2018年03月
2018年03月31日
皇太子一家 スキーから帰京 3月末の金曜夕に
なにかにつけて「療養中の」という枕詞が付く雅子さん、元気に1週間スキー滑りまくり、3月の期末の最終金曜日の国民が忙しい最中、交通規制と新幹線とホテル貸し切りして帰ってきた。
使った血税は3千万円と聞く。
国民を敵に回しているほんとうに迷惑な一家。
これが帰京時の画像かな?
(皇室画像掲示板から)
皇太子一家が帰京
日本経済新聞 2018/3/31
皇太子ご一家は30日、26日から滞在していた長野県での静養を終え、帰京された。
下記は皇室掲示板書き込み:
無題 Name 名無し 18/03/30(金)13:37 ID:6WmmKxc6 No.2395091 面白い |
… | 無題 Name 名無し 18/03/30(金)13:40 ID:7Ng34PtE No.2395092 徳仁のも作ってみた |
… | 無題 Name 名無し 18/03/30(金)13:42 ID:UTFkhhxI No.2395094 ↑ |
雅子のを作ってみた。 Name 名無し 18/03/30(金)14:16 ID:YLIGavsI No.2395096
… | 美智子バージョン Name 名無し 18/03/30(金)18:18 ID:liPjUJeQ No.2395178 立てば 墓石 |
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眞子さま結婚延期 続報 29
皇室活動の安定的な継続が目的の女性宮家創設は、天皇陛下と美智子さまの悲願ともいわれてきた?
→ 皇室破壊ではないか!
小室圭との結婚騒動が女性宮家創設を潰えさせたから、紀子さまは美智子さんに気まずい思いをしているですと!
→ 女性宮家創設が不可能となれば、正統な皇統継続維持に繋がり、いきおい、悠仁親王様をお産みになった紀子さまは日本の救世主だと思う。
美智子さんに気兼ねなど一切必要なし!
眞子さま結婚延期で紀子さまが心配する 女性宮家創設棚上げ
Newポストセブン2018.03.2916:00
https://www.news-postseven.com/archives/20180329_663123.html
天皇陛下の傘寿を祝って始まった皇居・乾通りの一般公開(3月24日〜4月1日)が5年目を迎えた。今年も満開のソメイヨシノを一目見ようと、連日長蛇の列だ。
多くの人は、庭園・皇居東御苑にも足を運ぶ。その東御苑の中心から少し北に寄った場所に、一風変わった建物がある。
『桃華楽堂(とうかがくどう)』といい、1966年、香淳皇后の還暦を祝って建設された200人収容の音楽堂だ。キンポウゲ科テッセンの花をかたどった屋根と、八面体の壁に描かれた大きく羽ばたこうとする鳥が、荘厳な雰囲気を醸し出す。周囲に咲き乱れる満開の桜の花は、春の訪れを告げていた。
3月20日、その場所で毎年恒例の「音楽大学卒業生演奏会」が開かれた。東京芸大など5つの大学の卒業生によるピアノやヴァイオリンの音色に、皇后美智子さまや皇太子妃雅子さま、秋篠宮ご夫妻らが耳を傾けられた。
「演奏会は香淳皇后の発案で1971年にスタートし、その後、美智子さまに引き継がれた“皇后の公務”です。これまで、雅子さまも皇太子さまとご一緒に臨席されてきましたが、今回は皇太子さまが『世界水フォーラム』のためブラジルを訪問中。雅子さまおひとりでは出席されないのではないかという不安の声も聞かれましたが、お元気そうな様子でした」(皇室記者)
皇族方が会場に姿を見せられたのは午後3時半過ぎ。美智子さまを先頭に入場されると、観客から大きな拍手がわき起こった。
「美智子さまの右側に雅子さまが着席されました。座られるとすぐ、美智子さまは雅子さまに話しかけられ、それに雅子さまは笑顔で返されていました。これまで、美智子さまの前ではどうしても緊張の色が拭えなかった雅子さまでしたが、その日は微塵も感じさせないリラックスした表情を浮かべられていました」(前出・皇室記者)
対照的だったのは、美智子さまの左側に、秋篠宮さまを挟んで着席された紀子さまだった。
「1時間ほどの音楽会で、曲が終わるごとに、美智子さまは雅子さまや秋篠宮ご夫妻に話しかけられていました。ですが紀子さまだけは、美智子さまの問いかけにうまく反応できていないというか、視線を逸らそうとされていたように見えたのです」(前出・皇室記者)
紀子さまの憂鬱の端緒は、眞子さまと小室圭さんの結婚に浮かび上がったさまざまな問題であることは明白だろう。
◆自由恋愛が皇室を揺るがした
「初孫である眞子さまの結婚の行く末を、美智子さまは大変不安視されているそうです。そんな負担を強いてしまったことに、紀子さまは“合わせる顔がない”と、バツの悪さを感じていらっしゃるようです」(宮内庁関係者)
白いアンサンブル姿で演奏会を鑑賞された美智子さまに色調を重ねられるように、雅子さまはオフホワイトのジャケットにスカート姿だった。一方、紀子さまは灰色がかったスーツ姿。色味の差に、心情の一線が浮かび上がっているようだった。
この3月、小室さんは籍を置いていた一橋大学大学院での課程を終えたという。これで晴れて「学生」という身分ではなくなったわけだが、懸案事項である「経済的安定」の見通しは立っていない。
「小室さんの母・佳代さんが元婚約者との間に抱える金銭トラブルを解決するにも、眞子さまとの結婚後の生活基盤をしっかりとするためにも、現在の年収250万円前後のパラリーガルという働き方では心許ない面があります。宮内庁側が仕事を斡旋するといった案も検討されたようですが、そんなことをすれば世間の逆風はさらに強くなる。しかも、当の小室さん自身が今の働き方で充分と考えているフシもあるそうです」(前出・宮内庁関係者)
眞子さまの自由恋愛が皇室全体を揺るがしている状況にあって、これまでお子さまがたの自由意思に委ねる教育方針を採られてきた紀子さまが、美智子さまに対して恐縮するのは容易に想像できる。
だが、紀子さまはまた別の懸念も感じ取られているようだ。皇室ジャーナリストが続ける。
「女性皇族の結婚の難しさが浮き彫りになったと同時に、『女性宮家創設』の議論が暗礁に乗り上げることは避けられないでしょう。もし女性宮家を創設するとなった場合、女性皇族の結婚相手の男性をどう取り扱うかは議論の余地があるにせよ、完全な民間人というわけにもいかない。ですが、『準皇族』のようにしようにも、将来“小室さんのようにトラブルを抱えた男性だったらどうするんだ”というような声があがるかもしれません。
皇室活動の安定的な継続を念頭に置いた女性宮家は、天皇陛下と美智子さまの悲願ともいわれてきました。ですが、眞子さまの結婚を取り巻く騒動が、女性宮家創設自体を根底から実現不可能なものにしかねないわけですから、紀子さまが美智子さまに対して気まずい思いを抱えられることは当然でしょう」
いまだに紀子さまと眞子さまの間には不穏な空気が流れ、溝は深まり続けているという。
撮影/雑誌協会代表取材
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第1特集
眞子さま結婚延期の真相
週刊誌が先鞭をつけたプリンセス“婚約者”報道――眞子さまの結婚破談は確定か? 過熱する皇室報道とメディア問題
サイゾー premium 2018.03.22
http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2018/03/post_8296/
![1804_makosama1a_300](https://livedoor.blogimg.jp/remmikki/imgs/7/6/760ed950.jpg)
第一報を伝えた「週刊女性」(17年12月26日号)。
――皇室が揺れている――。言うまでもなく、眞子内親王の婚約者・小室圭氏の母親が抱える金銭トラブルだ。現状、宮内庁はこれに対して沈黙を守り続けている中、各週刊誌の報道は過熱する一方ではあるが……。一連の記事を“メディア問題”として考えてみたい。
第一報を伝えた「週刊女性」(17年12月26日号)。
「私たちは、今まで結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて、二人で話し合い、それぞれの親や関係する方々と相談しながら準備を進めてまいりました。しかし、その過程で、現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について、充分な準備を行う時間的余裕がないことを認識するようになりました。」
2月6日、宮内庁より、秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの結婚関係儀式が延期されることが発表された。冒頭の文言は、それに際して示された眞子さまが記したとされるおことばであり、その末尾は次のように締めくくられている。
「私たちは、この度の延期を、新たな生活を始めるための時間を作る良い機会と考え、その時間を大切に、結婚までの期間を過ごしてまいりたいと思います。」
あくまで準備不足のための延期であり、小室家の借金トラブル(後述)を報じた週刊誌報道が原因ではないという宮内庁のアナウンスだが、それを額面通り受け取ったメディアはなかった。
週刊誌の皇室担当記者によれば、「今回の問題の発端となった、小室さんの母親の借金問題の第一報を報じたのは『週刊女性』(主婦と生活社)でしたが、その一誌にとどまっていればまだよかった。大きかったのは、その後『週刊文春』(文藝春秋)と『週刊新潮』(新潮社)でもこの借金トラブルが報じられたこと。特に『週刊文春』は、同じ版元の『文藝春秋』誌が、侍従長が寄稿するほどの権威ある雑誌だけに、皇室としても無視することができない」と話す。また、かつて「週刊現代」や「FRIDAY」(共に講談社)の編集長を務めた元木昌彦氏は「特に美智子皇后は、週刊誌をよくチェックしているといわれており、新聞広告を見て気になった記事は、コピーを取り寄せて熟読しているそうです。皇室としても一連の『借金トラブル報道』を無視できなかったのは、そのあたりの事情も関係しているのでは」と話す。
「伏せられた『小室家問題』に『秋篠宮家』が書いた穏やかなる『破談』の台本」(「週刊新潮」2月22日号)、「泣かないで眞子さま、これで良かったよ。『おカネがないのは構わない。分不相応な生活が問題なのです』」(「週刊現代」3月3日号)など、延期発表後の週刊誌には「破談」を意味する見出しなども見られるようになったが、そのトーンは各誌でやや異なると話すのは元木氏だ。
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2018年03月30日
「即位の礼」と「大嘗祭」
政府の式典準備委員会が30日決定した基本方針では、来年の即位儀式は平成の代替わりを基本的に踏襲しつつ、「即位礼正殿の儀」と「大嘗祭」の間隔が前回より空くなど、新天皇、皇后の負担を考慮する形になった。
(時事ドットコムより)
新天皇・皇后の負担を考慮するため、即位の儀と大嘗祭の間隔が空くことになり、これは国家にとって非常事態と竹田氏が訴えている(下記動画解説あり)。
なんであのふたりの負担を考えねばならないのか?
即位儀式もまともにできないなら即位辞退すればいい。
ANN 皇太子さまの新天皇「即位の礼」は来年10月22日に
(18/03/30)(1:19)
ANN「即位の礼」と「大嘗祭」って何? 詳しく解説
(18/03/30)(1:29)
1:10〜 美智子さんの白い十二単、今見ても妖怪みたい。
新天皇・皇后の負担に配慮=即位儀式日程、退位は「簡素」に
時事ドットコム 2018/3/30(金) 14:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180330-00000064-jij-soci
政府の式典準備委員会が30日決定した基本方針では、来年の即位儀式は平成の代替わりを基本的に踏襲しつつ、「即位礼正殿の儀」と「大嘗祭」の間隔が前回より空くなど、新天皇、皇后の負担を考慮する形になった。
憲政史上初の退位儀式は天皇陛下や宮内庁の意向に沿い、簡素化される。
前回の「剣璽等承継の儀」は昭和天皇の逝去から約3時間半後の1989年1月7日午前10時からだった。「即位の礼」の中心儀式「即位礼正殿の儀」は1年間の喪明け後の90年11月12日に、皇室行事「大嘗祭」は同月22〜23日に実施された。二つの重要な儀式が11月中に行われたほか、さまざまな行事が続いたため、土日を含めてほぼ1カ月間休みがない状態だった。
新皇后となる雅子さまが療養中でもあり、宮内庁は今回、スケジュールが過密にならないよう政府に要望した。これを踏まえ、「即位礼正殿の儀」は来年10月22日と決定。同年11月14〜15日に行われる見通しの大嘗祭との間隔が前回より空いた。
4日間で7回開催された「饗宴(きょうえん)の儀」や、2日間で3回開催された「大饗(だいきょう)の儀」は、ともに簡素化される方向だ。
一方、天皇陛下の「退位の礼」では、一般参賀やパレードなどの華やかな行事は行わない。来年4月30日の「退位礼正殿の儀」は、首相の感謝表明に続き、陛下が最後のお言葉を述べた後、剣璽と共に退出される。宮内庁の山本信一郎長官によると、陛下は退位儀式をできるだけ簡素に、皇居・宮殿内で粛々と静かに行いたい意向を示していた。
新天皇の即位を宣言する儀式、来年10月22日に
来月3日に閣議決定し、儀式の具体化作業を加速させる。
朝日新聞 2018/3/30
天皇陛下の退位と皇太子さまの即位に伴う式典準備委員会であいさつする菅義偉官房長官(右手前から2人目)。左端は宮内庁の山本信一郎長官=30日、首相官邸
来春の天皇陛下の退位と皇太子さまの即位に向けて、政府は30日午前に式典準備委員会の最終会合を開き、皇位継承儀式に関する基本方針を決めた。「即位の礼」のうち新天皇の即位を内外に宣言する「即位礼正殿(せいでん)の儀」は2019年10月22日に実施する。来月3日に閣議決定し、儀式の具体化作業を加速させる。
菅義偉官房長官が委員長を務めた式典準備委が決めた基本方針に基づき、政府は今秋、首相が委員長の「式典委員会」を設置。各儀式の実施指針となる大綱を取りまとめる。
基本方針では、「各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統などを尊重したものとする」と明記。平成の代替わりの際には一連の儀式について憲法が定める国民主権や政教分離の原則との整合性が議論となったが、「平成の代替わりの式典は、現行憲法下で十分な検討のうえで挙行された。今回も基本的な考え方や内容は踏襲されるべきだ」と結論づけた。
(朝日新聞デジタル 2018年03月30日 11時46分)
退位と即位 「伝統の尊重」と「皇太子ご夫妻の負担考慮」
NHK News 2018年3月30日 12時41分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180330/k10011385351000.html
天皇陛下の退位と皇太子さまの即位に向けた政府の準備委員会で、宮内庁は、皇位継承に伴う儀式について、皇室の伝統も尊重したものとすることや、皇太子ご夫妻の負担を考慮した日程を組むことなどを求めていました。
「皇室の伝統の基本を守りながら」
このうち、天皇陛下の退位の儀式の検討にあたり、宮内庁は、過去の天皇の実例などについて詳しく調べた結果を準備委員会に示しました。
それによりますと、最後の例である今から200年前の光格天皇の儀式は、関白や左大臣が参列する中、譲位後の住まいで厳粛かつ簡素に行われ、天皇の使いが、皇位を譲る天皇の意思をあらわした「譲位の宣命」を読み上げました。
宮内庁は、天皇陛下の退位の儀式について、象徴天皇制を定めた憲法の趣旨に沿いつつ皇室の伝統も尊重したものとする方向で、内閣官房などと協議を重ねてきました。
その結果、皇居・宮殿の「松の間」に三権の長など国民の代表が参列して厳粛かつ簡素に儀式が行われることや、「譲位の宣命」はなく、総理大臣が特例法に従って天皇陛下が退位することを述べたあと、天皇陛下がおことばを述べられる見通しになりました。
これについて宮内庁は、「皇室が伝統としてきたものの基本を守りながら、現代の象徴天皇にふさわしいものになると思う」としています。
皇太子さまと雅子さまの負担を考慮
一方、儀式の日程について宮内庁は、準備委員会の場で、天皇陛下の即位にあたり「即位礼正殿の儀」が行われた平成2年11月12日から、一連の儀式が終了した12月6日までの期間に、天皇皇后両陛下が、すべての土曜日と日曜日を含め休みなく儀式や行事に臨まれたことなどを説明しました。
そのうえで、新たに即位する皇太子さまと雅子さまの負担を考慮して、「即位礼正殿の儀」を早めに行い、「大嘗祭」までの日程に余裕を持たせるよう求めていました。
今回、取りまとめられた基本方針で、「即位礼正殿の儀」は来年10月22日に行われることになりました。
宮内庁は、「大嘗祭」の中心的な儀式である「大嘗宮の儀」を来年11月14日から15日にかけて行う方針で前回は10日間しかなかった2つの儀式の間隔が、今回は3週間余りに広がることになりそうです。
竹田恒奏氏、天皇空位は国運を傾ける非常事態と訴えている。
退位4月30日、即位5月1日は本当にダメ!天皇空位は国運を傾けますよ!
竹田恒泰チャンネル (17:20)
竹田恒泰
作家
昭和50年、旧皇族・竹田家に生まれる。
明治天皇の玄孫にあたる。
慶應義塾大学法学部卒業。憲法学・史学の研究に従事。
全国に約6,000名の会員のいる竹田研究会代表、財団法人竹田研究財団理事長。
眞子さま 結婚延期 続報 28 「裁可」について 文春オンライン
眞子さま結婚延期報道にストップがかけられたのでは、ということもあったが、久しぶりに続報です。
新たな情報はないが、天皇の「裁可」=「許可」を重く受け止めれば婚約破棄にはならない、という。
それは「一度天皇の裁可を経た婚約を破棄してはいけない」ということ。
しかし、世間の逆風があまりに強いので、破談もあり得るという見方もあると書かれている。
「裁可」について、
「国の方向性を決める重要な政策決定事項は、形式上でも天皇による裁可がなければ効力を持たなかった。それだけ裁可には重みが存在した。そして、皇族の結婚は旧皇室典範第40条に「皇族ノ婚嫁ハ勅許ニ由ル」とあるように、天皇の許可が必要であった。」それほど重いものであった。
つまり「一度天皇の許可を経た婚約を破棄してはいけない」ことという。
その過去の事例を挙げて解説している。
しかし、眞子さまの結婚相手の人選に宮内庁が動いた様子はない。小室氏との「自由恋愛」ゆえの婚約の形である。
そもそも小室家の内情を知らずに「裁可」したのは無効でもよいのではないか、とは現代の勝手な解釈か?
では長文です:
眞子さまと小室圭さんは、天皇の「裁可」後に婚約破棄できるのか?
文春オンライン 2018/3/30(金) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180330-00006778-bunshun-pol
![眞子さまと小室圭さんは、天皇の「裁可」後に婚約破棄できるのか?](https://amd.c.yimg.jp/im_siggTxNaeej9pMvW9wSMSoDbuQ---x400-y283-q90-exp3h-pril/amd/20180330-00006778-bunshun-000-1-view.jpg)
眞子さまの勤務先「インターメディアテク」で、眞子さまから特別展示『植物画の黄金時代――英国キュー王立植物園の精華から』の説明
「結婚延期」を決断した秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さん。2人の結婚については昨年9月3日、天皇が「裁可」(=許可)されたと宮内庁が発表している。だが、過去には天皇が許可された皇族の婚約や結婚をめぐり、複数の“事件”が起きているという。神戸女学院大の河西秀哉准教授が、皇族の結婚と天皇の「裁可」との関係について、改めて論考する。
【写真】小室圭さんと父・敏勝さん
◆
「どこかから圧力がかかったようにしか見えない」
秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの「結婚延期」が報道されたとき、政治思想史学者の原武史氏はTwitterで、「当事者が主体的に決めたのではなく、どこかから圧力がかかったようにしか見えない。大正期の宮中某重大事件を思い出させる」とつぶやいた。私も「宮中某重大事件」を想起した。この事件は、大正期に、裕仁皇太子(後の昭和天皇)と久邇宮良子(くにのみや・ながこ)女王との婚約をめぐって元老の山県有朋がそれに疑義を唱えたものの、最終的には天皇の許可を根拠に婚約が遂行された出来事である。
私は、もう一つの事件も思い出した。「宮中某重大事件」の直後に起こった「久邇宮婚約破棄事件」である。こちらは、天皇の許可があったにもかかわらず、当事者である久邇宮朝融(くにのみや・あさあきら)王の意思が尊重され、婚約は破棄された。同じ許可があったにもかかわらず、一方は婚約遂行、一方は婚約破棄という結末を迎えた。眞子内親王と小室さんの婚約内定にも、天皇の「裁可」=許可があった。では、今回はどちらの結論に至るのだろうか?
この「裁可」とは、先に私が 「眞子さまが小室圭さんと自由に結婚できない3つの理由」 においても書いたことであるが、もう一度考えておきたい。「裁可」は、辞書的に言えば「臣下が持ってきた議案などを君主(天皇)が裁決し、判断すること」である。大日本帝国憲法第1章第6条にも規定されている。戦前の大日本帝国憲法では、天皇は国の「元首」であり、「統治権ヲ総攬」する立場にあった。そのため、議会で審議された法案や予算案を裁可し、それによって法律などは成立していた。
つまり、国の方向性を決める重要な政策決定事項は、形式上でも天皇による裁可がなければ効力を持たなかった。それだけ裁可には重みが存在した。そして、皇族の結婚は旧皇室典範第40条に「皇族ノ婚嫁ハ勅許ニ由ル」とあるように、天皇の許可が必要であった。
「一度天皇の許可を経た婚約を破棄してはいけない」
では、それが約100年前の「宮中某重大事件」とどのように関係するのか。1919(大正8)年6月、宮内省は裕仁皇太子の妃に久邇宮邦彦(くにのみや・くによし)王の長女・良子女王(後の香淳皇后)が内定したと発表する。ところが、良子女王の母方の実家・島津家では色覚異常の遺伝子が受け継がれており、良子女王の子孫にも遺伝する可能性があることがわかった。これを知った元老の山県有朋は、宮内大臣に事態の収拾にあたらせようとする。これ以後の出来事を「宮中某重大事件」と言う。その後、政府側は久邇宮家から自発的に婚約辞退をするように働きかけを行っていく。
ところが、父親である邦彦王はこの後、辞退はしない意思を固め、政府側の動きに対して右翼を利用して反撃に出た。彼らは、「一度天皇の許可を経た婚約は破棄してはいけない」旨の主張を繰り返した。また山県有朋の宮中における専横を強調し、そうした問題を世間に公表することでメディアをも味方に付けようとした。結局、批判を浴びた政府側の敗北に終わり、1921年2月に裕仁皇太子と良子女王の婚約は予定通り遂行されることが発表された(1924年1月に結婚)。
山県有朋は宮中での勢力を失い、邦彦王は婚約辞退を迫られたにもかかわらずそれに抵抗したことで、世間から同情を集めて権威を高めた。「宮中某重大事件」で邦彦王は、天皇の許可は国の「元首」の決定であり、一度下った許可は覆せないというロジックのもと、天皇の許可を利用することによって裕仁皇太子と長女の良子女王の結婚を成し遂げさせようとしたのである。
天皇の許可を受けた後に、婚約破棄を望んだ皇族がいた
ところが邦彦王は「トリックスター」のごとく、逆の事件を起こす。邦彦王の長男である朝融(あさあきら)王は、旧姫路藩主伯爵家の酒井菊子と1917年に婚約していた。これにも大正天皇からの許可があった。ところが、朝融王は次第に菊子のことが気に入らなくなる。邦彦王は息子の意思を受け、婚約破棄に向けて動き出した。しかし、邦彦王は、天皇の許可があることを盾にして裕仁皇太子と良子女王の婚約が予定通り遂行されることを1921年に勝ち取っている。今度は、天皇の許可があるにもかかわらず息子の婚約を破棄しようと動いた。
このように逆のことをすれば、皇太子と娘の婚約・結婚の根拠もなくなってしまう。それゆえ、裕仁皇太子と良子女王の結婚が1924年に成就するまでは、こっそりと朝融王の婚約破棄問題を伏せておこうとした。婚約破棄をすれば非難を浴びるであろうことは重々承知していたようである。宮中はこれに対し邦彦王の説得を試みた。彼の行動を全く理不尽なものとして受け取ったのである。しかし邦彦王は頑としてそれに応じなかった。
最終的には、女性側が婚約辞退を申し出た
最終的には宮中の仲介によって、酒井家側から婚約辞退を申し出ることで事態は進展する。ただし、宮中は「宮中某重大事件」に続きまたもや問題を起こした邦彦王をこのままにしておくこともしなかった。摂政に就任していた裕仁皇太子から旧皇室典範第35条と第36条に定められていた皇族監督権の行使による訓戒処分が邦彦王に言い渡された。つまり、義理の息子から処分が行われたのである。天皇の許可と言っても、基本的には下から上げてきたものを天皇が認める形式だったが、その行為には相当の重みがあったと言えるだろう。だからこそ、それを無視して婚約破棄をした邦彦王に“ペナルティ”が科されたのである。
戦後の皇室で「裁可」は「家の中のルールを決める」ものに
ひるがえって現代の眞子内親王と小室さんの婚約をめぐる天皇の「裁可」=許可には、どれほどの重い意味があるのかを考えてみたい。そもそも日本国憲法に「裁可」という言葉は出てこない。戦後の象徴天皇制において「裁可」は「家の中のルールを決めるとき」に使われるものとして、性質を変えて継続してきたと思われる。
戦後、日本国憲法に変わり、天皇は「象徴」となった。国政に関与しなくなり、裁可も必要なくなったはずである。しかし、戦後はおそらく皇室内の家政的な意味で裁可が継続してきた。例えば、昭和天皇の三女である孝宮和子(たかのみや・かずこ)と元公爵家の嫡男ではあるが日本交通公社に勤務するサラリーマンの鷹司平通(たかつかさ・としみち)との婚約が1950年に発表され、翌年には、四女の順宮厚子(よりのみや・あつこ)と旧岡山藩主侯爵家の池田隆政との婚約も発表されている。
そして、どちらの結婚にも昭和天皇の「裁可」=許可が存在したはずである。しかし、管見の限りでは、メディアにその言葉は登場していない。天皇が裁可したということを知らしめた場合、戦前との連続性が人々に想起されてしまう。敗戦後、天皇制が変化したことを強調することで、天皇制そのものを存続させることに成功したのであり、連続性を匂わせる「裁可」という言葉は避けられたのではないか。それゆえ、報道されなかった。
眞子さまの結婚相手の人選に、宮内庁が動いた様子はない
眞子内親王の結婚相手の人選にあたり、宮内庁が動いた様子はない。小室圭さんとの「自由恋愛」ゆえの婚約という形であった。今回、眞子内親王の婚約内定時の報道で、天皇が2人の結婚を認める「裁可」をしたことが私たちに伝えられたというのは、戦後直後のそういった心配が消え去った結果、むしろ戦前から続く慣行が表出してしまったという見方ができるだろう。
眞子さまご自身が綴られた「お気持ち」文書がヒントに
眞子内親王と小室さんの結婚の行く末について考えるとき、結婚延期に際して眞子内親王自身が綴ったという「お気持ち」の文書がヒントになる。予期せぬ報道が出たこと、準備不足であったことを結婚延期の理由として挙げて、文書全体から「結婚の意思に変わりはない」ことをにじませたのは、天皇による裁可の重みを認識していたからであろうか。
ただし、結婚延期後の世論の流れからは、天皇の許可を盾に婚約を必ず実行しなければならないという動きがあった「宮中某重大事件」のときとも、それを守らなかった当事者を処分するという事態まで起きた「久邇宮婚約破棄事件」のときとも、その重みが異なっているようにも見える。眞子内親王のケースでは、世間からの逆風があまりに強く、場合によっては小室さんとの破談もあり得るという見方すらある。
明仁天皇による裁可を重く受け止めれば
このように天皇の「裁可」=許可は、時として利用されながら、皇族の婚約や結婚を大きく左右してきた歴史的背景がある。裁可をどう捉えるか、時の政権や宮内庁の見識が問われているとも言える。明仁天皇による裁可を重く受け止めれば、今回もその重みから婚約破棄までには至らないと私は思うのだが、果たしてどのような結末を迎えるのだろうか。
河西秀哉
2018年03月29日
両陛下「空手発祥の地」で演武をご覧に・午後帰京
午前には沖縄空手会館を訪れ、沖縄発祥の空手の歴史の説明を受け、演武をご覧になった。
![無題 (3)](https://livedoor.blogimg.jp/remmikki/imgs/f/5/f5936583-s.png)
ANN 沖縄訪問の両陛下 「空手発祥の地」で
演武をご覧に
(18/03/29) (0:38)
Japan News 両陛下
沖縄で空手の演武視察 (1:39)
RBC THE NEWS 「天皇皇后両陛下
沖縄訪問終える」 (2018/03/29) (1:25)
沖縄への思い変わらず=「最後」の訪問終える―天皇、皇后両陛下
時事ドットコム 2018/3/29(木) 14:48配信
天皇、皇后両陛下は29日、2泊3日の沖縄県訪問を終えられた。
通算11度目で「在位中は恐らく最後」(側近)の沖縄の旅は駆け足だったが、戦没者を慰霊し、日本最西端の与那国島にも足を運んで島の生活や文化に触れた。太平洋戦争末期に県民を巻き込んだ地上戦が起き、戦後も本土と分離され苦難の道を歩んだ沖縄に長年寄せた思いが凝縮された旅となった。
両陛下は今回も沖縄入り後真っ先に本島南部の慰霊施設を訪れ、待ち受けた遺族らと対面。皇后さまは脚に痛みを抱えるが、戦没者の妻(98)の前ではかがみ込んで「大事にお過ごしください」といたわった。
2日目は日帰りで与那国島へ。在来馬「与那国馬」の見学は幼い頃から馬に親しんできた天皇陛下の希望といい、陛下はうれしそうに馬の頭をなでた。島に伝わる踊りや水揚げされた巨大なカジキも見学し、島の人々と笑顔で交流。日本最西端の地「西崎(いりざき)」にも初めて立った。
陛下は象徴としての立場から、遠隔地や離島を大切にし、これまで50以上の島を訪れた。8月には北海道利尻島への訪問が検討されている。
1975年の沖縄初訪問の際、「ひめゆりの塔」で過激派に火炎瓶を投げられた陛下は「この地に心を寄せ続けていく」と誓った。それから43年。退位を控えた両陛下を多くの県民が温かく出迎えた。翁長雄志知事は「多くの県民が両陛下に寄り添っていただいたことのありがたさをじわりじわりと受け止めている」と県民感情の変化を解説した。
両陛下の側近は「沖縄の歴史に向き合い、文化に触れることが大事とのお考えは今も全く変わっていない」と話している。
両陛下、演武に拍手=空手会館を訪問―沖縄
時事ドットコム 2018/3/29(木) 11:14配信
沖縄県を訪問中の天皇、皇后両陛下は29日、豊見城市の沖縄空手会館を訪問された。
沖縄は空手発祥の地とされ、会館は県が空手の殿堂として整備し、昨年3月にオープンした。両陛下は空手の歴史などに関する資料展示を見て回った後、さまざまな流派の空手家4人による演武を見学。力強い空手の形が披露されると、拍手を送った。
天皇陛下は演武を終えた空手家に「これからも空手発展のために努められることを願っています」と話していた。
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(写真は朝日新聞他より)
到着された両陛下
時事通信 3/29(木)17:09配信
沖縄県訪問を終え、羽田空港に到着された天皇、皇后両陛下=29日午後、東京都大田区
追加情報:
自衛隊パレードがあった、と聞いたので調べてみた。
県民のパレードは書かれているが、NHK他のメディアに自衛隊のパレードは書かれてない。
やはり偏向報道。
新聞に報道されているのはこちらの民間人のパレードばかり。
下記の記事にも自衛隊のことは書かれてない。
ご在位中最後の沖縄訪問―天皇皇后両陛下奉迎パレード
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天皇皇后両陛下が沖縄入りされた27日夜、那覇市の国際通りで奉迎パレードが開催され、約5000人の県民が小旗を振り、「天皇陛下万歳」「天皇陛下、皇后陛下ありがとう」を繰り返しながら両陛下の来沖に歓迎の意を示した。
日の丸を振って天皇皇后両陛下を奉迎するパレード参加者=27日夕、沖縄県那覇市の国際通り
パレードの終着点の奥武山(おうのやま)公園では、参加者が両陛下の宿泊先に向かって提灯を振ると、両陛下がお部屋からご答礼された。
パレードに参加した仲井真弘多前知事は、「天皇陛下が沖縄にかけられる思いは並々ならぬものを感じる。在位中、最後のご訪問となると思うが、こうしてお越しになることについては、ただただ有難い」と述べた。