今年はさまざまな歴史的事実を知る年だった。
今までの戦前戦後の歴史は嘘と捏造で私たちは騙されてきた。
私の父は終戦直前まで満州にいた。幸い終戦直前に日本に呼び戻されたので私が誕生することができた。そうでなければ父も旧ソ連へ抑留だった。それでこの話に興味を持った。
どんどん真実が明らかになるといい。
で、今年最後のさらなる真実がこれ。
中国が「侵略、侵略」と騒ぐが、
満州事変は侵略ではありません。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-248.html
1922年 九カ国条約締結
日本だけが違反したのではない。
蒋介石は1927年米英と紛争を起こしているし、張学良は1929年ソ連と紛争を起こした。
要するにそもそも中国側が違反していた。
1928年 六三カ国で不戦条約締結
米英が重要な点において留保を行うなど実質的に空文となった。日本は自衛戦争については留保していた。
1931年9月18日 柳条湖事件(満洲事変の発端)
中華民国が満州事変を日本の連盟規約違反として国際連盟に訴えたが、国際連盟は日本を侵略国と認定していない。
張作霖が排日運動の高まりや欧米からの支援をとりつけようと日本との距離を置き、
海外資本の提供をうけて、満鉄の平行線を建設し始めると、両者の関係は悪化しました。
当時中国は日本との条約を次々と破り、無知な住民を煽って暴力的なボイコット運動を起こさせ、
商鉱農工業妨害、日本国民の命に関わる圧迫行為、反日教科書などの侮日行為、
居留民襲撃や鉄道運行妨害など数百件のテロ行為を重ねていました。
満州には清や列強から承認された日本の特殊権益が存在しました。
日露戦争で日本がロシアに勝たなければ満蒙はロシア領になっていたはずです。
中華民国や張作霖は日本の勝利に何も貢献しなかったのに
日本が10万の戦没者、20億の戦費を費やして得た権益を
「満州は中国だから出て行け」というのはとうてい受け入れられません。
それに満州は万里の長城の外であって満州族の土地です。※2
もともと、満州に合法的に駐留していた関東軍はそれを守ろうとしただけです。
中央政府の中華民国も現地軍閥の張学良も犯罪に対する治安維持能力と条約遵守能力がなかったのですこういった事情から関東軍は権益を自衛するためには満州全土から匪賊同然の奉天軍を追い出す必要があると判断しました。これは侵略に当たりません。。
外国人への犯罪が放置され責任を持って対処する政府が存在しない。
これは国際法的には「無主の地」です。
責任を果たさないのに権利・主権など主張できない、という慣習国際法である。
こうしたなかで不法行為を黙って許容しているとそれを認めたことになります。
ラストエンペラー溥儀の英国人家庭教師であったジョンストンはリットン報告書の
”満州独立運動が日本による教唆によって発生した架空の民族運動であった”
という点を全くの事実誤認であるとして批判しています。
溥儀の忠臣たちは満州族による帝政復古運動を展開していた。※3
満州事変は日本がこれらにさんざん隠忍自重した末に起きた事件です。
満洲事変は侵略ではなく自営のための軍事行動であったのです。
戦乱と飢饉の拡大、繰り返しによって絶望の淵に追いやられていた中国の流民にとって満州国こそ最後の駆け込み寺でした。
年間百万あまりの流民が長城を乗り越え、満州に流入したことがその何よりの証拠です。
毛沢東はかつて「かりにすべての根拠地を失っても東北さえあれば社会主義革命を成功させることができる」と語った。実際戦後の満州は中国の重工業生産の九割を占、中華人民共和国を支えたのは満州国の遺産であった。
豊満ダム完成後見学に来たフィリピン外相は
「フィリピンはスペイン植民地として350年、アメリカ支配下で40年が経過、住民の生活向上に役立つものは一つも造っていない。
満州は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか」と語りました。
参考)黄文雄、岡田英弘、宮脇淳子、倉山満
知れば知るほど目からうろこだ。
今までの戦前戦後の歴史は嘘と捏造で私たちは騙されてきた。
私の父は終戦直前まで満州にいた。幸い終戦直前に日本に呼び戻されたので私が誕生することができた。そうでなければ父も旧ソ連へ抑留だった。それでこの話に興味を持った。
どんどん真実が明らかになるといい。
で、今年最後のさらなる真実がこれ。
中国が「侵略、侵略」と騒ぐが、
満州事変は侵略ではありません。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-248.html
1922年 九カ国条約締結
日本だけが違反したのではない。
蒋介石は1927年米英と紛争を起こしているし、張学良は1929年ソ連と紛争を起こした。
要するにそもそも中国側が違反していた。
1928年 六三カ国で不戦条約締結
米英が重要な点において留保を行うなど実質的に空文となった。日本は自衛戦争については留保していた。
1931年9月18日 柳条湖事件(満洲事変の発端)
中華民国が満州事変を日本の連盟規約違反として国際連盟に訴えたが、国際連盟は日本を侵略国と認定していない。
張作霖が排日運動の高まりや欧米からの支援をとりつけようと日本との距離を置き、
海外資本の提供をうけて、満鉄の平行線を建設し始めると、両者の関係は悪化しました。
当時中国は日本との条約を次々と破り、無知な住民を煽って暴力的なボイコット運動を起こさせ、
商鉱農工業妨害、日本国民の命に関わる圧迫行為、反日教科書などの侮日行為、
居留民襲撃や鉄道運行妨害など数百件のテロ行為を重ねていました。
満州には清や列強から承認された日本の特殊権益が存在しました。
日露戦争で日本がロシアに勝たなければ満蒙はロシア領になっていたはずです。
中華民国や張作霖は日本の勝利に何も貢献しなかったのに
日本が10万の戦没者、20億の戦費を費やして得た権益を
「満州は中国だから出て行け」というのはとうてい受け入れられません。
それに満州は万里の長城の外であって満州族の土地です。※2
もともと、満州に合法的に駐留していた関東軍はそれを守ろうとしただけです。
中央政府の中華民国も現地軍閥の張学良も犯罪に対する治安維持能力と条約遵守能力がなかったのですこういった事情から関東軍は権益を自衛するためには満州全土から匪賊同然の奉天軍を追い出す必要があると判断しました。これは侵略に当たりません。。
外国人への犯罪が放置され責任を持って対処する政府が存在しない。
これは国際法的には「無主の地」です。
責任を果たさないのに権利・主権など主張できない、という慣習国際法である。
こうしたなかで不法行為を黙って許容しているとそれを認めたことになります。
ラストエンペラー溥儀の英国人家庭教師であったジョンストンはリットン報告書の
”満州独立運動が日本による教唆によって発生した架空の民族運動であった”
という点を全くの事実誤認であるとして批判しています。
溥儀の忠臣たちは満州族による帝政復古運動を展開していた。※3
満州事変は日本がこれらにさんざん隠忍自重した末に起きた事件です。
満洲事変は侵略ではなく自営のための軍事行動であったのです。
戦乱と飢饉の拡大、繰り返しによって絶望の淵に追いやられていた中国の流民にとって満州国こそ最後の駆け込み寺でした。
年間百万あまりの流民が長城を乗り越え、満州に流入したことがその何よりの証拠です。
毛沢東はかつて「かりにすべての根拠地を失っても東北さえあれば社会主義革命を成功させることができる」と語った。実際戦後の満州は中国の重工業生産の九割を占、中華人民共和国を支えたのは満州国の遺産であった。
豊満ダム完成後見学に来たフィリピン外相は
「フィリピンはスペイン植民地として350年、アメリカ支配下で40年が経過、住民の生活向上に役立つものは一つも造っていない。
満州は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか」と語りました。
参考)黄文雄、岡田英弘、宮脇淳子、倉山満
知れば知るほど目からうろこだ。
連投ありがとうございます。
そのドイツ人主婦はすでに中国人から洗脳されてますね。
南京大虐殺も大嘘ですよ。南京に入った日本軍と市民が笑顔で交流している写真が残っています。残虐行為をしたなら、市民のそんな笑顔はないはずです。
日本政府は言われっぱなしにしないで、どんどん反論してほしいです。