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2月12日、筑波大付属高校3年の悠仁さまは、京都府舞鶴市を訪れ、舞鶴引揚記念館を視察された。

舞鶴港は1945年から13年間に渡って引揚者を受け入れてきた戦後引き揚げの象徴的な港。

舞鶴港は全国に18か所あった引き揚げ港の一つで、1958年までに約66万人が帰国。
記念館はシベリア抑留や引き揚げの歴史を伝える拠点として、約1万6000点の資料を収蔵している。

2017年ご両親の秋篠宮両殿下が舞鶴引き揚げ記念館を訪れた際に悠仁さまの招待
があったことを受け、調整が重ねられ、私的な日帰りの旅行として筑波大学への進学を前に実現したもの。

悠仁さま単独での地方訪問は、2022年の伊勢神宮への参拝に続き、これが2回目。


kyoto】悠仁さま 京都・舞鶴引揚記念館を訪問。学生語り部の案内受ける (8:28)

Television Osaka 2025/2/12

https://www.youtube.com/watch?v=8V7IWvXkJtU


 

秋篠宮家の長男で筑波大付属高校3年の悠仁さまは12日、京都府舞鶴市を訪れ、舞鶴引揚記念館を視察されました。舞鶴は全国に18か所あった引き揚げ港の一つで、1958年までに約66万人が帰国。記念館はシベリア抑留や引き揚げの歴史を伝える拠点として、約1万6000点の資料を収蔵、悠仁さまは、案内役の説明を聞きながら、引き揚げ船の模型や港のジオラマなどを見て回りました。

 

 

 

悠仁さま 舞鶴引揚記念館を訪問 シベリア抑留資料を見学 (0:30)

テレ東 2025/2/12

https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/you/news/post_312380



テレ東舞鶴


秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまは12日、京都府の舞鶴引揚記念館を訪れ、シベリア抑留に関する展示をご覧になりました。舞鶴港は1945年から13年間に渡って引揚者を受け入れてきた戦後引き揚げの象徴的な港です。悠仁さまは語り部活動を引き継ぐ高校生などに「シベリアからはどのくらい距離があるのか」などと尋ねられていました。

 

 

悠仁さま 舞鶴引揚記念館を訪問

テレ朝ニュース 2025/2/12() 17:14

https://news.yahoo.co.jp/articles/895c61a5521b2098212e1a93d43998b36b3bc00a



ANN舞鶴

悠仁さま 舞鶴引揚記念館を訪問

 

秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが京都府にある舞鶴引揚記念館を訪問されました。

 記念館には、終戦後に抑留されていたシベリアなどから引揚船で舞鶴港に到着した人々の歴史などが展示されています。

 悠仁さまは大学生や高校生ら同世代の語り部による説明を受けながら、シベリア抑留中の日本人がシラカバの樹皮に短歌などを綴り、日本への帰国時に所持品検査で没収されずに残った「白樺日記」や当時の舞鶴港を再現した模型などの展示をご覧になりました。

 【悠仁さま】

「今みたいな冬の時期とかだと、(海が)荒れてる時も多いと思うのでさらに時間がかかったりとか乗り心地も悪かったりとかということもあったりしますよね」

 その後、悠仁さまは復元された引揚者が上陸の際に渡った桟橋を視察されました。

 今回の舞鶴訪問は8年前、秋篠宮ご夫妻が記念館を訪れた際に悠仁さまへの招待があったことを受け調整が重ねられ、私的な日帰りの旅行として筑波大学への進学を前に実現しました。

 

 

 

悠仁さま 終戦後の歴史など伝える「舞鶴引揚記念館」を訪問

NHK 2025212 1749

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250212/k10014720151000.html



NHK舞鶴
 

秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは12日、京都府舞鶴市を訪問し、終戦後の海外からの引き揚げの歴史などを伝える記念館の展示をご覧になりました。

高校3年生の悠仁さまは、昼すぎに「舞鶴引揚記念館」を私的に訪ねられました。
 舞鶴は、昭和2010月から13年間にわたり、中国などからの引き揚げ者合わせて66万人余りを迎えたまちで、記念館には、こうした歴史や旧ソビエトによるシベリア抑留に関する資料が展示されています。
 引き揚げや受け入れの体験者から聴き取った歴史を語り継ぐ活動をしている同学年の地元の高校生などから、ナホトカ港から3日かけて貨物船で引き揚げて来る間に体調を崩す人が多かったという説明を聞くと、悠仁さまは「冬の時期だと荒れている時も多いと思うので、さらに時間がかかったり乗り心地も悪かったりということもあったでしょうね」と話されていました。
 8年前、秋篠宮ご夫妻が訪問された時に、記念館側から「いずれ悠仁さまも」と希望が寄せられていたことから、大学進学が決まり授業がないこの時期に訪ねたということで、悠仁さまはこのあと、歴史を残すため復元された引き揚げ船用の桟橋もご覧になりました。
 説明役を務めた東舞鶴高校3年の藤田康輔さんは「一つ一つの展示物の歴史的背景についてとても興味を持って聞いてもらえて、私たちの語り部活動への激励のことばもいただきました」と話していました。

 

 

 

悠仁さま、舞鶴引揚記念館を訪問市民から当時の話を聞かれる

読売新聞 2025/2/12() 15:25

https://news.yahoo.co.jp/articles/b0f639f27b295036eb1a6e97a4b731b0df3ef46c

 


悠仁さま、舞鶴引揚記念館を訪問…市民から当時の話を聞かれる ...復元引揚桟橋を見学される悠仁さま(12日午後、京都府舞鶴市で)=前田尚紀撮影

 

 秋篠宮家の長男で筑波大付属高校3年の悠仁さま(18)は12日、京都府舞鶴市を訪れ、舞鶴引揚記念館を視察された。

 舞鶴は全国に18か所あった引き揚げ港の一つで、1958年までに約66万人が帰国した。同館はシベリア抑留や引き揚げの歴史を伝える拠点として、約1万6000点の資料を収蔵する。


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復元引き揚げ桟橋について説明を受ける悠仁さま(京都府舞鶴市で)

 

 悠仁さまは、案内役の説明を聞きながら、引き揚げ船の模型や港のジオラマなどを見て回られた。抑留者が望郷の念を短歌でまとめた「白樺(しらかば)日誌」の前では、「少ない文字で書くことで、効果的に残した面もあるのですかね」と話された。その後、復元された桟橋に足を運び、高齢の市民から、引き揚げ者を出迎えた当時の話を聞かれた。

 悠仁さまは、これまでも先の大戦の記憶に向き合われてきた。2013年に沖縄、16年に長崎、18年に広島を訪れ、慰霊碑に供花したり被爆者の体験を聞かれたりされた。小学6年の終戦記念日には、作家の半藤一利さん(死去)から昭和史の講義を受けられた。

 今回の視察は、17年の秋篠宮ご夫妻の同館訪問後から調整され、悠仁さまの進学が決まり、高校の授業がないこの時期に実現した。

 

 

 

【速報】悠仁さまが京都「舞鶴引揚記念館」訪問 シベリア抑留の資料を視察 単独での地方訪問は2回目

読売テレビ 2025/2/12() 15:56

https://news.yahoo.co.jp/articles/fb49561eb55927cfc41812e285fbcd89224b1793


 

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秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが12日、京都府舞鶴市の「舞鶴引揚記念館」などを視察されました。悠仁さま単独での地方訪問はこれが2回目となります。

  第二次世界大戦後、京都府の舞鶴港には、満州から逃げ延びた人たちやシベリアで抑留された人たちなど約66万人の引き揚げ者が上陸しました。舞鶴引揚記念館に展示されているシベリア抑留者の日記や絵画などは、ユネスコの「世界記憶遺産」にも登録されています。



12日午後、引揚記念館を訪れた悠仁さまは、シベリアの収容所での過酷な暮らしについての資料などを閲覧され、復元された平引揚桟橋を視察されました。

 

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悠仁さまは、筑波大学附属高等学校の3年生で、春からは筑波大学に進学されることが決まっています。悠仁さま単独での地方訪問は、2022年の伊勢神宮への参拝に続き、これが2回目です。

 

 

 

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2017年4月21日、舞鶴引き揚げ記念館を訪問された秋篠宮両殿下
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鴨田秋津舞鶴市長

2025/2/13

https://twitter.com/AkitsuKamoda/status/1889885422265966625?t=_AVr8L1XS-501evbul79Qg&s=19



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舞鶴市HPにも掲載されました:

舞鶴市HP 2025213

https://www.city.maizuru.kyoto.jp/kyouiku/0000013502.html

 

 

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