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きょう2月22日は竹島の日。


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竹島の日は、2005年(平成17年)に「竹島の日を定める条例」(平成17年3月25日島根県条例第36号)により定められた。


島根県
隠岐郡隠岐の島町竹島は、1905年明治38年)1月28日に島根県への編入を閣議決定し、同年2月22日に島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行った(明治38年島根県告示第40号)。


2005年はこの閣議決定および告示から100周年にあたることを記念して、同年3月16日、島根県議会は2月22日を「竹島の日」とする「竹島の日を定める条例」を制定し、
澄田信義島根県知事もこれを全面的に支持した。

同条例1条は、「県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。」としている。


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ところで竹島にはニホンアシカがいたが韓国が竹島を占拠して以来ニホンアシカは絶滅してしまった。

それを日本が絶滅に追いやったとまた罪をなすりつけている。







竹島の日 竹島のニホンアシカ絶滅





韓国が不法占拠始めて、激減どころが絶滅に追い込んだ。

それを日本が絶滅したと言い張っている。

もうキチガイ相手にできない。


【外信コラム】竹島のアシカ絶滅の真相 韓国は日本のせいにするが… 

産経新聞 2月21日(土)13時5分配信

 島根県が「竹島の日(2月22日)」を制定してから10年になる。日本では今もこの日はほとんど知られていないが、在韓日本人たちは毎年、島根県で行われる記念行事のことをいまいましげに伝える韓国マスコミのおかげ(?)でちゃんと記憶させられている。

 竹島をめぐっては最近、日本政府の「内閣官房領土・主権対策企画調整室」のサイトが、島根県の元小学教諭が作った絵本『メチ(アシカ)のいた島』の動画を紹介したことに韓国側が反発。竹島のアシカを絶滅させたのは日本だとかみついている。

 悪いことは何でも日本のせいにするのが韓国の反日手口だが、竹島のアシカだって戦後、韓国占拠の後も存在していたことを伝える資料は多い。島根県竹島問題研究会の下條正男座長が地元の山陰中央新報(1日付)に寄せた論評によると、1970年代の韓国紙は「警備隊員たちの銃撃で絶種」と伝えている。

 最近、目にしたWWF(世界自然保護基金)の1977年度報告書では韓国人研究者さえ「最上の保護策は警備隊の島からの撤収だ」と主張している。韓国政府は島を「自然保護区」にし「天然記念物」に指定しているのに、年間20万人もの観光客を上陸させ反日イベントをやらせている。あれじゃアシカも寄りつかないだろう。(黒田勝弘)

アシカの絶滅は、韓国による島根県の竹島侵略以降の話です


まあ、日本がアシカの個体数を激減させ、絶滅危惧種になった事は確かであるのですが、韓国による島根県竹島の侵略後も、たびたび海驢は島根県の竹島で個体が確認されています。島根県竹島は日本領土ですが、韓国に侵略され、施政権が行使できないため、こういった絶滅危惧種の保護ができませんでした。

また、仮に、「竹島韓国領土」の視点に立って考えてみると、絶滅危惧にある海驢を保護せずに頬って置いたのは韓国政府です。本来無人島で季節的に漁撈者が短期滞在していた場所に、守護隊と証した侵略者が常駐するようになって、それまでの繁殖地の環境を変えてしまった事も原因のひとつです。海驢絶滅に対する管理責任が、「竹島韓国領」の視点で考えると発生します。

日本が竹島にて猟を行っていたときは、雌や若い固体は捕獲しない、また、一定区域に禁猟区を設け、底の固体は取らない、などの完全絶滅回避作を捕っていました。

しかし戦前に日本人に雇われた竹島に渡っていた、竹濱の韓国人が、戦後、竹島に入るようになり、そこで、子供や雌の個体まで取って好んで食べてしまったといわれております。とくに若い固体のペニスは精力剤になるので好んでとって食べていたとのことです。(*すみません、この話については出典を失念しましたので再調査します)

また、Scapin指令による日本領土竹島の爆撃訓練地指定を受けた事も関係があるかもしれません。


そして竹島近海の名称を「アシカ礁」に韓国が決定したそうだ。
でもなんで日本の名前、「アシカ」と名付けるの?
竹島は韓国のものと言っていながら、そこが浅はか。


韓国が竹島近海の名称を「アシカ礁」に決定!



そしていつもの通りソウルでは抗議集会で火病状態。

「竹島の日」 韓国ソウルの日本大使館前で抗議集会