2020年04月
2020年04月30日
令和から一年 重圧に勝った雅子さんの活躍とは?
平成が昨年のきょう4月30日に終わり、明日5月1日で令和になって1年となる。
事件、事故、災害、台風、そして新型コロナウイルス、令和になっていいこと何ひとつない。
もう10数年経った感じ。たった1年のうちにこんなに嫌なことばかりが起こり続けた呪われた令和だ。
それなのに、未だに週刊誌は何もして来なかった雅子さんが重圧に打ち勝ってご活躍と褒め称える。
おかしくてお臍で茶が沸く。
ポストセブンも意地悪だ、ボタンの掛け違いの雅子さんの画像をあげている。
この人なんで泣いているの?
さんざんさぼり続けてもコーゴー成れたと感激の涙か?
まだ神様が受け入れたとは思えないのに。
机を並べて進講を受けているのは、天皇と皇后が対等な関係であり、新しい夫婦像の関係を示しているらしい。
皇后になってなんという勘違いか。
そして自分が”いるだけで価値がある存在”と再認識できた年だった?
いるだけで価値ないわ。いなくてもまったく大勢に影響なし。
令和の御代がわりから1年、重圧に打ち勝った雅子さまのご活躍
Newsポストセブン 2020/4/30(木) 16:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200430-00000011-pseven-soci
トランプ氏は雅子さまの類まれな英語力に驚愕したという(昨年5月、東京・千代田区/時事通信フォト)
「国民が一丸となって乗り越えなければならない」、「心を一つにして力を合わせながら、難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」
【別写真】こぼれ落ちた涙をぬぐう雅子さま
これは4月10日、新型コロナウイルスについて専門家によるご進講を受けられた際の天皇陛下のおことばだ。同じテーブルの前に座られ、陛下の隣でご進講を受けられた雅子さまは、その言葉に何度も深くうなずかれていたという。
ワクチンも治療薬もないウイルスの蔓延という未曽有の事態にあってなお、おふたりは深いお気持ちで国民を思われている。
『皇后考』(講談社)の著者で政治学者の原武史さんは、その様子に“令和の両陛下らしさ”を見出したという。
「椅子を並べてふたりで進講を受ける姿は、天皇と皇后が対等な関係であることを視覚的に感じさせるものでした。“皇后が天皇を立てる”といった、これまでの皇后像とは違った新しい夫婦の関係性が垣間見えたように思います」
昨年5月の御代がわりから約1年。雅子さまのご活躍を振り返ると、“三歩下がってついていく”とは違った「新しい皇后像」が見えてきた──。
◆胸中が凝縮されたお言葉
「この1年は雅子さまにとって、ご自分が“いるだけで価値がある存在”であることを再認識できた年だったのではないでしょうか」
コラムニストで『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』(幻冬舎)の著者である矢部万紀子さんは、そう振り返る。
元外交官という肩書を持ち、職業経験を持たれる初めての皇后である雅子さま。皇室に入られるまで、ご自分の仕事に誇りと生きがいを感じられていたことだろう。しかし、皇太子妃として皇室に入られた雅子さまを待ち受けていたのは、何よりもお世継を求める声だった。
「1993年の婚約内定の記者会見で記者から“希望するお子さまの人数”について尋ねられ、ユーモアあるお答えをされました。雅子さま自身も男子出産が期待されていることは充分に理解されていたはずです。しかし、そればかりは努力だけではどうにもならないこと。
どれだけほかのことで活躍しても『男子出産』が第一に求められ、“なんのためにここにいるのだろうか”と、ご自分の存在意義が見えなくなってしまったのではないでしょうか」(矢部さん)
そうした経験を経た雅子さまにとって、自身が皇后となることを国民は受け入れるのか、不安は尽きなかっただろう。昨年12月、皇后になられて初めての誕生日を迎えられたご感想文書に、そんな不安が垣間見える。
《多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております》
“思いがけない”という一言に、胸中が凝縮されているのではないだろうか。
昨年の即位関連行事で雅子さまがお出ましされるたび、国民は雅子さまに温かな視線と歓声を注いだ。
コラムニストで皇室ウオッチャーの辛酸なめ子さんは“第2次雅子さまブーム”の到来を感じたという。
「1993年のご成婚のときを『第1次ブーム』とするならば、昨年5月前後から続く御代がわりのタイミングが『第2次ブーム』でしょう。即位が近づくにつれて、世の中が雅子さまを応援するムードになるのを感じました。
皇太子妃時代には、どこかこわばった表情が多かったように感じましたが、即位のパレードで見せられた表情は、打って変わったような自然な笑顔。素晴らしい笑顔に、国民は安心したことと思います。つらい経験をされたからこそ出る慈愛を、いまの笑顔から感じます」
昨年11月10日に挙行された即位に伴うパレード「祝賀御列の儀」で、沿道に詰めかけた約11万9000人からの祝意を一身に浴びられた雅子さま。道中、涙を浮かべながら手を振られるお姿に感動を覚えた人は多いだろう。
『素顔の雅子さま』(河出書房新社)の著者で放送作家のつげのり子さんは、その日の雅子さまの手に、“誠心誠意応えよう”というお気持ちが表れていたと話す。
「オープンカーの後部座席に座られた雅子さまは、実は、お手振りされていない方の手でドアの内側のハンドルをしっかり握られていたのです。揺れる車の中で、そうしてバランスを取りながら体をねじり、沿道の人々にできるだけ正対しようとされていらっしゃいました。
いくら車がゆっくり走るとはいえ、片手でバランスを取りながらお手振りされるのは苦しい体勢だったはず。できる限り国民の方を向いて感謝を伝える、雅子さまの誠実なお気持ちが感じられました」
パレード前夜に皇居前広場で行われた「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」では、奉祝曲を聴かれた雅子さまが涙を流される場面があった。
「即位関連行事で雅子さまが見せられた涙は、国民への “感謝”の表れだと思います。つらい時期があっても、いつか乗り越えられるときが来る。そんな希望を多くの女性に与えたのではないでしょうか」(つげさん)
そうして、雅子さまは即位に関するすべての行事に出席され、新皇后として無事に務めを果たされた。
元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、次のように言う。
「皇后陛下には、即位関連の儀式、行事には出なくてはいけないというプレッシャーがあったことでしょう。しかし、プレッシャーに打ち勝ち、すべての儀式、行事に出席されました。心からよかったと思っています」
無事に即位に関する行事を終えられた雅子さまだが、特に強い存在感を発揮されたのは、昨年5月に来日したドナルド・トランプ米大統領夫妻への歓迎行事ではなかっただろうか。
「トランプ大統領ご夫妻と通訳を通さずに会話されたことが大変評判になりました。元外交官である雅子さまにとって語学力は当然で、国民が魅了されたのは海外の要人の前でも堂々と振る舞われる“国際性”だったと思います。そして堂々たるご様子は国民の前でも変わらず、同時に心からの笑顔をお見せになっています。そこに雅子さまの素晴らしさを感じます」(矢部さん)
※女性セブン2020年5月7・14日号
そしていつまでも出し惜しみする天皇のお言葉。
おことばのタイミングが世界に広がる危機に、というが、
「日本人」「国民」という範疇(はんちゅう)だけで物事をとらえていない、という。
”国際”や”世界”が”日本”より好きなふたりですからね。
どんな言葉が出てこようと期待はしない。
天皇陛下のおことばのタイミング 世界に広がる危機に「国を超えた視点も」〈AERA〉AERA dot. 2020/4/28(火)9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200424-00000015-sasahi-soci
2011年3月16日、上皇陛下は5日前に発生した東日本大震災を受け、国民に向けビデオメッセージで語りかけた(写真:宮内庁提供)
新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず、不安は日に日に大きくなっている。天皇陛下の「おことば」はあるのか。天皇制を研究する政治学者、原武史さんが語った。AERA 2020年4月27日号から。
【写真】沿道の歓声を受けて涙ぐむ雅子さまはこちら
* * *
メッセージを出すとすれば、一つのタイミングとして5月1日があるのではないでしょうか。令和改元と即位からちょうど1年というタイミングなら、メッセージを出す流れも自然です。皇后も一緒であれば、インパクトは倍増します。
長いメッセージにはならないと思います。まずはねぎらいの言葉でしょう。東日本大震災後のメッセージでは、自衛隊を筆頭に救助活動にあたっている人々をねぎらいました。今回はまず医療従事者へのねぎらいだと思います。
そして、感染者に対する差別や偏見を戒める言葉が入ると思います。国民同士がいたわり合い、助け合うことの大切さが強調されるでしょう。
しかし同時に、令和になってからの天皇と皇后の動きを踏まえると、国内の感染ばかりか世界各地の感染の広がりを危惧する言葉も入ると思います。トランプ大統領夫妻と通訳を介さずに話すなど、国際交流を重視してきた天皇と皇后は、「日本人」「国民」という範疇(はんちゅう)だけで物事をとらえていないように感じます。これも平成との違いで、メッセージにはその違いが表れるのではないかと思っています。
たとえ国民の間にメッセージを待望する空気が醸成されなくても、ひとたび天皇がメッセージを発すれば、圧倒的にありがたがる空気が生まれるのは間違いありません。それは個々の天皇の違いにかかわらずそうです。この点に関しては、平成のビデオメッセージどころか、終戦時の玉音放送以来、なんら変わっていません。
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の尾身茂副座長を赤坂御所に招き、両陛下が説明を受ける様子を伝えたNHKニュースが、「両陛下は今後も関連するさまざまな分野の専門家から説明を受けられる予定です」と言っていました。新型コロナウイルスの感染拡大に対する天皇と皇后の関心は、きわめて高いと思います。天皇制の研究者として、その関心が今後どういう形で表れるかに注目しています。
(構成/コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2020年4月27日号より抜粋
譲位から一年・下天皇夫妻 3回目の進講
4月30日で退位し、下天さんに譲位してから1年だ。
上天皇さまは高輪皇族邸に転居し、穏やかな生活を送っているという。
週2,3度ハゼの研究で皇居の生物学研究所に通っていたが、新型コロナウイルス拡大の影響で見合わせており、仮御所内で静かに過ごしているという。
譲位した下天さんになにかアドバイスはされているのだろうか?
上皇さま譲位から1年 新型コロナご憂慮も
産経新聞 2020/4/29(水) 18:53配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200429-00000555-san-soci
昨年4月末の上皇さまの譲位から30日で1年を迎える。上皇ご夫妻はすべての公務を天皇、皇后両陛下に引き継ぎ、今年3月には仙洞(せんとう)仮御所(旧高輪皇族邸、東京都港区)へご転居。穏やかな生活を送る一方、昨今の新型コロナウイルス感染拡大で関係者を案じられているという。
ご夫妻は昨年5月以降の天皇陛下のご即位関連行事に出席せず、報道などで見守られた。側近によると、沖縄戦終結の日(6月23日)、広島、長崎への原爆投下の日(8月6日、9日)、終戦の日(同15日)にはご夫妻でご黙祷(もくとう)。昨年10月の上皇后さまの誕生日には台風19号の被害に配慮し、例年開かれていた祝賀行事を取りやめるなど、在位中と同様に被災地にも心を寄せられている。
上皇さまは今年1月に一時、意識を失って倒れられた。上皇后さまは昨年9月、乳がん摘出手術を受けられた。側近によると、ご夫妻は万全ではないものの、その後のご体調に大きな変化はないという。
3月末の仙洞仮御所への転居後は、新型コロナウイルス感染拡大を受け、主に仮御所内で静かに過ごされている。週に2、3度、皇居の生物学研究所に通われていた上皇さまのハゼの研究も当面、見合わせる。
側近によると、ご夫妻は感染拡大に心を痛め、医療従事者ら関係者の対応を見守る一方、「社会生活を維持するため、目に触れにくいところで犠牲を払っている人がいるのではないか」と憂慮されているという。
両陛下、新型コロナで3回目の進講お受けに
産経新聞 2020/4/28(火) 21:08配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200428-00000617-san-soci
天皇、皇后両陛下は28日、お住まいの赤坂御所に公益社団法人「日本経済研究センター」の岩田一政代表理事・理事長を招き、新型コロナウイルスの感染拡大が国内外の経済に与える影響に関する説明を受けられた。両陛下が新型コロナウイルスについて専門家から直接、進講を受けられたのは3回目。
岩田氏によると進講は約1時間15分に及んだ。天皇陛下は経済的なマイナス幅の規模に関心を持たれ、皇后さまはアジアやアフリカなどの新興国での今後の感染拡大を憂慮されていたという。
写真は前回2回目ご進講の時:
2020年04月29日
きょうは「昭和の日」
きょう4月29日祝日は「昭和の日」、長らく「みどりの日」だったが、2007年(平成19年)から「昭和の日」となった。
下記の昭和天皇が不満をもらしたということを読んであらためて涙する。
平成・令和と血税で贅を尽くした時代を見てきているので、昭和天皇の国民を想う気持ちに民を想う天皇とは、と考えさせられる。
敗戦し、皇室財産は国に属し、費用は予算に計上し、国会議決を経なければならなくなった。そういうことに不満というか自分が使いたいからと思ったら違う。
「前程でなくてもよいから皇室財産が少し欲しい私の使ふのでなく、奨励とか救恤(きゅうじゅつ)とか又職員の福利とかにと述べ、社会事業や地域産業への奨励金、それに被災者や困っている人たちなどへの寄付金や義援金に充てる財源を希望した」という。
平成となんという違いか。
昭和天皇「拝謁記」− 戦争への悔恨
新しい皇室制度に不満を漏らす
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-symbol-06.html
「拝謁記」には、新しい憲法のもとでの皇室の予算や皇室会議のあり方について昭和天皇が不満を漏らしていたことも記されていました。
寄付金や義援金の財源を希望
昭和24年4月20日の拝謁では、昭和天皇が「新聞ニ憲法改正ノコトガ出テルガ。皇室ノコトナド 変ヘテ欲シイコトモアルガ 今変更シ出シテハ イロイロニナラウガ総理ナド政府ノ考ハドウデアラウ」と述べたのに対し、田島長官が「芦田内閣ノ中ニハ 松岡モ芦田モ一応調査シテ 変更ノ要ナシトイフ所ヘ モツテユクコトニ キイテ居リマシタガ、吉田内閣ニナリ一向話ガ立消エデ何モ存ジマセヌガソレトナクキイテ見マセウ」と応じたことが記されています。
戦前の皇室は、憲法から独立した存在で、議会や国民に制約されないようばく大な財産を保有していました。しかし、戦後の民主化政策の一環で財産は凍結され、さらに日本国憲法では財産のやり取りも厳しく制限され、すべての皇室財産は国に属し、費用は予算に計上して国会の議決を経なければならなくなりました。
昭和25年8月10日の拝謁では、昭和天皇がこうした現状を不満に感じて、「前程でなくてもよいから皇室財産が少し欲しい私の使ふのでなく、奨励とか救恤(きゅうじゅつ)とか又職員の福利とかに」と述べ、社会事業や地域産業への奨励金、それに被災者や困っている人たちなどへの寄付金や義援金に充てる財源を希望したことが記されています。
昭和28年11月25日の拝謁では、昭和天皇が「救恤(きゅうじゅつ)金などでも国会のワクがあるが、あゝいふのも自由ニしたいので自分の為ニ自分の用ニ自由ニしたいのでない又皇室費を昔の様ニ一本ニして欲しいのだといつたら吉田ハ昔はそうでしたかと言つて知らなかつた。自分の為ニ自由ニなるお金の意味ではないというふ旨をいったが、どうも現状の事も吉田ハ十分知らぬやうで」と述べたことも記されています。
「皇室会議」にも言及
また、皇族の結婚など皇室の重要事項を決める「皇室会議」についてもたびたび言及していて、昭和26年9月6日の拝謁では「あれは矢張り元の私の議長ニなる皇室会議の方がよい」と述べ戦前と同じ形が望ましいという認識を示したことが記されています。
翌年(昭和27年)9月30日の拝謁では、昭和天皇が「皇族会議(原文ママ)は元のやうな純粋な親族会議ニするといゝと思ふうがねー、皇族の数も少なくなつたし、選挙といふもおかしいし」などと述べ、田島長官が「憲法の建て前も天皇統治権総攬から主権在民と移り皇室典範もその影響で改正されて居りまするので、研究は致しまするが」と応じたことが記されています。
日本の第122代天皇・明治天皇の皇后、昭憲皇太后は昭憲皇太后基金という国際赤十字基金を持っていた。
昭憲皇太后基金(しょうけんこうたいごうききん)(英:EmpressShoken Fund)は国際赤十字の基金。
1912年(明治45年)、アメリカ合衆国のワシントンD.C.にて開催された第9回赤十字国際会議において、昭憲皇太后が国際赤十字に下賜した10万円(現在の3億5000万円に相当)を元に創設された。
第1回から第100回までの配分総額は約11億240万円であり、2015年(平成27年)3月31日時点の基金総額は約18億5730万円(1500万スイスフラン)。
1944年(昭和19年)を除き、1921年(大正10年)から現在に至るまで毎年、昭憲皇太后の命日である4月11日に基金の利子が世界各国の赤十字社と赤新月社に配分され、これまで世界161ヵ国の国や地域の災害や感染症に苦しむ人々の救済や福祉の増進、防災や病気の予防などの活動に充てられてきた。
その後も貞明皇后や香淳皇后、また上皇后美智子からの下賜金、または日本赤十字社の資金協力などもあり、様々な形で基金が増額されている。
100周年を迎えるに当たり、明仁天皇と美智子皇后からの下賜金、明治神宮と明治神宮崇敬会からは1000万円の寄付があった。
(Wiki)
下記は戦後昭和天皇が昭和21年から29年まで全国を巡行され、佐賀の戦災孤児が生活している因通寺を訪問した時の涙されたエピソード。
昭和天皇の涙【感動】(10:42)
因通寺(いんつうじ)
佐賀県三養基郡基山町宮浦815
下記は戦後のご巡幸についての曹洞宗西光寺の法話です。
長文ですので全文は下記サイトをご覧ください。
抜粋したものを紹介します。
法話 − 令和元年5月
日本人の宗教観その8 ― 天皇 その4―
https://www.saikoji.net/houwa/howa1905.html
(前略)
神武天皇以来2600年以上もの長きに亘り、天皇と国民はまさに相思相愛の関係にありました。
戦後は現人神としてではなく日本国の象徴としての位置付けになりましたが、国民の想いとその威厳はまったく衰えていません。
日本には精神的主柱である天皇がおり、日本人に生まれたことで天皇が庇護する日本国の一員であるという誇りと自負が芽生えます。
そこに自ずと天皇崇拝の想いが生まれるのは自然なことであり、それはまさに“信仰心”に他なりません。
何となればこれこそ「宗教」ではないでしょうか。
以上のことを踏まえて、前回に続いて昭和天皇が戦後とられた行動とエピソードを紹介したいと思います。
戦後間もない、まだ新憲法も公布されてもいない、「象徴天皇」という言葉もまだないなか、日本人が普通に生活できるようにしなくてはならないという想いから天皇が選択されたのが、全国行幸だったのです。
天皇巡幸は昭和21年2月から29年にかけて全国を巡幸され、全行程は3万3千キロ。
東京、ロサンゼルス間を2往復する勘定になります。
敗戦によるショック、虚脱状態にあった国民を慰め、励まされるための旅でした。
未曾有の戦災を被った日本を不法な闇市を通さなくても十分に食料が分配できるようにするためには何が必要か。
陛下が選択されたのは全国民の真心を喚起するということだったのです。
国民一人一人が、炭鉱で、農村で、役場で、学校で、会社で、あるいは工場で、真心をもって生産に勤しむ。
ひとりひとりの国民が復興のために、未来の建設のために立ち上がること。
そのために陛下は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ち上がるための勇気を与えようと全国を巡られたのです。
陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないなか、無防備のまま巡られたのです。
普通の国であれば、平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされるものです。
それでも暗殺される王様や大統領だっています。
それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇陛下が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡り、国民を慰める・・・なんという命知らずの大胆なやりかたであろうか。いつどこで殺されるかもしれない・・・
「ヒロヒトのおかげで、父親や夫が戦争で殺されたという恨みを考えれば、旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。ヒロヒトが40才を過ぎた猫背の小男ということ、神様じゃなくて人間だということを日本人に知らしめてやる必要がある」と、占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされていました。
しかし、その結果は高官たちの“期待”を裏切るものでした。
驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って「天皇陛下万歳」と叫んで陛下を慰めている。
なんと美しい国の元首と国民の親しみ、心と心の結び、これは日本以外どこにも見られないことでした。
イギリスの新聞は、この驚きを次のように率直に述べています。
「日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。」
ローマ帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ滅びています。
神の如く慕われていたヒトラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいます。
それが、日本に限ってまったく違った現象が起こったのです。
外国人が驚愕したのも頷けますね。このような国は他にはありません。
戦後日本が焼野原から急成長を果たしていったのも天皇陛下と日本国民の心の結びつきが非常に強かったからこそだといえるでしょう。
しかし、国民のマジョリティーはそうだとしても、中には当然マイノリティーも存在します。
実際、共産主義に感化された一部の人々の中には、そうした陛下を亡き者にしようとか、あるいは陛下を吊し上げようと、各地で待ち受けていた輩もいたのです。
そんな中で、実際の陛下の行幸で何があったのかを佐賀のケースで見てみましょう。
佐賀県に因通寺というお寺があります。
この寺には、戦争罹災児救護教養の、洗心寮が設置されていました。
洗心寮には、44名の引き揚げ孤児と、戦災孤児がいました。
この寺の住職、調寛雅(しらべかんが)氏と昭和天皇はあるご縁がありました。
そのご縁もあって、九州行幸には「行くなら、調の寺に行きたい」との昭和天皇のご意向から、因通寺のご訪問が決定しました。
この地域は、共産主義者がたくさんいる地域で、特に敗戦後ですので暴動が起きる可能性がかなりありました。
因通寺のある町では、陛下の行幸を歓迎する人と反対する人で対立が起きました。
歓迎するのにも命がけの雰囲気です。反対派から何をされるか分りません。
5月24日、いよいよ因通寺に昭和天皇の御料車が向かわれます。
いろいろな想いの群衆から、「天皇陛下万歳、天皇陛下万歳」の声が自然と上がりました。それは、地響きのようでした。
以下昭和天皇が因通寺訪問された話になります。
(以下詳細は上記サイトへ)
スウェーデン王室のソフィア妃 医療現場にアシスタントとして勤務
読者からいただいた情報を転載します。
スウェーデン王室のソフィア妃(35)が医療現場にアシスタントとして勤務を開始し、世界から称賛されているという記事です。ソフィア妃は幼いお子さんがふたりいらっしゃる、新型コロナウイルス感染の危険性のある医療現場で働こうとする意欲はなかなかなものです。
医療現場で働く前に、ストックホルム大学で3日間の医療コースを受講したそうです。
勤務しているソフィアメット病院は自身が会長を務めている病院とのこと。
勤務内容は医師や看護師を支えるべく、同僚とともに患者のケアや清掃などを行っているとのこと、単なる名誉職でなく現場で清掃もしているとはご立派な心がけです。
この方元モデルで背中に刺青があり、王妃になった印象はあまりよくなかったのですが、印象変わりましたわ。
異例の行動に称賛の嵐! スウェーデン王室のソフィア妃、医療アシスタントとして病棟に勤務
SPUR.JP 2020.04.19
https://spur.hpplus.jp/culture/celebritynews/202004/19/QjBpkxI/
スウェーデン王室のソフィア妃 (35)が医療現場にアシスタントとして勤務を開始し、世界から称賛されている。一方のイギリスでも、ウィリアム王子の活躍ぶりがSNSで話題に。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で医療崩壊の危険性が高まるなか、スウェーデン王室のソフィア妃(35)が自ら力になりたいと志願。アシスタントとして、医療現場で働いていることが明らかに!
医療現場で働く前に、ストックホルム大学で3日間の医療コースを受講したというソフィア妃。現在、自身が会長を務めるソフィアメット病院ですでに勤務を開始している。
カール・フィリップ王子(40)とソフィア妃の公式インスタグラムには、青いスクラブや名札、筆記具などがベンチに置かれた写真とともに、ソフィア妃がメッセージを投稿。
「私は治療室のひと部屋に配属されています。医師や看護師を支えるべく、同僚とともに患者のケアや清掃などを行っています」と現状を伝えつつ、「ソフィアメット病院は主に癌の手術をサポートすることで、他の救急病院を支援します」とビジョンを明確にした。
最後には、「この困難な時期に支援する機会を持てたことに感謝しています」とコメント。不安を見せることなく、力強いメッセージを届けた。
元モデルという華やかな経歴を持ち、2015年にカール・フィリップ王子と結婚したソフィア妃は、2016年にアレキサンダー王子(4)を、2017年にガブリエル王子(2)を出産。まだ幼い子がいるにも拘わらず、ソフィア妃が取った行動は、スウェーデンをはじめ世界から称賛されている。
一方で、新型コロナウイルス発生からわずか8日後、臨時医療施設「NHSナイチンゲール」を発足したイギリス。全7か所に建設予定のうち、ナショナル・エキシビション・センター内に作られた同施設の開設式典にビデオで出席したウィリアム王子の様子が、ケンジントンロイヤルのインスタグラムに投稿された。
施設の建設に携わった人々、医療従事者、医療関係スタッフに感謝の意を表し、「あなたがたを誇りに思う」とメッセージを送ったウィリアム王子。すると動画を見た人々からは、「よく言ってくれた、素晴らしい!」、「未来の国王に相応しい」などとウィリアム王子を称える声が続出した。
パンデミックの収束を目指して、あらゆる手段で戦い続ける各国のロイヤルメンバーたち。そのパワフルな行動力とメッセージに、多くの国民が勇気と元気をもらっているはず。
ソフィア妃の刺青:
2015/6/15
ソフィア・ヘルクビストさんの入れ墨
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4891017.html
2020年04月28日
NewMyRoyals フェリペ国王とレティシア王妃 112救急センターを訪問
スペインの新型コロナウイルス感染者と死者数は米国、イタリアに次ぎ世界で三番目に多い。
4月19日時点で感染者数は、前日の19万1726人から19万5944人に増加した。医療従事者の感染は全体の15.6%を占める。
サンチェス首相は18日、全土で行っているロックダウンを5月9日まで延長することを来週議会に要請すると明らかにした。
そんな中、感染の危険を犯してフェリペ国王とレティシア王妃が多くの感染者を収容し、診療している112救急医療センターを訪問した。
King Felipe and Queen Letizia visited the 112 Emergency Center
On April 27, 2020, King Felipe VI and Queen Letizia of Spain visited the 112 Emergency Center (Agencia de Seguridad y Emergencias Madrid - ASEM 112) in Madrid during the couple's first public event out of the Zarzuela Royal Palace since the lockdown started 44 days ago amid the ongoing coronavirus COVID-19 pandemic. Spain is under lockdown in a bid to slow down the spread of the pandemic COVID-19 disease caused by the coronavirus (SARS-CoV-2). |
https://www.newmyroyals.com/2020/04/king-felipe-and-queen-letizia-visited.html
フェリペ国王とレティシア王妃 112救急センターを訪問
2020年4月17日、スペイン・フェリペ6世国王とレティシア王妃はマドリードの112救急センター(マドリード緊急時総合連絡センター)を訪問した。これはコロナウイルスCOVID-19パンデミックの真っただ中、ロックダウンがスタートして44日間以来、サルスエル・ロイヤル宮殿から出た国王夫妻の初めての公式訪問だった。スペインはロックダウンの下、コロナウイルス(SARS-CoV-2)が原因となるパンデミックCOVIC-19拡散が少しスローダウンしている。
スペインのコロナウイルス状況:
スペイン、新型コロナウイルス1日当たり死者が約1カ月ぶり低水準に 都市封鎖で感染拡大が減速
スペインのコロナウイルス状況:
スペイン、新型コロナウイルス1日当たり死者が約1カ月ぶり低水準に 都市封鎖で感染拡大が減速
Newsweek 2020年4月20日(月)09時17分
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/04/11-39.php
スペインでは19日、新型コロナウイルスによる1日の新たな死者数が410人となり、3月22日以降で最低を記録した。写真は4月19日、マドリードで撮影(2020年 ロイター/Juan Medina)
スペインでは19日、新型コロナウイルスによる1日の新たな死者数が410人となり、3月22日以降で最低を記録した。
4月2日には1日の死者は950人と最高を記録したが、3月中旬からウイルス感染拡大防止のために導入したロックダウン(都市封鎖)により、感染拡大ペースに減速の兆しがみられる。
保健省によると、19日時点でこれまでに死亡した人は2万0453人で、米国、イタリアに次ぎ世界で3番目に多い。感染者数は、前日の19万1726人から19万5944人に増加した。医療従事者の感染は全体の15.6%を占める。
サンチェス首相は18日、全土で行っているロックダウンを5月9日まで延長することを来週議会に要請すると明らかにした。ただ、制限措置は今までよりも柔軟に適用すると説明した。
スペインでは既に一部のセクターで経済活動が再開されているが、大半の人は依然、食料など生活必需品の買い物以外は外出が禁止されている。
一方、4月27日以降、児童は一定時間外出が許可される。イラ保健相は詳細を21日の閣議で議論すると述べた。また、屋外での運動や高齢者の散歩の許可なども検討する方針という。
新型コロナ スペインは子どもの外出可能に、武漢市の患者が全員退院
CNN 2020.04.27 Mon posted at 12:10 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35153002.html
スペインで新型コロナウイルス対策の外出規制が緩和され、子どもの外出が可能になった/Al
Goodman/CNN
(CNN) スペインで26日、新型コロナウイルスの感染拡大を抑制するためにもうけられていた外出規制が一部緩和され、14歳までの子どもについては成人が同伴すれば1日1時間屋外で遊べるようになった。一方、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった中国・武漢市では患者が全員退院した。
スペインでは新型コロナウイルスの感染拡大を受けて3月14日に非常事態が宣言された。スペインは欧州の中でも最も厳しい措置を取った国のひとつだった。
スペイン首都マドリードで自宅から外出できる気分を尋ねられた子どもたちはCNNの取材に対し、喜びの声を上げた。アベル・サンチェスさん(14)は、家庭用ゲーム機もあったし、友人とアプリを使って会話することもできたが、とても退屈していたので、外出できるようになってうれしいと語った。自宅で気詰まりを感じていたので、外に出て新鮮な空気を吸えるのはいいこととも述べた。外出は1キロ以内に限られているが、玩具を持ち出すことはできる。
中国国家衛生健康委員会(NHC)は26日、武漢市の患者が全員退院したと明らかにした。武漢市や全国の医療関係者の協力により、4月26日までに新型コロナウイルスの入院患者は全員退院したという。
武漢市では25日の時点で4万6452件の感染が確認されていた。武漢市は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて最初にロックダウン(都市封鎖)が実施された都市。現在はゆっくりとだが通常の生活を取り戻しつつある。
マスクを着用して八百屋を訪れる男性=18日、武漢市/HECTOR RETAMAL/AFP/AFP viaGetty Images
76日間にわたる都市封鎖の傷跡は大きく、市民の多くは感染の第2波を懸念しており、事業者も事業再開に苦慮している。
米ジョンズ・ホプキンス大学の集計によれば、新型コロナウイルスによる死者は全世界で少なくとも20万5000人、感染者は290万人以上。米国での死者数は5万3000人以上で、世界全体の死者の4分の1以上を占める。
我が国の天皇はメッセージを出すのは令和になった記念の日の5月1日だのなんだの書かれている記事ばかり。
「両陛下は今後も関連するさまざまな分野の専門家から説明を受けられる予定です」とのことだが、何日かけて専門家から説明聞いても無駄では?
どのタイミングがいいか模索しているようだが、こういう感染症被害には待ったなしで出すべきではないのか?
でももう今更出されても遅いと思うし、何の感銘もなし。
お言葉メッセージを出すかどうかでもこの騒ぎ、ましてや感染症患者が大勢いる病院視察をして最前線で戦う看護士を励ますことなどは決してしないでしょうね。