2018年12月
ナルさんが産声をあげた時
そして次はもっとひどい徳仁・雅子夫妻が即位する悪夢の時代が来る。
徳仁さんが産声を上げた時、体が小さいから声も小さかったとか、その後美智子さんは養育係を置かずにご自分で子育てをした。「ナルちゃん憲法」という育児の方法を書いて海外公務へ出かけられた。
結婚前はまだまともな貴公子ぶりだったが、雅子さんを伴侶にしてからどんどん品格も威厳もなくなってきた。
それが来年は天皇になる。中韓やカルトに利用されやすいことは何度かの彼の行動からも見られる。
ましてや雅子さんの実家はソーカまみれ、鳥居もくぐれないという。
雅子さんも外務省では鳳会に出入りしていたほど。
鳳会とは外務省のソーカ信者の集まりである。外務省内にゆうに400名はいるという。
さてそのナルちゃんが産声をあげた瞬間に立ち会った医師の証言という記事。
ここには産声をあげるのに数分かかり、それが原因でナルさんがちょっと軽い知能障害があったとは書かれてない。
「皇太子さま産声を上げた瞬間」立ち会った医師の貴重な証言
女性自身 2018/12/31(月) 11:03配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181231-00010007-jisin-soci
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「新宮さまのご誕生は4時15分。産声? 体がお小さかったから、あまり大きな声ではなかったね」
皇太子さま誕生の瞬間についてこう語っていたのは、宮内庁産婦人科医長・目崎鑛太博士(故人)。美智子さまが皇太子さまと秋篠宮さま、清子さんを出産されたとき、立ち会った医師だ。
1958年12月の創刊以来、『女性自身』は皇室ご一家の素顔を追い続けてきた。
それから60年。19年5月の即位も目前となっているが、本誌は新天皇となられる皇太子さまが産声を上げた瞬間の証言も入手していたのだ(77年3月10・17号「妃殿下『おめでた』のお医者さん36年間の回想」)。
目崎博士は、美智子さまのご懐妊の検査から携わっていたという。
「ボクが妃殿下のご懐妊の検査をしたのは(昭和)34年の7月13日だった。フリードマン反応といってね、尿をうさぎの静脈に注射し、そのうさぎの卵巣が出血するかどうかで妊娠を判断する方法なんだ。翌14日、塚原伊勢松先生(元宮内庁病院長・故人)に『ご妊娠に間違いありません』と報告した」
ご出産は翌年の2月23日。
「妃殿下のご入院は午前1時48分。それからが長かった。初産だから時間がかかるだろう……」
そして午後4時15分、皇太子さまが誕生される。2540グラムの、小さなお体だった。
「新宮さまもお元気で、どこも異常なし――分娩室に戻ってきた先生方から聞かされたとき、ああ、と思わず声が出そうになったのを覚えている。その夜8時半ごろ、東宮さま(現在の天皇陛下)を囲んでシャンペンで乾杯した。病院の応接間で。『おめでとうございます』ボクらがお祝い申し上げると、『ありがとうございました』……東宮さまは、ほんとうにうれしそうだった」
(『女性自身』皇室SPECIAL増刊 )
『ナルちゃん憲法』が作られた理由
ナルちゃん憲法を、『育児のバイブル』?あんな大人を作るなら参考になどしたくない。
ナルさんの子育ては失敗、結婚相手が予定どおりKuniさんだったら違ったかも。
似たもの同士の雅子さんを嫁さんにしてから坂道転がるごとく顔つきも変貌、皇太子としての品格も威厳もなし。
いよいよ来年は天皇となる。
映画 「家(うち)へ帰ろう」
なるべく核心を付くネタバレは書かないように努力していますが、どうしても内容に触れてしまいます。
映画を見る前に知りたくなければ、タイトルと予告編だけ見て、記事はご覧にならないことをお勧めします。
映画を見てからご覧になるのがよいかと思います。
アルゼンチンで子供たちや孫たちと暮らす ユダヤ人のアブラムは高齢者用施設へ家族から入れられる前に家出をし、70年前に自分を助けてくれた親友に自分が仕立てたスーツを届けにはるばるポーランドへ行く。
ユダヤ人を苦しめたドイツを通らずにポーランドへ行く方法を聞くがそれは不可能。各地でたくさんの人たちに助けられ、目標を達成できるのか、シリアスな映画を時にはコミカルに描くいい映画だった。
映画『家へ帰ろう』予告編(1:49)
『家へ帰ろう』(うちへかえろう、スペイン語原題: El ultimo traje)は、2017年のスペイン・アルゼンチン合作の映画。
原題 Elultimo trajeは最後のスーツという意味。
解説:
ホロコーストを生き抜いたユダヤ人の老人が、70年の時を経て、友人との約束を果たすためにアルゼンチンから故郷ポーランドへ旅する姿を描いたロードムービー。
ブエノスアイレスに暮らす88歳の仕立て屋アブラムは、自分を高齢者用の施設に入れようとする子どもたちから逃れ、故郷であるポーランドを目指して旅に出る。
そして、その旅には、第2次世界大戦時、ユダヤ人である自分をナチスの手から救ってくれた親友に、自分が仕立てた最後のスーツを渡すという目的があった。
監督はアルゼンチンの人気脚本家で、監督作はこれが長編2作目となるパブロ・ソラルス。主演はカルロス・サウラ監督の「タンゴ」で知られるミゲル・アンヘル・ソラ。
(映画.com)
監督: パブロ・ソラルス
キャスト: ミゲル・アンヘル・ソラ ブルスティン・アブラハム
アンヘラ・モリーナ マリア
- オルガ・ボラズ ゴーシャ
- 生年月日: 1950年5月14日 (68歳)
ユリア・ベアホルト イングリッド
マルティン・ピロヤンスキー レオナルド
ミゲル・アンヘル・ソラ (Miguel Angel Sola)
原題: El ultimo traje
製作年: 2017年
製作国: スペイン・アルゼンチン合作
上映時間: 93分
上映館:
https://eiga.com/movie/88796/theater/
映画 「アリー/スター誕生」
なるべく核心を付くネタバレは書かないように努力していますが、どうしても内容に触れてしまいます。
映画を見る前に知りたくなければ、タイトルと予告編だけ見て、記事はご覧にならないことをお勧めします。
映画を見てからご覧になるのがよいかと思います。
この映画、レデイ・ガガがスター誕生した時の映画かと思ったら違った。
レディ・ガガはいつも化粧や衣装が派手でレディ・ガガの素顔を初めて見た。
レディ・ガガが主演する女性がスターになっていく過程をドラマにしたフィクション映画。
1937年の同名映画の4度目のリメイクだそうだ。
監督は「スナイパー」でも主演したブラッドリー・クーパー。
映画『アリー/ スター誕生』予告【HD】
2018年12月21日(金)公開 (2:24)
ゴールデングロープ賞主5部門ノミネート!
『アリー/スター誕生』(アリー スターたんじょう、A Star Is Born)は、ブラッドリー・クーパー監督による2018年のミュージカル・恋愛・ドラマ映画である。1937年の同名映画の4度目のリメイクであり、クーパーの他にレディー・ガガ、サム・エリオット、アンドリュー・ダイス・クレイ、デイヴ・シャペルらが出演する。
(Wiki)
解説:
歌の才能を見いだされた主人公がスターダムを駆け上がっていく姿を描き、1937年の「スタア誕生」を皮切りに、これまでも何度か映画化されてきた物語を、新たにブラッドリー・クーパー監督&レディー・ガガ主演で描く。
音楽業界でスターになることを夢見ながらも、自分に自信がなく、周囲からは容姿も否定されるアリーは、小さなバーで細々と歌いながら日々を過ごしていた。そんな彼女はある日、世界的ロックスターのジャクソンに見いだされ、等身大の自分のままでショービジネスの世界に飛び込んでいくが……。
世界的歌姫のガガが映画初主演でアリー役を熱演。もともとはクリント・イーストウッドが映画化する予定で進められていた企画で、「アメリカン・スナイパー」でイーストウッドとタッグを組んだクーパーが初監督作としてメガホンをとり、ジャクソン役でガガとともに主演も果たした。
監督: ブラッドリー・クーパー
キャスト: レディー・ガガ アリー
ブラッドリー・クーパー ジャクソン・メイン
- アンドリュー・ダイス・クレイ ロレンツォ
デイブ・チャペル ジョージ・“ヌードルス”・ストーン
サム・エリオット ボビー
ブラッドリー・チャールズ・クーパー(Bradley Charles Cooper, 1975年1月5日- )は、アメリカ合衆国の俳優。
ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。父親のチャーリー・クーパーはアイルランド系でメリルリンチに勤務していた。母親のグロリア(旧姓カンパーノ)はイタリア系。ジョージタウン大学を優秀な成績で卒業後、アクターズ・スタジオで演劇を学んだ。学生の頃にフランスに留学した事もあり、フランス語が堪能。
映画「アメリカン・スナイパー」クリント・イーストウッド監督と。
レディー・ガガ (英: Lady Gaga)(本名:ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ英:Stefani Joanne Angelina Germanotta、1986年3月28日- )は、アメリカ合衆国の音楽家。オーストラリア・シドニー名誉市民。
19歳の時にデフ・ジャムと契約し、ニューヨーク市の近郊のクラブでダンサーをしながら生計を立てた。
また同時期インタースコープ・レコードとソングライターとして契約をし、同レーベルのアーティストを中心に複数のミュージシャンに楽曲提供を行った。その後楽曲提供を行う中でエイコンにガガの歌手としての才能を認められ、エイコン自身のレーベルコンライブとレコード契約し、歌手としてのキャリアをスタートさせた。
原題: A Star Is Born
製作年: 2018年
製作国: アメリカ
上映時間: 136分
上映館:
https://eiga.com/movie/88415/theater/
映画「私は、マリア・カラス」
なるべく核心を付くネタバレは書かないように努力していますが、どうしても内容に触れてしまいます。
映画を見る前に知りたくなければ、タイトルと予告編だけ見て、記事はご覧にならないことをお勧めします。
映画を見てからご覧になるのがよいかと思います。
秘蔵映像や未完の自叙伝、そしてこれまで封印されてきたプライベートな手紙やフィルムなど、その多くが初公開となる素材とともに編まれたドキュメンタリー映画 『私は、マリア・カラス』が公開された。
最初マリア・カラスを主人公にしたストーリーの映画かと思ったら、すべてカラス自身の映像、自叙伝、レターなどの素材で繋いだ彼女の人生を忠実に描いたドキュメンタリー映画だった。
全編流れる歌はすべてマリア・カラス、素晴らしい感動作品だった。
マリア・カラスの歌も素晴らしいが、ドレスと身につけている宝飾品もゴージャス。
観客も超有名人や一流の人々、ティアラを被った若かりし頃のエリザベス女王と母上のエリザベス・アンジェラ・マーガレット。ボーズ=ライアン王妃も登場するシーンがある。マリア・カラスの歌を聴くためにティアラとドレスという最高級の正装で劇場に付いたおふたりが美しい。
注目するところはカラスが恋に落ちたギリシャの海運王、アリストテレス・オナシスが元ケネディ大統領夫人と結婚するためにカラスと別れたところ。
映画はインタビューから始まる。
ニューヨークで育ったそうで、英語はとてもわかりやすい。
【公式】『私は、マリア・カラス』12.21(金)
公開/本予告 (1:48)
カルメンを歌うマリア・カラス(3:23)
解説:
20世紀最高のソプラノと称されたオペラ歌手マリア・カラスの人生をひも解いていくドキュメンタリー。
1977年の突然の逝去により未完となってしまった自叙伝、友人や愛する人に宛てたプライベートな手紙など、マリア・カラス本人の「歌」と「言葉」のみでカラスの人生を再構成。
自叙伝で語られる言葉や手紙の朗読を「永遠のマリア・カラス」でカラスを演じたファニー・アルダンが担当。半数近くが今回初公開となる素材群、写真をもとにカラー化したモノクロ映像などから、プロフェッショナルとしての信念と、ひとりの女性としての幸せに揺れる歌姫の真実の姿が描かれる。
(映画.com)
監督:
トム・ボルフ
マリア・カラスに仕えるような映画を作りたいーー『私は、マリア・カラス』トム・ヴォルフ監督インタビュー
2018年12月20日
https://swamppost.com/enta/eiga/3055/
キャスト: マリア・カラス
原題: Maria by Callas
製作年: 2017年
製作国: フランス
上映時間: 114分
上映館:
https://eiga.com/movie/89002/theater/
マリア・カラス(Maria Callas, ギリシア語: Μαρία Κάλλας, 1923年12月2日 - 1977年9月16日)は、ギリシャ系アメリカ人のソプラノ歌手。ニューヨークで生まれパリで没し、20世紀最高のソプラノ歌手とまで言われた。特にルチア(ランメルモールのルチア)、ノルマ、ヴィオレッタ(椿姫)、トスカなどの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。
(Wiki)
1957年、ヴェネツィアで過ごすマリアと運命の人、アリストテレス・オナシス。caflo
華やかな社交界で、すでにモナコ公妃となっていたグレース・ケリーと。caflo
アリストテレス・ソクラテス・オナシス(Αριστοτέλης Ωνάσης、Aristotle Socrates Onassis、1906年1月15日 - 1975年3月15日)はギリシャの実業家、ミリオネア。「20世紀最大の海運王」と言われた。
オナシスは1946年に海運王のスタブロス・リバノスの娘のアシーナと結婚し、2人の子供であるアレクサンダーとクリスティナは両方ともニューヨークで生まれた。
1957年にヴェネツィアで開かれたエルザ・マックスウェルのパーティーでオペラ歌手マリア・カラスと知り合い、1960年にアシーナと離婚した。アシーナは後に、ブランドフォード侯爵ジョン・ジョージ・ヴァンダービルト・スペンサー=チャーチル(後の第11代マールバラ公)や彼女の姉ユージニア(Eugenia)の寡夫であったスタブロス・ニアルコスと再婚した。
カラスとは9年ほど関係していたが結婚はせず、1968年には、1963年11月に暗殺されたアメリカ大統領のジョン・F・ケネディの未亡人であるジャクリーン・ケネディと結婚し、世界的に話題を呼んだ。しかしジャクリーンとの結婚は「恋愛によるものではなかった」と言われ、事実夫妻は滅多に時を共に過ごさなかった。オナシスはジャクリーンの子供のキャロラインやケネディ・ジュニアとは良い関係を持ったが、ジャクリーンはオナシスの娘クリスティナと良い関係を持てなかった。ジャクリーンはその多くの時間を旅行と買い物に費やし、オナシスとは別々にゴシップ誌の紙面を飾った。
(Wiki)
最後に私が大好きな歌、
マリア・カラスが歌うプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」〜私のいとしいお父さん
Maria Callas: O Mio Babbino Caro (3:55)
見応えある素晴らしいドキュメンタリー映画です。
年末年始のお休みにぜひご覧になってください!
感動します!