「ニホンアシカを壊滅に追い込んだのを韓国のせいにするな!」というコメントがあったがコメント欄には書ききれない。下記のサイトにニホンアシカ乱獲と絶滅に至るまでの竹島の詳細が書かれているので紹介する。

確かに日本もニホンアシカを乱獲したが、ニホンアシカの最後の生息地が竹島で、韓国が竹島を要塞化し、保護できなくなってしまい、絶滅に追い込んだ、ということも事実。

2006-04-23 23:19:11

竹島問題で韓国人がまたもヒートアップしています。
(実際、日本のマスコミがそういうところの映像ばかり
を映すものだから、そう思ってしまうのかもしれませんが、)

6月のドイツの国際会議で
韓国が竹島周辺の日本名の海底地形の名称を
韓国名に変更する(日本海→東海)という動きを見せたため
日本は日韓の互いの主張が重複する海域での
最新の測量データを得るために調査船2隻を出した。


今回の海洋調査と日韓の主張する海域 


もちろん韓国側は自分の主張する海域に日本の船が
入るわけで猛反発。


日韓の話し合いの結果、

・日本は調査船での調査を中止

・韓国は国際会議での海底地形の名称変更の提案を中止


することで合意したという。

今回の事件はドローというわけで
本質の竹島領有権の問題は平行線のままだが、
日本海を韓国名の「東海」と変更されるのを
免れたわけで、とりあえずめでたしだ。


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このニュースで竹島問題が話題になっているわけだが、
「竹島」といえば、ニホンアシカが絶滅した場所でもある。
じつにニホンアシカの絶滅は竹島問題に密接な関係がある!


ニホンアシカ  

学名(Zalophus californianus japonicus 

ニホンアシカ

メモ1905年
日露戦争まっただなか。
竹島でアシカ猟がしたいという要望により、
日本政府はアシカの最後の繁殖地である島を
「竹島」と命名し、島根県に編入。実効支配した。


これが竹島がはっきりと日本領になった
始まりだとされる。


その後、ニホンアシカ
は日本近海に3〜5万頭が
生息していたといわれていたが、
隠岐諸島の漁師たちが「竹島」を繁殖の場とするの
ニホンアシカを1万頭以上も乱獲した。

(年間に1300〜1400頭が捕らえられた)
肉は不味かったが、毛皮やあぶらが重宝されたからだ。

メモ1935年頃(昭和初期)
ニホンアシカの激減により
年間20〜50頭ほどしか捕まえられなくなった。

メモ1946年
日本の敗戦後、
GHQ(連合国総司令部)が決定した
日本漁船の活動可能領域線
「マッカーサーライン」を引かれる。
(日本漁船が活動できる海域に竹島は含まれていない。)


マッカーサーラインと李ライン

メモ1952年
マッカーサーライン廃止直前に
韓国大統領「李承晩」
「李承晩ライン宣言」により、
竹島を韓国領と主張。

この頃には
竹島周辺のニホンアシカは200〜500頭が
いることが報告されている。もう絶滅寸前です。

メモ1954年
竹島に韓国警備隊員を常駐。
宿舎、燈台、監視所、アンテナ等が設置され、
年々強化されて竹島は要塞化と化す。


竹島
 

現在の竹島、手前の島にはヘリポートなどが見られる

メモ1972年

最後の繁殖地を奪われながらも
「竹島」でニホンアシカの繁殖を確認。

メモ1975年
韓国の自然保護団体がニホンアシカを目撃したのを最後に
ニホンアシカが見られなくなり、
その後、絶滅したといわれている。

ということは竹島問題に振り回されたニホンアシカは
日本人の乱獲で生息数が激減し、
韓国人の竹島の要塞化で最後の繁殖地を
追い出され、とどめを刺されたということになる。


転載以上


というわけで、ニホンアシカは肉はまずくて食べられなかったらしいが、確かに日本も毛皮の調達で乱獲していたそうだが、竹島は最後の繁殖地だった。


韓国人の竹島要塞化で最後の繁殖地を追い出され、とどめを刺されたのだから、「韓国のせいにするな」は間違いでは?


このサイトへのコメント:


・ニホンアシカを狩っていたのは
娯楽のハンティングでも、贅沢品として毛皮を取っていたわけでもありません
当時戦争していたロシアのような寒冷地ではアシカの毛皮が多く必要だったから
無論冬服の需要もあったと思います
現在の日本のように手軽に防寒具を輸入とはいかない時代だったのです


・なんと!
あの因幡の白兎の登場するワニとは
サメのシロワニだと思っていたのですが
ニホンアシカですか!
確かにあの伝説は鳥取ですし、生息地域的に一致します。


コメントに来た方、読者の皆さま、これで納得?