2015年02月17日
曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」
産経新聞に掲載された曽野綾子氏のコラムに批判が殺到している。
そして曽野綾子氏が朝日新聞に「アパルトヘイト称揚してない」とコメントを出した。
もっと詳しく反論するかと思いきや、簡単なコメントだ。
これでは抗議してくる左翼や南アに対して説得力あるとは思えない。
確かに問題となった、「居住を分けた方がよい」ということは問題だろう。このことについていい解説を見つけたので下記に貼っておく。
記事はこちら。
曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」
朝日新聞デジタル 2月17日(火)5時35分配信
11日の産経新聞紙上に掲載されたコラムが「アパルトヘイトを許容している」との抗議を受けたことについて見解を求めたところ、作家・曽野綾子氏は朝日新聞に次のコメントを文書で寄せた。
◇
私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。
私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日本のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。
私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。
◇
〈その・あやこ〉 1931年生まれ。堕胎を扱った「神の汚れた手」など著書多数。2003年、夫の三浦朱門氏に続き文化功労者。13年1月に安倍政権の教育再生実行会議委員(同年10月辞任)。保守派の論客として知られ、同年8月には週刊誌で「女性は赤ちゃんが生まれたら、いったん退職してもらう」「職場でパワハラだセクハラだと騒ぎ立てる女性も、幼稚」などと発言し、論争になった。エッセー集「人間にとって成熟とは何か」は13年のベストセラー。
朝日新聞社
「もし記事に誤りがあるあら、私はそれを正します。私も人間ですから、過ちを犯します。
しかしこの記事について、誤りがあるとは私は思いません」という曽野さんのコメントを掲載している。
下記はいくつかピックアップした曽野氏に好意的な意見:
曽野が本当に言いたいことは「異なる文化風俗宗教を持つ人間の
棲み分けは差別だが、それは社会秩序を保つための正しい差別だ」
って事じゃない?
曽野を批判する側も擁護する側も差別という言葉に敏感すぎる。
人権&平等&差別という思考停止ワードを乗り超えれば
ますます混沌とする世界状況の中でも
日本は国柄を保ったまま繁栄を謳歌出来ると思う。
彼女は呆れてるのではないでしょうか。”良識派”日本人
批判してた方々は、自身の読解力のなさを棚に上げて、「
例として持ち出すのに不適切であった、という程度の批判
ただし、私が一
とはいえ、「分けた方が良
しかし、少しづつ対話を重ねなくて
おっしゃるとおりだと思います。
本来は、やはり、対話することによって生まれる理解や共
そして、やはりあの南アフリカを例示するのは”軽率”で
この「軽率」という点については同感だ。
http://www.as-mode.com/blog/2015/02/sonoayako-leftwing.html
曽野綾子氏の連載コラムを「人種差別」と批判する人の正体
つくづく「左翼」って嫌な感じ、と確認したのが昨日の産経新聞 曽野綾子氏の連載コラム「透明な歳月の光」への批判。南アフリカにかつてあった黒人差別のための人種隔離政策「アパルトヘイト」であると断罪します。
コラムの結びにある曽野綾子氏の持論を捕まえてのことですが、それはこうです。
“人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住区だけは別にした方がいい”
居住区を捉えて「人種隔離」であり「人種差別」となじるのは、なじる人間の内面世界の告白です。つまり、断罪するものは、人種差別的発想を持っているのでしょう。
南アのヨハネスブルグでの実例として、白人だけが住んでいたマンションに、人種差別廃止以降は黒人世帯も入居するようになり、大家族主義の彼らは20〜30人で1区画を利用します。生活に使用する水の量は人口に比例し、マンションの水道管の太さは限られ、安定して水が出ないマンションになったことで、白人世帯がでていったという実例を紹介し、先の結びへとつなげます。
コラムを通読し、最後に登場した居住区に、私は「コミュニティ」とルビを振りました。生活文化の違い、そこには宗教まで含まれ、これを乗り越えるのは相当な困難で、ともすれば感情の軋轢を生みます。
だからと民族対立を煽っているのではありません「何もかも一緒にやれる」とあるのですから。
南ア+居住区=人種隔離政策
という短絡的な発想で、というより、現代の、多分日本も所属する先進国社会の常識に照らせば、黒人居住区を作ったとして、そこを不便にすることなどできはしません。大家族主義向きに設計された居住区と、核家族向けの居住区に「区分」されるだけのことでしょう。UR(いわゆる公団)における「単身世帯向け住居」と「家族向け住居」の違いのようなものです。
曽野綾子氏は、人種民族毎に指定した居住区以外に住んではならない、とまでは言っていません。むろん、黒人の全てが大家族主義だと決めつけているのでもなく、あくまで一般論として、しかし、人間が生きる現実に向き合ったとき、越えがたい一線があり、つまりは「嫁姑問題」と同じで、憎しみあうぐらいなら「別居」が最適解のひとつだという提言に過ぎません。
どうしても黒人が苦手、中国人と接したくない、中東の人はちょっと・・・と思う日本人だっています。苦手や嫌いも思想信条の自由であるべきです。もちろん、その気持ちを黒人や中国人にわざわざ伝える必要はありませんが、仲良くすべきとは思いながらも、仲良くすることの強制は、強制される側の人権を蹂躙しているのです。
むしろ、生活文化の違いを無視した「平等論」こそ、真の意味での「人権」を侵害しています。なぜか?
“歴史、文化、宗教といったすべての価値観が違う人種、民族も等しく、同じライフスタイルを目指さなければならない”
ということに繋がるからです。「居住区」という独自性を許さないことは、多様性の否定へも繋がります。それを全体主義と呼び、すなわち社会主義や共産主義の発想です。曽野綾子氏のコラムに「人種差別」とレッテルを貼る人に、左傾化している人が多いのは偶然ではありません。
ちなみに我が屋の近所には、中国人が多く、太極拳を練習する白人もいて、鋳物工場で働く黒人もいれば、既に生活基盤を日本に持つアラブ系に、孫を抱いているフィリピン人も多く、何人だからと気にしてなどいられず、なんとくそれなりに仲良く暮らしているように感じております。
曽野氏の意見に抗議する方たちはご不満かもしれない。
マスコミ始め圧倒的多数が曽野氏を批判している中、あえて擁護する意見をピックカップしてみた。
こちらは曽野綾子氏の名言集。いいことも言っている。
曽野綾子の名言集で学ぼう
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この記事へのコメント
居住区を分けるって、広くもない日本の国土をどうするのかなあ、とも思います。空港建設だって立ち退きでトラブルになるのに。
チャイナタウンは世界のどの都市でもありますが、中国人は現地に溶け込めないから自らあのような街を作ってしまうのでは。
移民には反対です。
労働力不足を補えるレベル、つまり少なくとも数十万人もの移民を受け入れ、かつ別々に暮らそうだなんて。山奥にでも追いやるのか? それとも街の一部をあけ渡して移民を押し込むのか?
どちらにせよ、アパルトヘイトみたいに人権を蹂躙して強制しないと出来ないな。
…チャイナタウンは素晴らしい? あれは本当なら国内のどこででも自由に暮らせる中国人が、それでも「効率的に中国の文化を通して交流しよう」と集まった場所だから素晴らしいんだ。この老人の思想とは根底から真逆のものだ。
最後の一行は同意しません。
法律や政策で居住区を人種別にするなどは出来ないことは十分承知であり、「皆の知恵で巧く社会的に居住区を事実上分けようではないか」、ということですね。
さすがわ曽野綾子女史。
人間として大へん、愚劣であり低級ですね。
NGO「アフリカ日本協議会」も、コラムに抗議する声明を発表。曽野氏に謝罪と記事の撤回を求めている。
このコラムが掲載された2015年2月11日は、故ネルソン・マンデラ氏が釈放されて、ちょうど25年目にあたる日でした。その記念すべき日に、南アフリカの人びとが命をかけて勝ち取ったアパルトヘイトの終焉と人種差別のない社会の価値を否定するような文章が社会の公器たる新聞紙上に掲載されたことを、私たちはとても残念に思います。
(中略)
曽野綾子氏と産経新聞社には、当該コラムの撤回と、南アフリカの人々への謝罪を求めます。また、このような内容のコラムが掲載されるに至った経緯、および人権や人種差別問題に関する見解を明らかにすることを求めます。
(産経新聞 曽野綾子さんのコラムへの抗議文 2015/02/13)
曽野さんは、安倍さんの教育再生実行会議に参加されていましたよね。 「アドバイザー」とは違うでしょう。