皇太子さん、5月30日午前、伊勢原市の大山へ登山されたそうだ。行き帰りの交通規制や事前の山の整備など、関係者はかなり大変ということを以前読んだことがある。

週刊金曜日 1998.7.3(225号)に
「新・傷だらけの百名山 7(最終回)」と題して加藤久晴氏が下記の記事を書いている。

「"皇太子ご一行様"の自然破壊山行 」
「小屋もルートもアンチ・ナチュラル」
 
皇太子さんが登る山は事前に登山道を整備し、笹や雑草なども刈り取られるそうだ。

(前略)
登山道は道幅が広く、明るい。登山道周辺の樹木や薮がところ構わず伐られていて、やたらに見通しが良いのだ。笹もしっかり刈られている。まるでブルドーザーで強引に伐り拓いた道のようだ。急登もあるが歩き易くできている。不思議なことに導標はまったくない。しかし、道ははっきりしているので迷うことなく稜線に出ることができる。

稜線から先は新品づくしである。真新しく立派な導標と、案内板に木道。新品の導標と案内板には、これ見よがしに「環境庁」と「新潟県」の文字がしっかりと刻まれている。滑稽を通り越して怒りを覚えるのが、玉子石の案内板である。玉子石が出来た由来が書かれているのだが、大きすぎて景観をぶち壊しにしている。

それに、この案内板を立てるために湿原をはじめとして、周辺の自然をかなり壊しているはずなのだ。小学校の理科室じゃないのだ。山の中にこんなもの要らない。案内板に麗々しく、名前を運ねている環境庁と新潟県にレッドカードだ。ったく!

湿原と池塘(ちとう)に山影が美しく映える平ヶ岳ピークの景観を、この場遠いな案内板が台無しにしていることに役人たちは気付かないのだろうか!

下ってきてから、地元の山岳関係者に聞くと、ショートカットルートも木道も案内板も、皇太子の山行が決まってから突貫工事で造られたという。とくに登山道の工事が大変で、地元から約70人の人間が駆り出され、ルート作りをさせられた。見通しが良い道を作ることが至上命令で、丈の高い草や樹木をめったやたらと伐り払った。「お陰で、登山道には、滑ったときに掴まる笹っ葉もねえ」

地元の人たちは、自嘲気味に嘆く。自然破壊もいいところである。

そして、湿原内の木道はともかく、ピーク周辺に、過剰な道標や案内板など余計な來雑物(きようざつぶつ)を作り、仕事をしていることを皇族に売りこむために名前を誇示する中央官庁と自治体。税金を使って何をやっているのか。

“整備不十分”と書いてあるにもかかわらず、中ノ岐林道がそれほど悪路でもないのは皇太子一行を通すために手入れしたからであろう。稜線へ出るまでのルートに導標が一切ないのも、一般道ではなく、あくまでも皇太子一行のために作った登山道だからであろう。

言うなれば、平ヶ岳のショートカット利用者は、税金で作られた、皇族山行の傷あとのうえを歩かされているのだ(なお、現在、中ノ岐林道のゲートは閉鎖されていて、地権者から鍵を借りなければ入れない。周辺一帯は地元の共有林になっている)。

遊歩道の先の立派な山小屋。皇太子宿泊予定地にされると、ほとんどの山小屋が新改築してしまう。宮内庁からは、オーバーなことはしないでくれというお達しが来るが、頭の中が旧態依然の山小屋オーナーは、一世一代の名誉とばかり、大散財をする。

その結果、豪華なシャンデリア輝く応接間を持つ新館が、とんでもない山の中に忽然と現われ、一般登山者をシラケさせる。宮内庁は、特別なことをするな、と言うが警備陣からは、「当日は、一般登山者と報道陣を、皇太子と同じ建物に泊めるな」と言われる。

そこでオーナーたちは、「面倒」とばかり、借金もかえりみず立派な新館を作ってしまう。さらに、山小屋関係者を悩ませるのが、皇太子専用の風呂とトイレを作れという宮内庁の指示。皇太子が「苗場山」(2145メートル)へ登ったときに不幸にして白羽の矢が立ったのが村営の「苗場山頂ヒュッテ」。国有地内なので建設省に申請してトイレ・風呂用の敷地借用の許可をとり、突貫工事にかかったが、天侯不順で、資材を上げるヘリコプターがなかなか飛べず、関係者は冷汗ものだったという。

何とか皇太子来荘には間に合ったのだが、皇太子は風呂には入らずじまい。おまけに借地に建てた風呂場なので、“皇太子ご一行様”が去ると今度は解体工事である。何という税金の無駄遺いであろうか。
以上

皇太子ご一行さまの山登りは税金の無駄遣いと自然破壊そのものと思われる。なんであるがままの自然の山を登らせないのだろう。こんな無駄遣いほんとうに迷惑。