両陛下は今日ベトナムへ出発される。

83歳になる陛下、
「年齢とご体調を考慮すると、友好親善を旨とする海外への両陛下でのお出ましは最後になる可能性があります」(宮内庁関係者)
そうかもしれない。
ベトナムでもやはり残留元日本兵の家族と会うという。ベトナムには約600人の日本兵が残っており、現地で結婚し、妻や子らが生活していることを聞いていち早く反応した天皇、戦争のことになるととにかく謝罪、ということ。先の大戦に思いを致し、戦地に赴くことに力を入れているようで。でも今回は会うお相手は元日本兵とその家族ですね。
また、二つ目の記事に、これは外交ではない、という記述。
両陛下や皇族の外国訪問を「皇室外交」と呼ぶこともあるが、政府はこの表現を避けている。「外交」という言葉には、国家間の政治的な懸案を解決するための交渉という意味合いがある。憲法が「国政に関する権能を有しない」と規定する天皇の活動に「外交」はそぐわないとの考え方だ。
憲法破ってますがねえ。それに皇室外交でなければ、ただのお遊び静養海外旅行ということになるのでは。
ではその二つの記事をどうぞ:
両陛下、最後の海外ご訪問 ベトナムで待つ“おもてなし”
デイリー新潮2017/2/28(火) 6:00配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170228-00518305-shincho-soci

“生前退位”への議論が始まっても、平和への思いに変わりはない。天皇皇后両陛下が2月28日からベトナムを訪問される。
宮内庁担当記者の話。
「過去には秋篠宮さまや皇太子さまが訪越されており、ベトナム政府からも再三、招請されていました」
天皇陛下は、83歳という高齢でのご訪問となる。
「年齢とご体調を考慮すると、友好親善を旨とする海外への両陛下でのお出ましは最後になる可能性があります」(宮内庁関係者)
5泊にも及ぶ旅程、現地でのハイライトは、
「3月2日に予定される残留元日本兵の家族とのご面会です。太平洋戦争終結後、ベトナムには約600人の日本兵が残り、現地で結婚した妻や子らが生活している。駐ベトナム大使がその旨を説明すると、陛下はいち早く反応され、面会を承諾されたそうです」(同)
先の大戦に思いを致す陛下らしいエピソードである。とはいえ、場所は風土色豊かな東南アジア。どんな“おもてなし”が待つのか。
「皇太子さまは、メコン川に近いレストランで食事をされたことがありました。陛下も海外に行かれる際、食事を作る大膳課の料理人は同行させず、現地のものを召し上がります。今回は、国家主席との晩餐会などが予定されています」(同)
ベトナムに詳しいさるジャーナリストによれば、
「今年の1月に安倍総理が訪越した際の晩餐会では、ベトナム風の鱈料理やチャーハンなど、アジア風のコース料理でした。今回、ベトナム料理のコースでもてなすなら米粉の麺であるフォーも提供されるでしょう。また、かつてフランス統治下だったことから、フランス料理のコースに、生春巻きを加えるなどのアレンジをすることも考えられます」
一方で、
「負担軽減のために、通常2時間の会合時間を短くするようです」(先の記者)
帰途、タイに立ち寄り、亡きプミポン前国王の弔問に――。
「週刊新潮」2017年3月2日号 掲載
<両陛下>いちずに国際親善 あすからベトナムとタイへ
毎日新聞 2/27(月) 7:30配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170227-00000007-mai-soci
◇20回目 市民との交流貫く
天皇陛下の即位後の外国訪問が、20回目を迎える。28日〜3月6日のベトナムとタイへの訪問だ。ベトナムは初めてで、これで訪問先はアジア、欧米などの36カ国になる。天皇、皇后両陛下の海外訪問は、政治交渉などを行う「外交」とは一線を画した国際親善活動と位置づけられ、市民らとの交流を通じて友好関係を築く姿勢に貫かれている。
「寸暇を惜しんで人々とのふれ合いに努められる両陛下の姿に、心を打たれた」
2002年7月6〜20日、東欧など4カ国の訪問に外務省儀典長として同行した小林秀明さん(71)は、チェコに滞在中の両陛下の様子をそう振り返る。
両陛下は首都プラハの旧市街とプラハ城を結ぶ観光名所の「カレル橋」(全長約520メートル、幅約10メートル)を訪れた。橋はロープで仕切られ、片側は両陛下の通路、反対側は市民の通路とされた。橋のたもとに着いた両陛下は、ロープ越しに市民との対話を始めた。笑顔を見せながら英語などで語りかけ、握手を交わした。「名所の風景を楽しむことより、一人でも多くの人と話をされたいという思いが伝わった」
陛下の活動は、憲法に規定された「国事行為」、象徴の地位に基づく「公的行為」、宮中祭祀(さいし)などの「その他の行為」に分類され、外国訪問はこのうち公的行為にあたる。訪問先は、相手国の招待に基づき政府が決めている。
両陛下や皇族の外国訪問を「皇室外交」と呼ぶこともあるが、政府はこの表現を避けている。「外交」という言葉には、国家間の政治的な懸案を解決するための交渉という意味合いがある。憲法が「国政に関する権能を有しない」と規定する天皇の活動に「外交」はそぐわないとの考え方だ。
日中国交正常化20周年にあわせ、1992年10月23〜28日に中国を訪問した時のことを、上海総領事として同行した蓮見義博さん(83)は鮮明に記憶している。
両陛下が車で通行した上海の市街地。沿道に大勢の市民が押しかけ、「ホワンイン(歓迎)」と声を上げた。「スピードを落として」。蓮見さんは運転手に何度も指示した。
両陛下は自分たちの姿が市民から見えるよう室内灯をつけ、笑顔で手を振った。人波は車から50センチの近さに迫った。蓮見さんは、この時の陛下の言葉が忘れられない。「外に出られるといいのですが……」
上海交通大学では、敷地内で談笑する学生を見つけると、車を降りて声をかけ、会話を楽しんだ。
この中国訪問は、天皇の「政治利用」との批判が出る中で実現した。中国は89年、若者たちの民主化要求運動を武力鎮圧した「天安門事件」の影響で、国際社会からの孤立を深めていた。孤立化からの脱却を図る中国と、東アジア地域の安定を目指す日本の利害が一致したことが両陛下訪中の背景にあると指摘された。
両国に緊張感が漂う中での訪問となったが、蓮見さんは「陛下は全身全霊で多くの人と交わることに努められ、ひたすら国際親善の目的を果たされようとしていた」と力を込める。
「陛下は外国との友好関係を増進させるために何ができるかを考え、真摯(しんし)に取り組んでこられた」。宮内庁幹部は言う。「人と人との交流を基本とする姿勢は、どのような状況でも変わらない」【高島博之、山田奈緒】
◇「慰霊の旅」忘れない戦争の記憶
天皇、皇后両陛下の外国訪問には、太平洋戦争の激戦地となった国を訪れ、戦死した日本兵らを追悼する「戦没者慰霊」を目的としたものがある。国際社会が平和であるためには、戦争の記憶を正しく受け継いでいくことが必要との天皇陛下の思いによって行われ、「慰霊の旅」とも呼ばれている。
戦後60年にあわせて、2005年6月に米自治領サイパン島を訪問されたのが最初で、戦後70年の15年4月には激戦地ペリリュー島に赴くためパラオを訪れた。昨年1月のフィリピン訪問は、同国の招待による国際親善が主な目的だったが、日本人の慰霊碑への供花も実現した。
この他にも両陛下は、戦争で日本の敵国となった国を訪問した際、戦没者慰霊の碑などをたびたび訪ねている。1994年6月と09年7月には米ハワイ・オアフ島の国立太平洋記念墓地、00年5月にはオランダの首都アムステルダムの戦没者記念碑で、それぞれ供花している。

ラッコには謝ります。ごめんなさい。
それにしても見送りのこの風景に何一つ影は感じられない。
骸骨のようになった愛子さんなどまるで存在しないよう。東宮の相変わらずの締まりのない顔に一層ムカつきました。