
アメリカ三大財閥のひとつデュポン家に起こった実際の話を映画化したもの。
ジョン・デュポン、デュポン財閥の資産相続人がレスリング競技に力を入れ、莫大なお金を投資して選手を育てる。
1997年に彼は友人でありレスリングのフリースタイル金メダリストであるデイヴ・シュルツを殺害してしまう。
映画 『フォックスキャッチャー』予告編
映画 『フォックスキャッチャー』特報
映画『フォックスキャッチャー』(原題Foxcatcher)は、実話に基づく作品だ。心に問題を抱えた米国の富豪ジョン・E・デュポンと、レスリングの元金メダリスト、マーク・シュルツ選手との関係を軸に、緊迫感の漂うストーリーが展開される。
デュポンは、米国の三大財閥ともされるデュポン家の一員だ。デュポン家は、1800年代に黒色火薬工場としてスタートし、世界屈指(世界第3位)の化学会社へと成長したデュポン社を所有している。
デュポンは広大な自分の屋敷をレスリングチームに提供し、マーク・シュルツとともに、1988年に韓国ソウルで開催されるオリンピックに向けて、圧倒的に強いレスリング代表チームをつくり上げようと努力する。
しかし、最終的にそれは悲劇に終わった(マークの兄で、やはり元金メダリストであるデイヴ・シュルツがチームのコーチとして参加したが、デュポンは1996年にデイヴを射殺。精神障害者向けの医療刑務所に収監され、2010年に同施設において72歳で死亡した)。
解説
「マネーボール」「カポーティ」のベネット・ミラー監督が、1996年にアメリカで起こったデュポン財閥の御曹司ジョン・デュポンによるレスリング五輪金メダリスト射殺事件を映画化し、2014年・第67回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したサスペンスドラマ。
ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得したレスリング選手マーク・シュルツは、デュポン財閥の御曹司ジョンから、ソウルオリンピックでのメダル獲得を目指すレスリングチーム「フォックスキャッチャー」に誘われる。
同じく金メダリストの兄デイブへのコンプレックスから抜けだすことを願っていたマークは、最高のトレーニング環境を用意してくれるという絶好のチャンスに飛びつくが、デュポンのエキセントリックな行動に振り回されるようになっていく。
やがてデイブもチームに加入することになり、そこから3人の運命は思わぬ方向へと転がっていく。「40歳の童貞男」のスティーブ・カレルがコメディ演技を封印し、心に闇を抱える財閥御曹司役をシリアスに怪演。メダリスト兄弟の兄をマーク・ラファロ、弟をチャニング・テイタムが演じた。
| 原題 | Foxcatcher |
|---|---|
| 製作年 | 2014年 |
| 製作国 | アメリカ |
上映時間: 135分
ジョン・デュポン役(スティーヴ・カレル)、コメディアンと聞いて驚いた。何を考えているかわからない無表情のデュポン役をよく演じている。
写真はデュポン役とイメージがまったく違う。
スティーヴ・カレル(Steve Carell, 1962年8月16日 - )は、アメリカ合衆国のコメディアン・俳優・脚本家。マサチューセッツ州出身。
マサチューセッツ州アクトンで育つ。父親は電気関連のエンジニアであった。イタリア、ドイツ、ポーランドの血を引く。
学生時代より即興劇団で活動し 、オハイオ州グランヴィルのデニソン大学を卒業後、シカゴのコメディ劇団セカンド・シティに参加。在籍時はいくつかのコメディ劇団との共演舞台に立った。その後、脚本家兼俳優としていくつかのテレビ番組の仕事をする。
プライベートでは女優のナンシー・ウォールズと結婚し、2人の娘と1人の息子がいる。
2009年11月、経済誌『フォーブス』が「アメリカのテレビ界で最も稼いでいる男性」のランキングを発表し、2008年6月から2009年6月までの収入が2,100万ドル(日本円で約18億9000万円)で5位にランクインした。
マーク役(チャニング・テイタム)
チャニング・マシュー・テイタム(Channing Matthew Tatum, 1980年4月26日 - )は、アメリカ合衆国の俳優。
学生時代はアメリカン・フットボールや陸上競技、バスケットボールなど、様々なスポーツをしていた。
1998年にフロリダ州タンパ市内の高校を卒業し、ウェストバージニア州のグレンヴィル・ステート・カレッジに進学するが中退。実家に戻り建設関係やセールスマンの仕事をしていた。また、この時期にストリップ・クラブでストリッパーとして働いていた。その後マイアミに移るが、スカウトされてモデルとして働き始める。
『ステップ・アップ』で共演したジェナ・ディーワンと2008年9月に婚約、翌年6月11日に結婚[10]。2012年12月、来年第一子が誕生予定であることが報告された。
デイヴ・シュルツ役(マーク・ラファロ)
マーク・アラン・ラファロ(Mark Alan Ruffalo, 1967年11月22日 - )は、アメリカ合衆国の俳優。身長175cm。
ウィスコンシン州ケノーシャにて、イタリア人とフランス系カナダ人の血を引く両親の間に生まれる。父親は建設塗装工、母親は美容師[3][4][5]。3人の兄妹(タニア、ニコール、スコット)がいる。
9年間、バーテンダーとして生活をしながら、ロサンジェルスのステラ・アドラー・コンサヴァトリーで演劇活動を行う[3]。舞台で活躍していたが、2000年の『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』でローラ・リニーの弟を演じて注目され、モントリオール世界映画祭主演男優賞とロサンゼルス映画批評家協会賞ニュー・ジェネレーション賞受賞。
2006年には舞台『Awake and Sing!』でトニー賞にノミネートされた[3]。
2010年には映画『キッズ・オールライト』でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。
2000年にフランス系アメリカ人女優のサンライズ・コイグニーと結婚。2001年に長男(キーン)が、2005年に長女(ベラ)が、2007年に次女(オデット)が誕生している 。
2002年には聴神経腫瘍と診断され手術した(良性腫瘍)。このため、出演予定だった映画『サイン』を降板している。顔の一部に麻痺が残ったが、現在では回復している。
財閥デュポンについて興味があり、調べてみた。

ジョン・エルテール・デュポン(John Eleuthere du Pont, 1938年11月22日 - 2010年12月9日)は、かつてデュポン財閥の資産相続人の一人であり、殺人で有罪判決を受けた人物である。
いくつかの本を書いた鳥類学者でもあり、貝類学者、切手蒐集家、スポーツ支援者やコーチとしての顔も持っていた。慈善事業としてデラウェア自然博物館を設立し、いくつもの施設に寄付を行ってもいる。
1980年代に五種競技に興味を抱いたことから、所有するフォックスキャッチャー農場にレスリング施設を建設する。彼はアマチュアスポーツの支援者、アメリカレスリングチームの支援者として有名であった。
1990年代には彼の突飛な行動や強迫性障害的行動は友人らに心配されるほどになっていたが、彼は莫大な資産を持っていたためにそのことが表に出ることはなかった。
1997年に彼は友人でありレスリングのフリースタイル金メダリストであるデイヴ・シュルツを殺害する。
2014年には映画『フォックスキャッチャー』において、スティーヴ・カレルがデュポンを演じてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
私生活:
1983年9月3日、45歳のときにデュポンは29歳のセラピストであるゲール・ウェンクと結婚する。彼が自動車事故で負傷したことが出会うきっかけとなった。しかし二人が一緒に暮らしたのは6か月にも満たず、デュポンは結婚後10か月で離婚を申し立てた。
ウェンクは、デュポンが拳銃を自分に向けたり自分を暖炉に突き倒そうとしたとしてデュポンに対し500万ドルの請求を起こした。1987年に離婚は成立し、デュポンはウェンクを自らの資産の相続人から完全に排除した。1987年時点でデュポンが持つ資産は2億ドルに達していたという。
デイヴ・シュルツの殺害:
1996年1月26日、デュポンはデイヴ・シュルツを射殺した。自身の800エーカーの私有地内にあったシュルツ家の私道においてである。シュルツの妻であるナンシーとデュポン警護の責任者であったパトリック・グッデールがその場におり、現場を目撃していた。デュポンがシュルツに3発の銃弾を撃ち込むのを、グッデールはデュポンの車の助手席から見た。警察は殺害の動機を見出すことが出来なかった。シュルツは長らくデュポンのレスリングチームのコーチを務めており、デュポンがアルコール中毒を克服する手助けすらしていたのである。
デュポンは「心神喪失による無罪」を主張した。この主張は裁判において却下され、1997年2月27日に陪審によって第三級謀殺(Third-degree murder、故意はあるが計画性のない殺人)の有罪であるが同時に精神疾患を患っていると評決された。
陪審の「有罪であるが精神疾患を患っている」という評決は、判決が裁判長であるパトリシア・ジェンキンスに差し戻されることを意味していた。5年から40年の実刑判決が選択できるなかで、ジェンキンスはデュポンに13年から30年の収監を宣告し、ペンシルベニア州で最も警備が最低限なマーサー刑務所に収監が決まった。
陪審による評決後、デイヴの未亡人であるナンシー・シュルツは夫の不当な死についてデュポンに訴訟を起こした。和解内容は明らかになっていない。フィラデルフィア・インクワイアー紙は匿名の情報源を引いて、デュポンがシュルツ夫人に少なくとも3500万ドルを支払ったであろうと報じた。
デュポンは2010年12月9日、慢性閉塞性肺疾患と肺気腫により72歳で亡くなった。ペンシルベニア州政府矯正局の広報担当者は、デュポンがローレルハイランド刑務所のベッドで動けずにいるところを発見されたと発表した。サマセット共同病院において死亡が確認された。
デュポンは彼の遺言通り、フォックスキャッチャーの赤いレスリングジャージに身を包んだまま埋葬された。
フォックスキャッチャー農場
母の死後、デュポンは父が持っていた競走馬にちなんで、リスター農場を「フォックスキャッチャー農場」と改名した。母の事業をほぼそのまま継承したが、レスリング施設とそれに付属する建物を新たに建設した。
デュポンの逮捕後、家畜と共にデラウェア自然博物館の経営権も人手に渡った。農場の跡地の一部には米国聖公会の寄宿学校が建てられたが、400エーカーを超える部分は今も手つかずのままである。
2013年に邸宅は解体され、跡地に400の家が建てられる予定で「リスター地所」と名づけられている。ほとんどの建物は取り壊されてしまったが、7000平方フィートある古い納屋が新規造成地区の会館として使用されるという。
真相がよくわからなかったが、なかなか興味深いストーリーだった。




デュポン家は火薬・爆弾を作って財を築いた家です。
この映画はデュポン家の御曹司がレスリングに力を入れ、金メダルを取るために資材を投入し、選手の育成をしたストーリーです。
日本に爆弾を落とした材料を作った企業かもしれませんが、それとは関係ない映画です。別にデュポン家のイメージをよくしているとも取れませんでした。