美智子さんの吐血を宮内庁が週刊誌に責任転嫁したという記事。

どっちもどっちという感じ。


美智子さん、やはり“二重権威”を相当気にしている様子。

なんやかやと言いながら、やはり二重権威は明らかなのでは?

 

 

「美智子さま」吐血を週刊誌に責任転嫁、宮内庁こそが“二重権威”演出の張本人
デイリー新潮 2019/12/30() 11:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191230-00600391-shincho-soci

宮内庁
 

宮内庁

 

「美智子さま」吐血を週刊誌に責任転嫁した宮内庁(1/2)

 宮内庁は先日、上皇后さまのご体調について驚くべき発表をした。9月半ば以降に嘔吐がみられ、時に血液が混じっていたと明かした上で、その原因に天皇皇后両陛下との“二重権威”を指摘した週刊誌報道を挙げたのだ。まさしく「石が流れて木の葉が沈む」である。

 ***

 自らの不作為を棚に上げ、ことの顛末の責めをメディアへと転嫁するなど、いかにも役人が思いつきそうな策ではある。その発端が、職責を全うせねばならない宮内庁の体たらくにあるのは明らかだというのに――。

「12月13日、庁内で行なわれた上皇職のレクで、
美智子さま
のご体調について発表がありました」
 とは、宮内庁担当記者。

「体重が4月頃から急激に減ったことは報じられていますが、それがまだ元に戻っていないとのことでした。また6月には、心機能が低下すると分泌され、心不全の指標となる『BNP』の数値が高いと判明していましたが、これも依然、正常値まで下がっていないというのです」

 そして、これらとともに、

「9月半ば以降、美智子さまは嘔吐されることが数回あり、時には血が混じっていたと初めて聞かされました。現在は、投薬で1カ月ほど前から症状が治まっているというのですが“主にストレスが要因ではないか”というのが、上皇職の見立てでした」(同)

 この日、レクを行った高橋美佐男・上皇侍従次長は、

〈混じった血は大量ではなく、侍医によれば胃からの出血ではないかとのことだ〉

 などと説明しながら、

「ストレスについて『譲位の後、さまざまな週刊誌の報道の中には“えっ”と驚くような記事があった』などと切り出したのです」(同)

 そこから、堰を切ったように週刊誌批判が始まったというのだ。

「侍従次長は続けて『(上皇ご夫妻は)新聞を隅々までご覧にはなっていないかもしれないが、掲載された週刊誌の広告を見れば“叱責”“二重権威”“(天皇皇后両陛下への)干渉”などの見出しが躍っている』『(ご退位後は)お好きなことをなさって過ごしてほしかったのに、ご在位中とは手のひらを返したような記事が出ている。新聞の広告も以前より大きくなっている気がするし、どうしてあんな記事が書けるのか』などと、ヒートアップするばかりでした」(同)

 こうして俎上に載せられた記事の中で、とりわけキーワードとなるのは「二重権威」であろう。実際に「退位特例法」が2017年6月に成立する前から“前天皇、現天皇が並び立つことで二重権威が生じはしまいか”といった懸念の声は上がっていたのだ。

「そうした心配を払拭するかのように、18年4月には宮内庁の
西村泰彦
次長(当時)=12月17日付で長官就任=が会見で、先々の即位に関する一連の儀式には、ご退位後の両陛下はお出ましにならないと明かしました。つまり宮内庁としても、あたかも2人の天皇がいらっしゃるかのような錯覚を世間に生み出す事態は避けねばならない、との姿勢で臨んでいたのです」(同)

 が、いざ御代替わりと相成ると、そうした“大方針”は徐々になし崩しとなっていった。

「宮内庁は、御代替わりにあたり“上皇ご夫妻は、一切の公的ご活動から御身を退かれる”との原則を打ち出しました。その一方で、平成の時代より減ったとはいえ、これまでと同じくコンサートや舞台ご鑑賞といった私的お出ましをなさっています。このことは大いに結構なのですが、その際に宮内庁が取材の場を設けるため、どうしてもメディアへの露出が続く状態となっているのです」(同)

 

役所が機能せず

 本誌(「週刊新潮」)は2カ月前、公益財団法人「菊葉文化協会」が宮内庁の許可を得て製作・発行する来年の「皇室カレンダー」において、天皇皇后両陛下より先に上皇ご夫妻が登場なさるという“異変”について報じた。この協会の代表理事には、かつて上皇さまの“側近中の側近”だった羽毛田信吾・元宮内庁長官が就いている。また先ごろ、11月30日に54歳のお誕生日を迎えられた秋篠宮さまが、当日まず仙洞御所の上皇ご夫妻を訪ね、続いて赤坂御所の両陛下に挨拶されるという“イレギュラー”な動きをなさっていたことも報じたばかりである。

 そして、即位関連の儀式が続いたこの間、10月23日に赤坂御所で催された「茶会」についても、複数の週刊誌が“二重権威の懸念”との観点から報じていた。それらは、18カ国の王族を両陛下がもてなす場に上皇ご夫妻も遅れて合流され、加えて上皇后さまだけが和服姿だったことから、ひときわ目立ってしまわれたという旨の記事であった。

 最近の上皇后さまのご様子を知る関係者が明かす。

美智子さま
は、周囲に“陛下と私が、新しい時代を迎えるにあたって最も心を砕いてきたのは、国民に二重権威と映ってはならないという点でした”と仰っています。ところが、令和に入ってその点を指摘する記事がいくつも出てしまった。これに美智子さまは“今までそうならないようにずっと気を留め、注意して行動してきたことなのに、実際にああした報道がなされてしまった。だから、とてもつらいのです”とも漏らされているのです」

 すなわち、一連の報道にもっぱらネガティブな感情をお持ちだというのだ。ご不調が続く中、一時期とはいえ嘔吐の症状がみられたことは、まことにおいたわしい。が、さる皇室ジャーナリストが言うには、

「カレンダーの件は、元長官をはじめ“上皇さまにお仕えしてきた”という思いがひときわ強い人たちが、平成時代そのままに作業を進めてしまった結果だと思います。また、秋篠宮さまのご挨拶の順番についても、当日は両陛下のご都合もあって順序が逆になったとはいえ、時間帯を後にずらせば本来通りに行うこともできたはず。これらの調整、コントロールは役所が徹底しなければならないはずなのに、そうした部分がまるで機能していない。だから、国民には二重権威が生じていると映ってしまうのです」

(2)へつづく


「週刊新潮」2019年12月26日号 掲載

 

 

下記は2011年の記事週刊誌や国民の声を“雑音を気にするな”と言うなら今回も吐血などしないはずなのに。

 
 

美智子様 雅子様に「雑音を気にしていては先に進めません」

女性セブン 2011.12.18 16

https://www.news-postseven.com/archives/20111218_76084.html

 

<東宮職医師団としては、最近、週刊誌を中心として、ご病気に苦しまれながらもさまざまなご活動に懸命に取り組んでいらっしゃる妃殿下のご努力を否定するかのような、悪意ともとれる誤った情報に基づく報道が、関係者とされる人物の発言の引用を含めてなされていること、そしてそのことに対して妃殿下が心を痛めていらっしゃることへの強い懸念を表明いたします>

12月9日、48才の誕生日を迎えられた雅子さまのご病状について、東宮職医師団が、毎年、恒例となっている見解を文書で発表した。だが今回は、どのような治療を施してきたか、今後、どういう治療をしていくかといった医学的な見地からの言及は一切なく、雅子さまの病気が治らないのは“週刊誌報道のせいだ”と一方的に責め立てる異例ともいえる内容だった。

そんななか雅子さまは、12月9日、天皇皇后両陛下に誕生日のご挨拶をされるため、おひとりで皇居・吹上御所を訪ねられた。

「雅子さまは挨拶された後、時間の許す限り、両陛下と話をされたそうです。美智子さまは、いまだ快復に至らない雅子さまのお体をとても心配されていたそうです」(宮内庁関係者)

そして美智子さまは、東宮職医師団の見解の内容をご存じだったのか、雅子さまに直々にこんなことを話されたという。

「美智子さまは、雅子さまに近寄られ、“心ない雑音を気にしていては、先に進めませんよ。落ちこんだり、くよくよしないように”といった旨の助言をされ、雅子さまに手を添えられたそうです。きっと報道を気にするのではなく、前を向いていきなさいという思いから、そんなことを述べられたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

振り返れば、美智子さまも1993年10月20日、59才の誕生日を迎えられた日、御所の応接室でお倒れになった。幸いに意識はすぐに戻ったが、失声症になられた。

それほどまでにお心を痛められたのは、美智子さまを皇室の“女帝”に擬した一連の“バッシング報道”に苦悩されたからだった。だが陛下をはじめ、紀宮さま(当時)、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら、ご家族の温かい励ましに支えられ、哀しみをプラスの方向に転化された美智子さまは、それから7か月後にお声を取り戻された。

柔和なその微笑に、いまでは“国母”の思いを重ね合わせる国民も多い美智子さま。つらく厳しい状況も、いつかは必ず日が射すことを雅子さまにお伝えになりたかったのだろう。
※女性セブン2012年1月1日号


宮内庁に責任転嫁という記事は昨年にも書かれた。

皇室の「楽屋裏」から見た秘話、平成皇室の姿という朝日の記事、朝日新聞元編集委員の岩井克己氏が語ったもの。

美智子さんが声を失ったのはバッシング報道でくずおれたというものでないという。


ある親しい人の周辺からの手紙により深く傷つく表現があった、雑誌などの平成流皇室に対する批判に強い衝撃と絶望感で倒れたそうだ。

美智子さんは「言論の自由が委縮してはならない」と当時は言っていた。
そのマスゴミを操る美智子さん。

 「皇后が倒れた朝に公表された誕生日の文書回答で、皇后はこう記していた。
『どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います(中略)批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません』
 言論の自由が萎縮してはならない、と述べたのです。『皇室の務めは災害見舞いではない』『皇居の奥で祈るだけでよい』との守旧派の批判に、天皇、皇后は耳を傾けつつも決して屈しなかった。」


 

宮内庁という「とんでもない役所」 皇后が声を失った真実

AERAdot. 2018.10.16 07:00

https://dot.asahi.com/wa/2018101200024.html?page=1

 
AERAh

第73回国民体育大会の総合開会式に出席した両陛下=2018年9月 (c)朝日新聞社

 

 平成の時代があと半年で終わりを告げる。皇室取材を30年続けてきた、朝日新聞元編集委員の岩井克己氏が、皇室の「楽屋裏」から見た秘話を通じて、平成皇室の姿を語る。

ベールが飛んだ
【写真】香淳皇后の葬儀で、皇后さまの長いベールが中を舞った

*  *  *
──岩井さんが宮内庁担当となったのは1986(昭和61)年でした。

 そうです。皇居の守りを固める最大の門である坂下門を閉門時刻を過ぎて出入りする際には、皇宮護衛官が2人がかりで太いかんぬきを外し、全体重をかけて巨大な扉を開けてくれます。「江戸城開門」を実感するこの場所は、1862(文久2)年1月、開国を進める幕府の老中安藤信正を水戸藩士らが襲った「坂下門外の変」の舞台でした。1945(昭和20)年8月15日。玉音盤を奪い降伏を阻止しようと近衛歩兵を率いて乱入した青年将校が切腹したのも、このそばです。

 86年の夏、初めて取材した国賓の歓迎晩餐(ばんさん)会。宮殿の豊明殿で昭和天皇と皇族方がずらりと並ぶなか、シャンデリアに照らされた高松宮宣仁親王殿下の頬がげっそりとこけて痩せておられるのに気づいた。

 皇室の取材においては、天皇、皇后両陛下の私生活を支える侍従や侍医らへの取材は欠かせません。すぐに、肺がんだとつかめた。しかし秋には、他社も気づきはじめ、普段は誰も取材しなかった殿下の公務にわんさか記者が群がるようになってしまった。ご本人は苦笑いしておられましたが、痛々しかったですね。

 翌87(昭和62)年2月に逝去されると、いろいろと問題が持ち上がりました。皇族の葬儀は53(昭和28)年の秩父宮以来34年ぶり。役人も記者も経験者がほとんどいない。双方が手探りでしたね。土日はガラガラで当直しかいない役所ですが、ある日曜日に幹部連中がひそかに集合していた。せわしげに打ち合わせに動きまわる幹部を捕まえて、「何事ですか」と迫った。しぶしぶ答えてくれたのは、「シルクハットに喪章を巻くやり方がわからない」。元内舎人(うどねり)に知っている人がいたから、ようやく解決した、と。とんでもない役所だと思ったのを覚えています。

 

 つまりは儀式官庁なのですね。時代が昭和から平成に移ろうとも、天皇制の議論や日々のご公務とは別に、しきたりや作法が重視され受け継がれる。特に、天皇、皇族方の冠婚葬祭で歴史や伝統が顔をのぞかせる。

──平成に入ると、90(平成2)年の礼宮さまの結婚、93(平成5)年には皇太子、徳仁親王の結婚で慶事が続きました。一方、2000(平成12)年6月には昭和の象徴たる香淳皇后の逝去もありました。

 香淳皇后が亡くなったときに、皇室に受け継がれるべき作法が十分に伝わっていない、と問題になったことがあります。

 葬儀の一連の儀式では、女性皇族はベールを被ります。皇后は腰まである長いベール。皇太子妃はこの長さ、皇族妃はここまで、とご身位が重いほど長くなる。6月の逝去から、通夜にあたる殯宮祗候(ひんきゅうしこう)をはじめ多くの儀式が続きました。当初、雅子さまがとても短いベールを被って来られ、違和感を覚えたことがありました。他の女性皇族のほうが長いベールでした。

 赤坂御用地にある東宮御所は、ある意味で離れ小島。皇后さまが作法に通じたベテランの女官を配属する配慮をされたのですが、新しい女官たちに煙たがられたのか、うまく継承されていなかったらしい。

 皇后は、天皇陛下の母であり昭和の時代を象徴する香淳皇后の葬儀を、完璧に営みたいと、不眠不休で頑張っておられた。

 そうしたなかで、問題が起き、雅子さまが本葬に欠席するという事態にまでなってしまった。ベールひとつとっても、特殊なもので、たまたま高松宮妃が生地をたくさん持っておられ、何とか間に合ったという状況でした。厳格な作法が求められる一例です。

──来年4月の天皇退位まであと半年。思い起こされるのが、昭和から平成への代替わり間もないころに起きた皇室バッシングです。皇后さまは1993年10月20日の誕生日の朝に倒れ、声を失う事態となりました。

「私の天皇像とは、天皇制を遂行できる天皇である。もしそれができない天皇ならば退位してもらいたい」

 

いまの天皇の退位をめぐる議論ではありません。

 93年の「諸君!」12月号に掲載された加地伸行・大阪大学名誉教授の論文です。平成が本格的に船出し、東南アジアや中国を訪問した時期に、守旧派は平成の皇室に対する批判を強めました。そして、バッシングは皇后に集中していったのです。

「皇后の役目は、ダンスでもなければ災害地見舞でもない」(加地氏)

 天皇、皇后は傷つき、
「だれもわかってくれないのでは」
 と孤立感を抱いたようです。

 ただ、皇后が倒れ声を失ったのは、バッシング報道で自らを見失い、くずおれたという単純なものではないと、私は思っています。

「最終的な引き金は、ある親しい人の周辺からの手紙だった」と聞いたからです。皇太子妃決定過程に関連した人の手紙の一部に傷つくような表現があったとか。「雑誌などの平成流皇室に対する批判に苦悩する最中、心にかけていた相手側のメッセージだっただけに、強い衝撃と絶望感で倒れた」のだそうです。

 差出人を見て、十分に中身を確かめずに手紙を届けた古参侍従は、自らを責め、後悔の涙を流した、とも聞きました。

 皇后が倒れた朝に公表された誕生日の文書回答で、皇后はこう記していた。
「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います(中略)批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません」

 言論の自由が萎縮してはならない、と述べたのです。「皇室の務めは災害見舞いではない」「皇居の奥で祈るだけでよい」との守旧派の批判に、天皇、皇后は耳を傾けつつも決して屈しなかった。

 その後も戦争の犠牲、災害の犠牲に現地を訪れて祈りを捧げ、国内外の人々とふれあい、絆を結ぶことに全身全霊で努め続けた。

 生前退位も、こうした象徴のありようを十全な形で次世代に継いでもらいたいとの思いからでしょう。
(構成/本誌・永井貴子)
週刊朝日  2018年10月19日号より抜粋

 

 

 
皇室画像掲示板より

 

1画像

 

週刊誌は大好きだけどストレスなの。 Name 名無し19/12/26()07:25 ID:hIpAY5iM No.3135620

「美智子さまは毎朝、新聞に目を通されます。その際に週刊誌の新聞広告をご覧になったり、気になった記事は取り寄せてお読みになったりすることもあるのです。上皇侍従次長は今回の会見でも、詳しい原因はわからないものの、週刊誌報道にストレスを感じられた結果として、胃に負担がかかった可能性があると説明しています」

出歩けないのがストレスなのかな Name 名無し 19/12/27()15:41 ID:kPljDVc2 No.3137363  

体調のすぐれない明仁さんを置いて
遊びに行けないのが理由かな。
それを理由に退位したから尚更不味いのかしら。

それともユダヤ人に睨まれて大好きな朝鮮半島が、
火の海になりそうなのも気にかかるのかしら。

でもアメリカの新型兵器が最も気になるわね。

https://jp.wsj.com/articles/SB12190159571111683931004585292821887068944

まあこの世は因果応報ですから。

 

無題 Name 名無し 19/12/27()22:05 ID:qNOV7njI No.3137509  

きっと雅子ちゃんより大きな歓声を浴びるわね。
ミッチーブームは永遠に...よ。
主役は、アテクシ!
血を吐いても一般参賀に出るわ。

 

無題 Name 名無し 19/12/30()09:41 ID:voZ.iPoI No.3139239  

庶民でも読まない週刊誌が愛読書だなんて

 

ふぅ〜〜ん Name 名無し 19/12/30()10:50 ID:5u2j7CXc No.3139241  

自分は週刊誌にこれでもか!と秋篠宮家貶めの捏造記事を書かせているくせに、自分が書かれる側になるとストレスを感じる??
ふざけるのもいい加減に!!

美智子にあからさまに悪意を向けられている秋篠宮ご夫妻のお心の痛みに比べたら、そんなもの屁でもない。

 

無題 Name 名無し 19/12/30()12:44 ID:LYoeG.bU No.3139253  

まんまと「莫大な皇室費と権威」の2重構造を立てたつもりが、
意外と自分の権威がしぼんでしまった様子なことにご立腹なビチ子婆さんw

もはや、やりたい放題を通り越して、北の独裁者並みの強権発動を始めた模様。

これまで自分の「皇室破壊、日本破壊」への道すじが全部通ってきたように思ってるだろうから、
有頂天になったときの独裁者は終わりに近付いてる証拠。 ビチ子はチャウシェスク状態。

創価股子側との権力争いも見え隠れするし、ビチ子は結局創価と相討ちになって果てるのではと思う。

この車から顔出したビチ子の画像。 口のあたりの醜さは悪党丸出し。