女性週刊誌はどうして雅子さんをここまでアゲて書くのだろう。
居合わせた住民たちのコメントが、
・「若くて、きれいだねえ」
・「元気になってよかったぁ」ですと。
この人たち、ほんとうの皇族を知らないのね。
それにビジターセンターの外で待っていた人たちに夫妻で分かれて懇談したのがどうやらえらいことだったらしい。今までできなかったことに驚き。今更できたといってはべた褒めとは。このくらいでべた褒めされたら自分だったらバカにするな!と怒るけど。
二手に分かれて、被災者を励ます両陛下を見習ってやったとのこと:
「皇太子ご夫妻もそれを見習い、引き継がれているのだと思いますが、実行に移せるほど、雅子さまはお元気になっているのだと感じましたね」
そしていつもほめてくれる渡辺みどりさん登場:
・「次の皇后としてのご自覚がより深まり、それがご活動につながった」
・「『長期静養』が発表されて今年の12月で13年となる雅子さまだが、回復傾向にあることは近況からもうかがえる。」なら、学士院受賞式になぜ出られない?
「週に2回の公務は厳しいという医師の判断が……」という趣旨の発言をしたこともあったが、1年4か月ほどでの変化は目を見張るものがある─。
あ〜、この程度で時期皇后の自覚ねえ、とほほ・・・
では、その持ちアゲ記事3連発!
雅子さま、医師判断「週2公務」を覆す次期皇后の"ご自覚"
週刊女性PRIME 6月29日(水)11時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160629-00028864-jprime-soci
6月21日、「三陸復興国立公園 浄土ヶ浜ビジターセンター」に居合わせたおばさまたちの「若くて、きれいだねえ」や「元気になってよかったぁ」といったざっくばらんな問いかけに、そうにこやかに応じられていた皇太子妃雅子さま。
皇太子ご夫妻は6月20日から1泊2日で、東日本大震災の復興状況を視察するため、岩手県宮古市などを訪問されたが、雅子さまが療養に入ってからは見られなかった場面も。
「ビジターセンターでの懇談が終わり、車で出発する直前に、ご夫妻は外で待っていた人たちに予定外のお声がけをされました。
しかも、天皇・皇后両陛下が避難所などでされるようにご夫妻で分かれ、それぞれ懇談されていたのです。
今までは、雅子さまは病気の影響で不特定多数の人と会話をすることが苦手とされていたので、ひとりで人の輪に入っていかれたのには驚きました」(現地で取材した記者)
大きな自然災害が起こるたびに現地を見舞い、人数が多く時間が限られている場合などに、ふた手に分かれ、それぞれ被災者を励まされている両陛下。
「皇太子ご夫妻もそれを見習い、引き継がれているのだと思いますが、実行に移せるほど、雅子さまはお元気になっているのだと感じましたね」(同・記者)
今回は、東京から決してアクセスのよくない宮古市を中心にご訪問。
2日目は、前出・ビジターセンターのほかに、「津波防潮堤」「震災遺構 たろう観光ホテル」「三王団地」などを、ほぼ遅れもなく視察された雅子さま。
皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡辺みどりさんは、こう話す。
「雅子さまは、両陛下が粉骨砕身で各地に赴かれる姿を見て、次の皇后としてのご自覚がより深まり、それがご活動につながっていることはあると思います。
今回の岩手県のように、不幸にあった人たちを励ますことによって、自分が必要とされることがわかり、逆に励まされることもあるのかもしれません」
「長期静養」が発表されて今年の12月で13年となる雅子さまだが、回復傾向にあることは近況からもうかがえる。
「岩手出発の3日前の6月17日に、雅子さまは『ウィーン少年合唱団』のコンサートに臨席されました。
12日には日帰りで千葉県の『みどりの愛護』に出席し、2週連続の地方公務をされたことになり、岩手は宿泊を伴うものとなりました」(宮内庁担当記者)
昨年2月には、当時の東宮大夫が雅子さまについて、
「週に2回の公務は厳しいという医師の判断が……」
という趣旨の発言をしたこともあったが、1年4か月ほどでの変化は目を見張るものがある─。
宮古市から戻った2日後、午前から精力的に活動したという。なにを?なんだ、愛子さんの授業参観ですって!
朝寝坊せずに午前8時半過ぎには皇太子さんと一緒に学校に到着、午後4時近くまで参観した、と。
それがなに?公務でもないでしょう。
「お疲れもコントロールできるほどまでに回復した雅子さまには、実は“当面の目標”があったのではないか」
つまり、「7月3日に、今夏開かれるリオデジャネイロ五輪の日本代表選手団の『結団式』が都内で開かれますが、雅子さまが16年ぶりに臨席することが検討されている」とのこと。また出る出る詐欺ではないの?
雅子さんは'96年のアトランタ、'00年のシドニー大会の際には出席。'04年のアテネからは、欠席が続いているとのことだ。
「結団式当日は、雅子さまの“金メダル級”の笑顔で式も盛り上がり、オリンピック選手たちも勇気づけられるかもしれない」とはずいぶんアゲられたものだ。
雅子さま、復調の先にある「リオ五輪結団式」という大目標
週刊女性PRIME 6月29日(水)16時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160629-00028865-jprime-soci
皇太子ご夫妻は6月20日から1泊2日で、東日本大震災の復興状況を視察するため、岩手県宮古市などを訪問。岩手から帰京した2日後の23日にも、皇太子妃雅子さまは午前中から精力的に活動されていた。
「23日には愛子さまが通われる学習院女子中等科で授業参観があり、雅子さまは午前8時半過ぎには皇太子さまとともに学校に到着し、午後4時近くまで参観されていました」(学習院関係者)
愛子さまの不規則登校が発覚した2年前は、朝8時過ぎから皇太子さまと参観し、昨年はトンガ訪問を控えていたからか皇太子さまにお任せしていた雅子さま。
「現在、女子中等科3年の愛子さまですが、女子高等科からは授業参観はなくなります。
雅子さまは岩手訪問のお疲れが残っていたと思いますが、最後
に参観しておきたいとお考えだったのかもしれません」(東宮職関係者)
お疲れもコントロールできるほどまでに回復した雅子さまには、実は“当面の目標”があったのではないかと、
ある宮内庁関係者は指摘する。
「7月3日に、今夏開かれるリオデジャネイロ五輪の日本代表選手団の『結団式』が都内で開かれますが、雅子さまが16年ぶりに臨席することが検討されているようです。
公的活動に軽重はありませんが、オリンピックという久々の“ハレの舞台”に雅子さまは目標を定めていて、活動の幅が広がっているのではないでしょうか」
オリンピック代表選手らが一堂に会し、皇太子さまの激励のおことばもある華やかなセレモニーに、雅子さまは'96年のアトランタ、'00年のシドニー大会の際にはご臨席。'04年のアテネからは、ご欠席が続いている。
今回は、4年に1度の重要な行事に出席するため、雅子さまのお気持ちも高まり、体調を整えられているのかもしれない。
「今回の五輪結団式が、雅子さまの直近の大きな目標になっていたのかもしれません。
以前からオリンピックなどのスポーツ大会は、ご一家で観戦されています。
また、ご夫妻には障がい者スポーツ大会やインターハイへのお出まし願いが毎年あり、スポーツとの関わりが深く、皇室と五輪の関わりも長い歴史があります」
そう解説するのは、皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。
'13年9月には、高円宮妃久子さまが、国際オリンピック委員会で流暢なフランス語と英語のスピーチをして、'20年の東京五輪開催決定に大きく寄与されたとも言われている。
「東京五輪の際には、雅子さまも愛子さまも、皇族として各国要人をお迎えすることになります。
今回は、それを見据えた五輪行事ということで、雅子さまもお力が入るかもしれません」(渡辺さん)
結団式当日は、雅子さまの“金メダル級”の笑顔で式も盛り上がり、オリンピック選手たちも勇気づけられるかもしれない。
写真: オーストラリアで開催された「シドニー五輪」の結団式に出席された雅子さま('00年8月)
そして三つめ。
「皇太子ご夫妻が、設定以外の懇談や時間を超えて、積極的に対話をすることは過去にほとんどなかった。だからこそ、皇室取材を長く続ける記者たちは、今回の皇太子ご夫妻に何かの兆しを感じたのだ。」
そして最後に「ご快復ぶりを喜びたい」と書かれているが、その割には学士院授賞式とお茶会には欠席、どこが
ご快復?
岩手訪問で予定外のお声がけ 周囲が感じた雅子さま変化の兆し〈週刊朝日〉
dot. 6月30日(木)7時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160629-00000213-sasahi-peo
岩手県岩泉町に立つ小本津波防災センターでは、町の人びとや児童、園児たちが旗を振って、皇太子ご夫妻を歓迎していた。
施設の見学を終えてご夫妻が玄関から出てきた。だが車には乗らない。すっと住民たちに近づき、雅子さまが男性に、声をかけた。
「震災では大変でしたね。ご自宅は大丈夫でしたか」
皇太子さまも同じように住民たちと話をしている。予定外のお声がけは5分ほど続いただろうか。おふたりは予定時刻を少し遅れて車に乗り込んだ。
東日本大震災の被災地視察で、皇太子ご夫妻は6月20日から1泊2日の日程で岩手県を訪問した。
「雅子さまは終始、リラックスした笑顔を見せていらっしゃいました」(皇室ジャーナリスト)
雅子さまの体調の良さが際立つ訪問だったが、普段とは異なるご夫妻の行動があった。それが冒頭のような、予定にない人たちへのお声がけだった。
翌21日は、200人近い死者・行方不明者を出した同県宮古市の田老地区に向かった。ご夫妻は防潮堤の上から海に向かい深い黙礼を捧げた。なかでも雅子さまは、体を90度に曲げ、誰よりも深く頭を下げた。そして、浄土ケ浜ビジターセンターでは、仮設住宅や災害公営住宅の入居者と懇談。本来は、10人と懇談する予定だったが、会場にいた19人全員と言葉を交わした。関係者は、こう振り返る。
「両殿下はずっと中腰の体勢で、椅子に座った入居者と同じ目線で会話を続けていらっしゃいました」
天皇、皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻を思い起こさせるような光景だった。
こんなことがあった。2008年に大分県で開催された全国障害者スポーツ大会。開会式前日のレセプションでは、いつも皇太子さまと選手の懇談がセットされている。皇太子さまは、車椅子に座った選手らと短く会話を交わすものの、懇談の時間を5分ほど余らせて、会場をあとにした。
皇太子ご夫妻が、設定以外の懇談や時間を超えて、積極的に対話をすることは過去にほとんどなかった。だからこそ、皇室取材を長く続ける記者たちは、今回の皇太子ご夫妻に何かの兆しを感じたのだ。
<悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり>
雅子さまは、14年の歌会始に、前年秋に釜石市を訪れた際の想いを詠んだ和歌を選んだ。前に踏み出す歩みはわずかかもしれないが、ご快復ぶりを喜びたい。
※週刊朝日 2016年7月8日号
三つ連続アゲアゲ記事を読んだら、しらけてしまい、どっと疲れが出た。