a975643b.jpg知的所有権で中国塗料株式会社と争っている広島の原さんが上京した。いつもお土産にもってきてくださるのがわさび漬け。彼自ら作ったというわさび漬けだ。夜さっそくいただいたがピリッと辛くてとてもおいしい。

それと今回は宮島のもみじまんじゅうをもってきてくださった。3月に横浜のYOさんのお宅で食事会した後広島へ帰って以来だ。来る時にまたYOさんのお宅に泊まり、きょう東京まで来た。招待してもらったもうひとりのYAさんと昼間銀座でランチし、午後日比谷公園内の松本楼でお茶をした。緑がまばゆい中でのお茶、私はケーキと紅茶、昼食をまだ取ってない原さんはビーフカレー、YAさんはデカンタで赤ワインを飲んだ。

松本楼は1903年に開業した店だそうだ。関東大震災で焼失し、1942年に東京大空襲が始まると日比谷公園が軍の陣地となり、1945年2月、遂に松本楼が海軍省の将校宿舎となり、終戦後にはGHQ宿舎として接収され、約7年に渡り営業できない日々が続いた。1951年11月にようやく接収が解かれ、松本楼は再スタートを切った。第二次世界大戦前には日本に亡命していた中華民国初代総統の孫文やインド独立運動家のラース・ビハーリー・ボース、また最近では2008年には中華人民共和国の胡錦濤国家主席も来店したという店だ。

以前私が裁判支援した人で帰化した中国人女性と昼食を取るため彼女の裁判が終わった後にこの店に入った。裁判の助言をしているうちに突然逆切れした。大声を出して発狂したかのごとく、席を蹴って出ていった。残された私は恥ずかしくてすぐに店を出、しばらくここに来れなかった。この中国人女性は日本の大企業に勤めていたが、毎年更新する契約社員だったのだが、13年間も契約更新してきたのに更新しないと言われ、裁判を起こした人だ。彼女に弁護士を紹介したが、意見が合わないということで解任し、新たに紹介された弁護団もまた解任し、それにつれて私も支援から降りた。しばらくして労働判例に彼女の地裁判決が掲載され、敗訴したことを知った。後に高裁で和解になったようだ。今はまったく交流がない。

そんなことを思い出しながら、夕方までめいっぱい彼の裁判の話をして別れた。これから5月17日の裁判に向けて準備が始まり、裁判所前での抗議行動も始まる。東京地裁前での原さんはちょっとした有名人だ。裁判所に来る誰もが門に入る前にパネルを広げ、スピーカーで抗議の録音を流し、本を売る彼の姿を目にすることになる。彼のところにはさまざまな裁判で問題をかかえている人たちが立ち止り、相談をしていく。彼から何人も私に振ってきて相談に乗ったことがある。裁判までこぎつける人はわずかだ。またこぎつけても勝てる人はそのまたわずかだ。そのくらい裁判とは難しいもの。できればこんな経験などしない方がいいに決まっている。こういうご縁で知り合った人たちとも貴重な人脈の輪となっていく。人生はおもしろい。