阪神淡路大震災が起きて30年も経った、震災直後に当時の皇太子夫妻が中東訪問したことについて、過去記事を再掲載します。


1995/01/27 ヨルダンからの帰国前、クイーン・マリア空港にてサルワット妃とムッとした表情の雅子さん。
パンプスから甲の肉がはみだしている。 大震災で国民が苦しんでいます。早くお帰りになったら、と言われてぶんむくれ。
皇室掲示板から:
無題 Name 名無し 14/12/18(木)15:55 ID:V0ukk28s No.1204662

ダイアナ妃ブルーの衣装被り。
まだこの時は若干ブルーの色合いが違っていたが、なんとその後まったく同じ服を作らせて出てきたのが下記:
ダイアナ妃は震災現地視察慰問を希望していたが、この時点で東宮夫妻は未訪問。
他国皇太子妃に先を越されるわけにはいかないので彼女の希望を断ることに。
この時も「順番がありますでしょ」とモタモタして慰問してない皇太子夫妻、ダイアナ妃はそのため神戸へ行くことができなかった。
こちらは
2015/1/17
阪神・淡路大震災3日後に中東3ヶ国訪問に旅立った皇太子夫妻
https://remmikki.livedoor.blog/archives/2015-01-17.html
1995年1月17日阪神淡路大震災が襲った3日後に皇太子夫妻は中東3ヶ国訪問に旅立った。
その前年、'94年の11月5日から15日までの日程で皇太子さまと雅子さまは、サウジアラビア、オマーン、カタール、バーレーンの中東各国を歴訪された。
そして、大震災後、おふたりは翌95年1月20日か1月30日までの予定でクウェート、アラブ首長国連邦(UAE)、ヨルダンの3か国を訪問。
阪神淡路の震災3日後のヨルダン訪問を決行した際のバカ笑い。

これは黄色い服を着てラクダレースに興じる夫妻。見て、雅子さんの大口開けたバカ笑い。
1月の極寒の中、家族を亡くし住む場所を失くし
不安と寒さで震えながら、行方がわからない家族を
瓦礫の中、素足素手・着の身着のままで人達・・
日本中が悲しみに包まれていたこの時期にこの笑い・・
こんな女、日本人どころか人間でも無い
1995/01/24 ラクダレース見物中、貴賓席で雅子に話しかけ、雅子の顔色をずっとうかがっている徳仁とあまり熱心に相手をする様子のない、一貫して無視し、下品に笑っている雅子
そして紅白衣装
1995/01/21 阪神・淡路大震災後4日後、祝福の色紅白に身を包みクウェート訪問。
あんな大震災で苦しんでいる国民がいた時に、紅白のおめでたい衣装を着るか!

1995/01/27 ヨルダンからの帰国前、クイーン・マリア空港にてサルワット妃とムッとした表情の雅子さん。
パンプスから甲の肉がはみだしている。 大震災で国民が苦しんでいます。早くお帰りになったら、と言われてぶんむくれ。
皇室掲示板から:
ちっ!帰れだとよ。
「お国が心配でしょう」
はあ?心配じゃないってば。
国民がどんだけ死んでも知ったことじゃないし。
ピクミンみたいなもんさ。
くそったれが、よけいな事いいやがって。
うざいな、このババア。
こいつヨルダン皇太子妃?知らねーよ。
まだ観光すんでねーじゃねーか。
「死海」に行ってねーよ。
無題 Name 名無し 14/12/18(木)16:18 ID:re7wNoHc No.1204674
「死海が見れずに残念でした」と皇太子が言ったのよね。
帰りの飛行機の中で、雅子にさぞぼやかれたことでしょう。
もう過ぎたことだけれど
これは本当に酷いと思う
決して忘れてはいけない
この笑い!自分の国が大惨事に見舞われ
多くの犠牲者が出たというのに
笑っていられる神経が信じられない
東宮一家なんて、税金を無駄遣いするだけの存在だ
| … | 無題 Name 名無し 14/12/18(木)15:58 ID:4NmWSn76 No.1204666
|

無題 Name 名無し 14/12/18(木)13:19 ID:.QFhjuzA No.1204589
来日したダイアナが被災地のお見舞いに行きたいとの意向だったらしいが
この夫婦がまだ行ってないからという理由でご遠慮願ったんでしたっけ?
ダイアナ妃ブルーの衣装被り。
まだこの時は若干ブルーの色合いが違っていたが、なんとその後まったく同じ服を作らせて出てきたのが下記:
ダイアナ妃は震災現地視察慰問を希望していたが、この時点で東宮夫妻は未訪問。
他国皇太子妃に先を越されるわけにはいかないので彼女の希望を断ることに。
この時も「順番がありますでしょ」とモタモタして慰問してない皇太子夫妻、ダイアナ妃はそのため神戸へ行くことができなかった。
こちらは
日の本
なぜ中東へ行った
阪神・淡路大震災直後の中東訪問(1995年1月20日〜28日)
1月21日 阪神・淡路大震災後4日目 紅白衣装
1月24日 震災1週間後 ラクダレース観戦
歓迎してくれる向こうの国の人々に悲しい顔を見せられない、
ご夫妻は笑顔の下に辛いお気持ちを押し隠して、ご公務に臨まれた。
結局、相手国の提案もあり、予定を2日短縮して帰国。
1月21日 阪神・淡路大震災後4日目 紅白衣装
1月24日 震災1週間後 ラクダレース観戦
歓迎してくれる向こうの国の人々に悲しい顔を見せられない、
ご夫妻は笑顔の下に辛いお気持ちを押し隠して、ご公務に臨まれた。
結局、相手国の提案もあり、予定を2日短縮して帰国。
皇太子夫妻は地震直後にもかかわらず、中東訪問の旅に出かけた。
この「国際親善」という公務は以前から予定されていたから出かけたとのことである。
外遊先で歓迎の行事ににこやかに応じ、あるいは夫妻がゲームに興じる姿が報じられるに及び、
国民の顰蹙をかった。この国賓ご一行を迎える相手国も、
どんな顔をして迎えたらよいやら迷惑したという話である。
この「国際親善」という公務は以前から予定されていたから出かけたとのことである。
外遊先で歓迎の行事ににこやかに応じ、あるいは夫妻がゲームに興じる姿が報じられるに及び、
国民の顰蹙をかった。この国賓ご一行を迎える相手国も、
どんな顔をして迎えたらよいやら迷惑したという話である。
余 談】
Z■地震後の皇室の動向は、昭和天皇死後の天皇制を占う試金石だった。
皇太子夫妻の旅行についてはこんな反応がある。
――この外遊訪問は、たとえて言えば、自分の家が燃えている最中なのに、
「前からの約束通り来ました」といってやってくる客の無神経さである。
こういう客は歓迎されると思うのか。いったい宮内庁は天皇制をきちんと理解しているのか。
自身の役割が分かっているのか。とくに言えば「日本赤十字総裁」は誰なのか。
赤十字が救援に動いているのに、その代表者が不在とはどういうことか。
ふだんは皇室のことは何も気にしていない者たちも、皇太子夫妻の国際親善の旅は、
災厄への直面を回避して「海外逃亡」しやがった、という印象を多くの者が受けた。
右翼はこれに対し何をしていたのか、腹を切ってでも諫止し阻止すべきだった、
という意見すらある。
Y■皇室の社会的機能、なかでも天皇の役目は、シンボリックな秩序維持に責任を
有するというのが、天皇制の根本である。災厄が起これば、それを鎮撫するために尽力し、
なおかつ天変地異等自然災害であろうと、これを自身の不徳のせいだとして、
退位するなどして公に責任をとる。いわば常人とは違う非人間的な役割を負う。
それが天皇である。人類学的な知見では王の究極的な機能は、自らが犠牲となって
共同体の秩序を回復させることにある。天皇の役割の根本もそういうところにある。
年頭、天皇は神々に今年一年の国家平安を祈念したのではなかったか。
X■天皇の戦争責任という問題が、戦後長く議論されてきた。昭和天皇の死後、
そういう声は国内では消えた。しかし天皇制の根本的機能に照らせば、
「天皇の災害責任」という問題が立ってくる。「天皇が震災に責任があるだって?
そんな荒唐無稽な。それこそ神話的言いがかりだ」――そう言うのが、近代政治空間の感覚だろうが、
天皇制本来の古代的祭政の次元と照合すれば、それほど荒唐無稽な話ではあるまい。
天変地異でさえ自身の責任とする。それが天皇制の極意である。そういうことになる。
このことは皇室メンバーを除けば、国民のだれより天皇制護持を標榜する党派が承知すべきだな。
Y■しかし皇室を擁護するつもりはないが、別の考え方もある。つまりここでのテーマが
我々の社会のシンボリックな秩序は震災でどのように動いたか、という視点からすれば、
違うことが言える。顕在的な意味合いでは不分明な話でも、無意識的な次元ではだれもが
よく知っている事柄であろう。というのも、「海外逃亡」とすら言われた行為の
パフォーマティヴな次元では、ひたすら、「この災厄は大したことはないのだよ」という
メッセージを送るものだったからだ。
ところが、この国際親善の名において実行された行為が、
こんなに被災者が苦悩しているのに、「この災厄は大したことはない」というメッセージを
送るものだと、これまた受け止められ、市民の顰蹙を買ってしまったのである。
この一大事を何と心得て、往ってしまったのか、と。ここには、言うまでもなく誤解がある。
Z■ひたすら「この災厄は大したことはない」というメッセージを送るものだった
皇太子夫妻の海外出張行動は、第一に、誰に対してそういうメッセージを送ったのか。
答えは、それは「人心」というものに対して、である。人心を慰撫するために否認の
メッセージが必要なんだ。もう一つ、この否認行動は、家を失った市民の間で見られる
否認と連続しているということだ。震災はなかった、早く家に帰ろう、という事実否認は、
防衛メカニズムへの反応としての症状である。症状がそれ自体で語るところを見なければ
ならないのは、個人も社会も同じだ。
Z■地震後の皇室の動向は、昭和天皇死後の天皇制を占う試金石だった。
皇太子夫妻の旅行についてはこんな反応がある。
――この外遊訪問は、たとえて言えば、自分の家が燃えている最中なのに、
「前からの約束通り来ました」といってやってくる客の無神経さである。
こういう客は歓迎されると思うのか。いったい宮内庁は天皇制をきちんと理解しているのか。
自身の役割が分かっているのか。とくに言えば「日本赤十字総裁」は誰なのか。
赤十字が救援に動いているのに、その代表者が不在とはどういうことか。
ふだんは皇室のことは何も気にしていない者たちも、皇太子夫妻の国際親善の旅は、
災厄への直面を回避して「海外逃亡」しやがった、という印象を多くの者が受けた。
右翼はこれに対し何をしていたのか、腹を切ってでも諫止し阻止すべきだった、
という意見すらある。
Y■皇室の社会的機能、なかでも天皇の役目は、シンボリックな秩序維持に責任を
有するというのが、天皇制の根本である。災厄が起これば、それを鎮撫するために尽力し、
なおかつ天変地異等自然災害であろうと、これを自身の不徳のせいだとして、
退位するなどして公に責任をとる。いわば常人とは違う非人間的な役割を負う。
それが天皇である。人類学的な知見では王の究極的な機能は、自らが犠牲となって
共同体の秩序を回復させることにある。天皇の役割の根本もそういうところにある。
年頭、天皇は神々に今年一年の国家平安を祈念したのではなかったか。
X■天皇の戦争責任という問題が、戦後長く議論されてきた。昭和天皇の死後、
そういう声は国内では消えた。しかし天皇制の根本的機能に照らせば、
「天皇の災害責任」という問題が立ってくる。「天皇が震災に責任があるだって?
そんな荒唐無稽な。それこそ神話的言いがかりだ」――そう言うのが、近代政治空間の感覚だろうが、
天皇制本来の古代的祭政の次元と照合すれば、それほど荒唐無稽な話ではあるまい。
天変地異でさえ自身の責任とする。それが天皇制の極意である。そういうことになる。
このことは皇室メンバーを除けば、国民のだれより天皇制護持を標榜する党派が承知すべきだな。
Y■しかし皇室を擁護するつもりはないが、別の考え方もある。つまりここでのテーマが
我々の社会のシンボリックな秩序は震災でどのように動いたか、という視点からすれば、
違うことが言える。顕在的な意味合いでは不分明な話でも、無意識的な次元ではだれもが
よく知っている事柄であろう。というのも、「海外逃亡」とすら言われた行為の
パフォーマティヴな次元では、ひたすら、「この災厄は大したことはないのだよ」という
メッセージを送るものだったからだ。
ところが、この国際親善の名において実行された行為が、
こんなに被災者が苦悩しているのに、「この災厄は大したことはない」というメッセージを
送るものだと、これまた受け止められ、市民の顰蹙を買ってしまったのである。
この一大事を何と心得て、往ってしまったのか、と。ここには、言うまでもなく誤解がある。
Z■ひたすら「この災厄は大したことはない」というメッセージを送るものだった
皇太子夫妻の海外出張行動は、第一に、誰に対してそういうメッセージを送ったのか。
答えは、それは「人心」というものに対して、である。人心を慰撫するために否認の
メッセージが必要なんだ。もう一つ、この否認行動は、家を失った市民の間で見られる
否認と連続しているということだ。震災はなかった、早く家に帰ろう、という事実否認は、
防衛メカニズムへの反応としての症状である。症状がそれ自体で語るところを見なければ
ならないのは、個人も社会も同じだ。
当ブログ過去記事:



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笑顔を見せるのは大切な事ですが、時と場所によります。
そのような事もわからない象徴たる人がいて欲しくないです。
令和も7年を迎え、東北地方では大雪。先日は宮崎で震度5弱(私の住み県では最大震度4)の地震が起こりました。どうなるのか不安ではありますが、皆様がどうか日々を無事に過ごせますように願っています。