2018年05月

山口達也強制わいせつへの意見

テレビで山口達也の女子高校生に無理やりキスをした強制わいせつ行為で警視庁から書類送検されたニュースが連日ワイドショーをにぎわせている。

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だいたい、夜と思うが、男がひとりで住むマンションに女子高生がのこのこと行くか?いいお嬢さんが夜に男の自宅についていくことには誰も言わない、母親もその反省はないようで、警察に被害届を出すとは世の中怖いものだ。このニュースを聞いて母親と女子高校生の行動を問題にしている報道はない。

こう書くとまた山口達也の肩を持つのか、と反論が来るだろうが、曽野綾子さんが産経新聞に書いた記事にうなづいてしまう。

会社勤めをしているとセクハラ問題なんて毎日のようにあう。セクハラなんて好きな男から受ければ有頂天だろうし、嫌いな男から言い寄られれば、セクハラだ。男も受難な時代になったものだ。


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「不愉快な言動」といかに闘うか (曽野綾子氏)

産経新聞 オピニオン

平成30(2018)425日 水曜日

「透明な歳月の光」

曽野綾子


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「不愉快な言動」といかに戦うか

テレビでも新聞でも、最近しきりにセクハラについて書かれているのだが、私はどうしても丁寧に読む気にならない。こういう事件は、そもそも正しく書いてもらうことなど考えられないのだ。セクハラの程度を決めるのは主観である。目つきだけでぞっとしたという人もいるし、「あんな下品なことをよく口にするね」という人もいる。人間の品格というものは、何歳であっても、それなりに折り目正しく思慮深いものがいい。

しかし、世間という雑多な空間には、決して私たちが望ましい人格の人ばかりがいるわけではない。若い時から苦労して社会に出て働いた女性がいる。
その人が言うには「働くということはそういう男たちを、なんとかあしらっていくということなんですよ」なのだそうだ、全くその通りである。セクハラを受けずに年を重ねる女性もいないだろう。
通勤時の痴漢、追っかけをする大学生、おかしな手紙を持参する人など、昔からいたものだ。それに対して、こちらも考える。


私が計画してまだやっていない仕返しは、満座の中で引っぱたくことだ。

もっとも満員電車の中ではこちらも引っぱたきにくい。いかに仕事で特種が取れようと、特定の男性と2人だけで何度も会食するというのも常識はずれだ。

男性の方は、その手の誘いを断らなかっただけで、女性の方も距離感を縮めることを嫌がっていないのだな、と判断するだろう。嫌だと思ったら、洗面所に行くふりをしてそのまま席をすっぽかして帰る手もある。
わざと彼の同僚の前でセクハラを受けたことを大きな声で喋る手もあれば、小声で複数の人に喋りちらす方法もある。人生は小さな戦いの連続なのである。

インドのように女性が襲われて殺されるケースが多い国では、相手のセクハラを訴えて殺されることもあるだろう。しかし日本では犯罪にならない範囲で、相手をやっつける方法は多分いくらでもある。表現の自由がもし許されているならば、大ていのこと(たとえそれが、こちらからみるとセクハラであっても)を口にできる自由も残さなければいけない。

しかしもちろんその場合も、常識の範囲内、個性として許されるものでなければならない。それに対して女性も、年齢や、態度や、言葉で相手に警告を発することはできる。

人間の生き方の中で、この手の戦いの部分は、学校が教えることではない。それは親や保護者が家庭の中で、折にふれ、話として伝えておくべきことだろう。

決してセクハラがいいというのではない。
しかし性的な話が、ある種の職場の緊張や対立をほどく著効がある場合も私は見てきた。すぐセクハラに当たる、と騒ぎ立てること自体が、女性の未熟さを物語る場合もある。不愉快な言動をする男の傍らに、女性は留まる必要はない。

だからその場を去ることだ。女性に去られた男は、つまり魅力がないのだ。逆もまた真だろう。こんな明快な意思表示の方法がこの世に残っているなんて、世の中も捨てたものではない。(以上)

 

デビ夫人もご意見書いてます。


デビ夫人ブログ
https://ameblo.jp/dewisukarno/


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たかが キス位で無期限謹慎なんて

厳しすぎ、 騒ぎすぎでしょう!

山口達也氏の TOKIO の仲間の方達は、

許されない行為と言っているけれど、

本当にそうでしょうか。 

泥酔男性の Kiss位で?この女の子達は

山口達也氏の所だから 行ったんでしょう。
 
17歳位の女の子達は、夜 酔った男性の

所へは 行かない方がよいでしょうね。
 
Kiss されたら、トイレに行って うがいして

「ちょっと失礼」と言って2人で帰ってくれば

良かったわけじゃないですか。 

母親に電話して 警察まで呼ぶなんて。

そして 事をここまで大きく広げるなんて、

関係者、スポンサー方に与えた損害は

億単位、 計り知れません。

みんな 何を考えているのでしょうね。
 
山口氏は 確かにアルコール依存症。 

これは しっかり直さなければいけませんね。

しかし これでは 山口氏が気の毒すぎます。

 

山口達也の自宅へ行った女子高生に「行かなきゃいいじゃない」と中条きよし

  スポーツ報知  2018年4261242

http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180426-OHT1T50114.html


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   俳優の中条きよし(72)が26日放送のフジテレビ系「バイキング」(月〜金曜・後11時55分)に生出演し、アイドルグループ・TOKIOの山口達也(46)が、今年2月に自宅マンションで女子高生に無理やりキスをするなどしたとして、強制わいせつ容疑で警視庁から書類送検されていた事件に「ボクは正直言うと、女子高生が2人、彼の自宅へ行った、どういう経緯で行ったのか知りませんよ。本人、酔っ払ってやったかどうか、そんなような気がしますぐらいの程度で言っているわけでしょ。そしたら、高校生2人行ったら、蹴飛ばしてでも逃げられるし帰ってこれるでしょ。こんな話に例えばするようなことじゃなくて。行かなきゃいいじゃない」と指摘した。

 これにMCの坂上忍(50)は「いやぁ、中条さん、それはマズイです。女子高生の非じゃないです」と示したが、中条は「わいせつ行為はいけないということが前提でよ。男の部屋へ行くということが」と返したが坂上は「未成年だから」と続け、他の出演者から「被害者に絶対に非はないです」と指摘されると中条は「そうかねぇ」と首をかしげた。

 坂上は「女子高生のことを言う前に46歳のあれだけ有名な方が女子高生を自宅に呼ぶっていうことがまず問題だと思います」などと示したが、中条は山口の行為について「それが償うべき」としながら「それを前提とした上でそれは起きうることだから、行かないようにすべきですよ」と持論を繰り返していた。

 


ところで曽野綾子さん、美智子さんと同じ聖心女子大学同窓で親しい。

三浦半島の曽野さんの家に3回も訪れたそうだ。おそらく葉山御用邸で静養されている時に訪問したのだろう。曽野綾子さんもカトリック。


親しいからお世辞かもしれないが、「
間もなく終わろうとしている平成は良い時代だった。」とおっしゃるが、これは同意できない。大災害ばかりに見舞われたとんでもない時代だったと思う。


災害があるたびに被災地に入り、被災者に寄り添われた、とは自分たちのことには数十億円もかけて冷暖房完備の御殿に住んで不便な仮説住宅に住む被災者にどう寄り添われたというのだろう。

 


[平成時代]象徴の務め 最後の1年

読売新聞 201843050

儀式 地方訪問 全うの意思

天皇陛下の退位まで残り1年。「陛下は最後の日まで、象徴の務めを全うされる考えだ」と、側近らは口をそろえる。

 皇居が新緑に包まれる5月。陛下は吹上御苑(ふきあげぎょえん)の水田で田植えをされる。皇后さまは紅葉(もみじ)山御養蚕所(やまごようさんじょ)で飼育する蚕に桑を与えられる。稲作は昭和天皇から、養蚕は明治天皇の(きさき)昭憲(しょうけん)皇太后から、受け継がれてきた皇室の伝統だ。

 宮殿にはこの1年も多くの人々が訪れる。

 年2回、計約2万人の叙勲受章者らと面会し、秋には文化勲章受章者や文化功労者を茶会に招かれる。馬車列で訪れる新任の外国大使の信任状奉呈式、海外に赴任する大使や最高裁判事らの認証官任命式など、重要な儀式も続く。

 宮中三殿で、天皇陛下は国民や国の安寧を思い、祭祀(さいし)に臨まれる。皇室の先祖や神々を祭り、新嘗祭(にいなめさい)では水田で育てた新穀を神前に供え、自らも食して五穀豊穣(ほうじょう)を願われる。

 両陛下は、皇居を出て国民と触れ合うことも大切にされてきた。6月には全国植樹祭で福島県入りされる。会場は南相馬市の海岸防災林で、東日本大震災からの復興を象徴する植樹になる。

 夏には離島を訪問される計画も。先月の沖縄・与那国島への旅に続き、8月に北海道・利尻島に足を運ばれる予定だ。

 8月15日の終戦の日、全国戦没者追悼式に出席される。慰霊の旅を続け、平和を希求してきた天皇陛下が、追悼のお言葉を述べられるのも今年が最後となる。

 秋以降、皇室行事が立て込む。だが、12月の障害者週間にちなんだ施設視察は、お子さま方にも譲らず、続けられてきた思い入れの深い公務だ。

 年が明けると、平成も残り4か月となるが、宮中は例年通り多忙を極める。元日は早朝の祭祀に始まり、皇族方や三権の長らの祝賀を次々と受けられる。国民と新年を祝う2日の一般参賀のお言葉も最後となる。歌会始の儀で新年行事が一段落した後、通常国会の開会式に臨まれる。

 2月23日、新天皇となる皇太子さまが、59歳の誕生日を迎えられる。その翌日、陛下の在位30年を記念する式典が開かれる。

 代替わりムードが高まるなか、二人三脚で国民に寄り添ってきた両陛下は4月10日、結婚60年を迎えられる。例年はこの後も、日本国際賞や園遊会など、重要な行事が続く。そして30日。全身全霊で象徴の務めを果たされた天皇陛下の退位で、平成は幕を閉じる。

  来年4月末 退位の儀

 天皇陛下は来年4月30日、「退位礼正殿の儀」に臨まれる。憲政史上初めて行われる儀式で、陛下の退位を広く明らかにし、最後に国民の代表に会われる機会となる。皇位の証しの剣璽(けんじ)が置かれ、国民の代表が参列する宮殿「松の間」で、最後のお言葉も述べられる。皇太子さまは日付が変わる5月1日午前0時に即位される。この日、「剣璽等承継の儀」で剣璽を引き継ぎ、「即位後朝見の儀」で国民に向けて初めてお言葉を述べられる。

  高輪邸で仮住まい

 約200年前、最後に退位した光格天皇は、京都御所から500メートル余り離れた上皇の住まい「仙洞(せんとう)御所」に移った。両陛下は退位後、できるだけ速やかに御所から約5キロ離れた高輪皇族邸(東京都港区)に移り、仮住まいされる。新天皇ご一家は東宮御所(同)にしばらくとどまり、改修した御所に移られる。両陛下の仮住まいは1年半以内の見込みで、改修した東宮御所をついの住み家にされる。

  お忍びで 「夢」の時間…曽野綾子さん

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その・あやこ 1931年、東京都生まれ。「神の汚れた手」「哀歌」など著書多数。95年から2005年まで日本財団会長。03年に文化功労者。

  天皇、皇后両陛下は年に数回、三浦半島に構えた我が家にいらっしゃる。皇后さまが聖心女子大の3級下だった縁もあり、夫で作家の三浦朱門(昨年2月死去)ともども、おつきあいさせていただいてきた。

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 今年2月には、三浦大根の葉っぱを使った料理をお出しした。陰干しした葉をゴマ油でいため、唐辛子としょうゆで味付けした素朴な料理だが、熱いご飯にのせるとおいしい。当時、我が家で一番おいしいものをお出ししないのは間違いだと思ったのだ。

 私は小説家。我が家の内情や大根農家の景気の話など、庶民の暮らしをお伝えするのがささやかな役目だと自負している。両陛下はこうした話にも耳を傾けてくださる。

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 魚類学者である天皇陛下に「葉山のウミウシは食べられないのですか」と聞いたこともある。「それは無理じゃないでしょうか」と真面目にお答えになった。日系ブラジル人のお手伝いさんを紹介した時には、立ち上がってあいさつされた。陛下はアカデミックで、人情にも通じ、ジェントルマンでいらっしゃる。

 間もなく終わろうとしている平成は良い時代だった。

 日本人は正直で賢くて働き者。戦争はなく、蛇口をひねれば衛生的な水が出る。世界でこんな国はない。大きな自然災害はあったが、そのたびに両陛下が被災地に入り、被災者に寄り添われてきた。

 陛下は仁愛のみを考え、宮中祭祀(さいし)では、国と国民の安寧を祈られてきた。日本の運命を一身に背負われる陛下と、献身的に支えられる皇后さま。両陛下がいらっしゃったことは、幸せなことだ。

 皇后さまは2007年の記者会見で「身分を隠して1日過ごすなら」と問われ、「学生のころよく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もう一度本の立ち読みをしてみたい」と答えられた。そうした夢の一端の実現をお手伝いしたことがある。

 書店の関係者や警察に協力を求め、15年6月、お忍びで東京都渋谷区の大型書店にご案内した。皇后さまは午前10時の開店から約1時間、一般客に紛れてひとりで店内を歩かれ、音楽など好きな本を手に取られた。児童書コーナーで時間をかけてしまわれ、後で聞くと、文房具の売り場もご覧になりたかったそうだ。それでも、半世紀ぶりの立ち読みを楽しまれていた。

 私は64年間、休みなく働いてきたが、最近、疲れて起き上がれない日もある。両陛下は私たちの生活と比べられないほど多忙で、お疲れだと思う。退位後はゆっくりして上皇、上皇后という新しいお立場から、日本を末永く見守っていただきたい。


う〜ん、知性あふれた頭脳明晰、聡明で賢明、どんなことも正論で物事を分析・論破する曽野綾子さんだが、美智子さんに関しては見えてない。真実が見えた曽野綾子さんの美智子さん評を聞いてみたいもの。



安倍首相夫妻、ヨルダン国王夫妻と会見

ゴールデンウィークに中東訪問をしている安倍首相夫妻がヨルダン国王夫妻との会見をNewMyRoyalsに掲載されました。
昭恵さんのスカートはバルーンスカート?


(《balloonは風船の意》腰回りや裾部分に、丸くやわらかいふくらみをもたせたスカート。)

 

King Abdullah and Queen Raniaheld a dinner for Prime Minister Shinzo Abe and his wife

Yesterday evening, on April 30, 2018, Monday, King Abdullah of Jordan and Queen Rania of Jordan held a dinner at Amman Royal Palace in honour of Prime Minister Shinzo Abe of Japan and his wife Akie Abe who are making a 2 day working visit to Jordan. Prime Minister Shinzo Abe of Japan and his wife Akie Abe came to Jordan as part of a Middle East tour including also Israel and West Bank. The visit aims to improve economic and defensive cooperation.

 

http://www.newmyroyals.com/2018/05/king-abdullah-and-queen-rania-held.html

 

ヨルダン・アブドッラー国王とラーニア王妃は安倍晋三首相夫妻と夕食会

 

2018年4月30日夜、ヨルダン・アブドッラー国王とラーニア王妃はヨルダンを二日間公式訪問している安倍晋三首相夫妻を招いてアンマン・ロイヤル宮殿で夕食会を催した。日本の安倍首相と安倍昭恵夫人はイスラエルとウェストバンク*を含む中東ツアーの一部としてヨルダンにやってきた。訪問は経済と防衛協力の改善を目的とする。

 

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下記は外務省から:
http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me2/page3_002451.html


1日(火曜日)1255分(現地時間,日本時間1日(火曜日)1855分)から約40分間,ヨルダンを訪問中の安倍晋三内閣総理大臣は,アブドッラー2世・イブン・アル・フセイン・ヨルダン・ハシェミット王国国王陛下(His Majesty King Abdullah II Ibn Al Hussein, King of theHashemite Kingdom of Jordan)と共に,経済ミッションを交えたワーキングランチに出席しました。

ヨルダン・ハシェミット王国の首都アンマンにおいて,安倍晋三内閣総理大臣及びハーニ・アル=ムルキー・ヨルダン・ハシェミット王国首相兼国防相(H.E. Dr. Hani Al-Mulki, Prime Minister and Minister ofDefence of the Hashemite Kingdom of Jordan)の立ち会いの下,我が方柳秀直駐ヨルダン大使と先方イマード・ナジブ・ファーフーリー計画・国際協力大臣(Hon. Imad Najib Fakhoury, Minister of Planning andInternational Cooperation)との間で,163,100万円を供与限度額とする無償資金協力に関する書簡の交換が行われました。



歓迎式典に出席する安倍総理大臣
(代表撮影)


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UAE首脳会談
(写真提供:内閣広報室)

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3,100万円を供与限度額とする無償資金協力、これでも今上夫妻の仮住まい修復費用の半分。

下記は参考資料です:


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ヨルダン川西岸地区(ヨルダンがわせいがんちく、アラビア: الضفة الغربيةa-iffah l-Ġarbiyyahヘブライ語: הגדה המערביתHaGadah HaMa'aravit)は、ヨルダンイスラエルの間に存在し、現在パレスチナ国パレスチナ自治区)の一部を形成するヨルダン川より西部の地域のこと。

欧米などでは単にウェストバンクWest Bank, 西岸の意)と表現される事が多い。

Wiki





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ヨルダン・ハシミテ王国(ヨルダン・ハシミテおうこく、アラビア語: المملكة الأردنيّة الهاشميّة‎)、通称ヨルダンは、中東西アジアに位置する立憲君主制国家である。
首都は
アンマン

イスラエルパレスチナ暫定自治区サウジアラビアイラクシリアと隣接する。イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川死海が境である。


立憲君主制をとり、
イスラームの預言者ムハンマドの従弟アリーとムハンマドの娘ファーティマの夫妻にさかのぼるハーシム家出身の国王世襲統治する王国である。


国民の半数余りは
中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫である。
(Wiki)


4千万円の宮内庁オープンカー、走行困難に

今上天皇皇后の即位のパレードで使ったロールスロイスが走行不可能という。
このロールスロイスは1993年皇太子夫妻の結婚パレードでも使われた。

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28年前、即位後のパレード用に4千万円で購入したが、即位の礼と皇太子の結婚パレードの2回使っただけ。
車検も通してなく、公道を走れる状態ではないという。



4千万円の宮内庁オープンカー、走行困難に 使用は2回

中田絢子

朝日新聞 2018510839
https://www.asahi.com/articles/ASL4Y5GRTL4YUTIL019.html

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平成の即位礼正殿の儀後のパレードの様子。両陛下がオープンカーに乗っている=1990年11月12日、皇居前広場

 28年前、即位後のパレード用に約4千万円で購入したロールスロイス社製のオープンカーが古くなり、走行困難になっていることがわかった。2回しか使われていないが、整備用の部品が手に入らず、宮内庁の車庫に眠ったままという。今回のパレードで新天皇、新皇后を乗せる車をどうするか。経費節減が求められる中、政府関係者は頭を悩ませている。

 1990(平成2)年11月12日午後、燕尾(えんび)服とローブデコルテに身を包んだ天皇、皇后両陛下はピカピカの黒いオープンカーに乗り、沿道の人たちに手を振った。昭和天皇の即位の時は馬車だったが、馬は不測の事態で制御困難になるリスクもある。警備上、より安全な車を使うことになり、当時の総理府が購入した。

 車はその後、宮内庁の管理下に入り、93年の皇太子ご夫妻のご成婚パレードでも使われた。だがその後、行事などで用いられたことはない。来年の代替わりで久々の「晴れ舞台」かと思いきや、管理する同庁車馬課によると「すでにメンテナンスのための部品が手に入らず、久しくエンジンをかけていない」。時々職員が車体を磨いているが、車検も通しておらず、公道を走れる状態にないという。


思えば悪夢の平成時代の始まりだった。

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こちらも悪夢の次代の始まり。

両陛下の「オープンカー」走行できず
(東京都)
2018/5/1 21:03 NEWS24
http://www.kry.co.jp/news/news890172212.html

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1年後の5月1日は、新元号になり皇太子さまが即位されるが、即位後のパレードで使用する車について、天皇皇后両陛下がパレードで使われたオープンカーは走行できず、修理も難しいことがわかった。このオープンカーはロールスロイス社製で、1990年におよそ4000万円で購入され、天皇陛下の即位後のパレードと皇太子ご夫妻のご成婚パレードの2度、使用された。宮内庁によると、部品が手に入らないため、2007年に廃車手続きが行われ、現在は走行できず、修理することも「ほぼ不可能」だという。 来年の5月1日に皇太子さまは即位し、10月22日にはパレードが予定されているが、この車をどうするか、宮内庁を中心に検討が進められるという。

赤青黄色の創価の旗がひらめいた皇太子夫妻の結婚パレード

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[4/4]【今上天皇御即位】祝賀御列の儀 (10:00)
 

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平成皇室のやることは 無駄遣いばかりでため息。


10連休にするため5月1日即位」は後付けの理屈

News

ポストセブン 2018/5/1() 11:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180501-00000009-pseven-soci

「10連休にするため5月1日即位」は後付けの理屈

即位は5月1日に決まった(AFP=時事) 

    2019430日、今上天皇が生前退位し、翌51日に皇太子が新天皇に即位する。皇位継承にまつわる各行事の日程調整には、複雑な事情が入り組み、様々な思惑が交差した。その結果、スケジュールは実に国民の目からわかりにくいものになろうとしている。退位と即位の日程も二転三転した。その理由は官邸と宮内庁の歩調が合わなかったからだ。

 20168月、「生前退位」の意向が含まれた天皇のビデオメッセージが公表されて以降、官邸は宮内庁と折衝を重ねてきた。

 退位と即位のタイミングについて、官邸は当初「2019年元日」に強いこだわりを示した。理由は「区切りがよく、国民にもわかりやすい」というもの。

 昨年1月、政権に近い産経新聞が「2019年元日改元」と1面トップで報じると、直後に宮内庁は定例記者会見で、「困難である。(元日は)早朝から四方拝、歳旦祭の祭祀、新年祝賀の儀が行なわれる」と突っぱねた。

 代わって宮内庁が出したのが「2019331日退位、41日即位」案だった。別の宮内庁関係者が言う。

「安倍(晋三)総理は、これに猛烈に反対しました。“統一地方選の真っ最中で、予算成立など年度末の多忙を極める時期に改元などできない”という主張です。

 しかし、4月は元日の次の節目で、総理の言う“区切りがよく、国民にもわかりやすい”という考えとも合致する。

 総理が反対した理由は、この情報を“反安倍”の朝日新聞が1020日の朝刊1面トップで報じたからでしょう。“宮内庁が朝日にリークした!”そう考えた総理が、朝日の手柄にしないために猛烈に反対したという見方がある」

 1121日、天皇陛下に内奏した安倍首相は、「退位日は3月末か4月末のどちらか。121日の皇室会議で決めさせていただきます」と伝えたとされる。

 ところが、翌日に“親安倍”の産経新聞が「4月末退位、51日改元」をスクープした。それが“安倍首相は内奏の時点で結論を決めていた”という見方を強めることになった。

 121日の皇室会議には、安倍首相のそばに菅義偉・官房長官がいた。会議のメンバーではない菅氏がいたのは、「4月末退位案」を推し進めるためだったといわれる。

「休憩時間に総理と菅官房長官は揃って退席し、戻ってくるや『4月末退位』を一方的に通告したといわれています。こうした安倍総理の動きは、改元の日程は“すべて政府が決める”という意思表示だったように感じる」(政治部記者)

 官邸は、この「430日退位、51日即位」という“中途半端な”日程について、「昭和天皇の誕生日『昭和の日』が429日にあり、その後はゴールデンウィークと結び付けて10連休」にして祝賀ムードを盛り上げると説明しているが、「後付けの理屈にしか聞こえない」というのが国民の率直な感想だろう。

※週刊ポスト20185411日号






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