する。セバスティアン・サルガードと記載されることもある。

経歴:
サンパウロ大学の経済学修士課程を卒業後、エコノミストとして国際コーヒー機構(International Coffee Organization)に勤務。世界銀行のミッションでアフリカを旅し、1973年より本格的に写真家としてスタート。当初はドキュメンタリーよりもニュースのアサインメントを主とした。
アジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどの発展途上国を回り、貧困、飢餓、過酷な労働、難民、内戦などを写し取った作品を多く制作する。
1982年には、ラテン・アメリカのシリーズにより、ユージン・スミス賞を受賞。
1979年からマグナム・フォトに所属。しかし、1994年にはマグナムから離れ、現在は所属していない(マグナム・フォト写真家一覧)。
2003年より渋谷にある日本写真芸術専門学校の名誉顧問に就任する。同学校のフォトフィールドワークコースではサルガドのワークショップも実施している。 2004-2011 「ジェネシス」(創世紀)というプロジェクトに取り組む
1970年、アイリーン・美緒子・スミスと結婚。ともに、チッソが引き起こした水俣病の汚染の実態を写真に撮り、実際に座り込みなどにも参加するなど、世界にその悲劇を伝えた。

1972年1月、千葉県五井にあるチッソの工場を訪問した際に、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った右翼に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生する。
脊椎を折られ片目失明の重傷を負う。この事件でスミスは「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と自らの苦しみを語った。その後『ライフ』1972年6月2日号に「排水管からたれながされる死」を発表し、大きな反響を得た。 スミスの元で助手をしていた森枝卓士も水俣病の取材中に右翼から暴行を受けている。
スミスもカメラを壊された上、
1977年12月、脳溢血で倒れる。翌年奇跡的に回復し、セミナーを行うまでになったが、1978年10月15日にアリゾナ州トゥーソンの食料雑貨店へ猫のエサを買いに来ていた際、致命的な発作を起こし死去。59歳。

江頭豊、世界的写真家をこんなひどい目に遭わせた人間としても最低なひどいやつ。
その孫を皇室に入れてしまい、現在のグダグダの平成皇室になってしまっている。
それなのに皇太子夫妻は熊本へ出かけても水俣に慰霊には絶対に行かない、遊んでばかり。

こちらはハードカバーの高価なサルガドの写真集:
Genesis (英語) ハードカバー – 2013/6/15
感動的な写真がたくさん出てくる、そして政府の無策を訴えている。
感動的映画、ぜひお勧め!

























