2月12日、筑波大付属高校3年の悠仁さまは、京都府舞鶴市を訪れ、舞鶴引揚記念館を視察された。
舞鶴港は1945年から13年間に渡って引揚者を受け入れてきた戦後引き揚げの象徴的な港。
舞鶴港は全国に18か所あった引き揚げ港の一つで、1958年までに約66万人が帰国。
記念館はシベリア抑留や引き揚げの歴史を伝える拠点として、約1万6000点の資料を収蔵している。
2017年ご両親の秋篠宮両殿下が舞鶴引き揚げ記念館を訪れた際に悠仁さまの招待があったことを受け、調整が重ねられ、私的な日帰りの旅行として筑波大学への進学を前に実現したもの。
悠仁さま単独での地方訪問は、2022年の伊勢神宮への参拝に続き、これが2回目。
【kyoto】悠仁さま 京都・舞鶴引揚記念館を訪問。学生語り部の案内受ける (8:28)
Television
Osaka 2025/2/12
https://www.youtube.com/watch?v=8V7IWvXkJtU
秋篠宮家の長男で筑波大付属高校3年の悠仁さまは12日、京都府舞鶴市を訪れ、舞鶴引揚記念館を視察されました。舞鶴は全国に18か所あった引き揚げ港の一つで、1958年までに約66万人が帰国。記念館はシベリア抑留や引き揚げの歴史を伝える拠点として、約1万6000点の資料を収蔵、悠仁さまは、案内役の説明を聞きながら、引き揚げ船の模型や港のジオラマなどを見て回りました。
悠仁さま 舞鶴引揚記念館を訪問 シベリア抑留資料を見学 (0:30)
テレ東 2025/2/12
https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/you/news/post_312380
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまは12日、京都府の舞鶴引揚記念館を訪れ、シベリア抑留に関する展示をご覧になりました。舞鶴港は1945年から13年間に渡って引揚者を受け入れてきた戦後引き揚げの象徴的な港です。悠仁さまは語り部活動を引き継ぐ高校生などに「シベリアからはどのくらい距離があるのか」などと尋ねられていました。
悠仁さま 舞鶴引揚記念館を訪問
テレ朝ニュース 2025/2/12(水) 17:14
https://news.yahoo.co.jp/articles/895c61a5521b2098212e1a93d43998b36b3bc00a
悠仁さま 舞鶴引揚記念館を訪問
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが京都府にある舞鶴引揚記念館を訪問されました。
記念館には、終戦後に抑留されていたシベリアなどから引揚船で舞鶴港に到着した人々の歴史などが展示されています。
悠仁さまは大学生や高校生ら同世代の語り部による説明を受けながら、シベリア抑留中の日本人がシラカバの樹皮に短歌などを綴り、日本への帰国時に所持品検査で没収されずに残った「白樺日記」や当時の舞鶴港を再現した模型などの展示をご覧になりました。
【悠仁さま】
「今みたいな冬の時期とかだと、(海が)荒れてる時も多いと思うのでさらに時間がかかったりとか乗り心地も悪かったりとかということもあったりしますよね」
その後、悠仁さまは復元された引揚者が上陸の際に渡った桟橋を視察されました。
今回の舞鶴訪問は8年前、秋篠宮ご夫妻が記念館を訪れた際に悠仁さまへの招待があったことを受け調整が重ねられ、私的な日帰りの旅行として筑波大学への進学を前に実現しました。
悠仁さま
終戦後の歴史など伝える「舞鶴引揚記念館」を訪問
NHK
2025年2月12日 17時49分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250212/k10014720151000.html
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは12日、京都府舞鶴市を訪問し、終戦後の海外からの引き揚げの歴史などを伝える記念館の展示をご覧になりました。
高校3年生の悠仁さまは、昼すぎに「舞鶴引揚記念館」を私的に訪ねられました。
舞鶴は、昭和20年10月から13年間にわたり、中国などからの引き揚げ者合わせて66万人余りを迎えたまちで、記念館には、こうした歴史や旧ソビエトによるシベリア抑留に関する資料が展示されています。
引き揚げや受け入れの体験者から聴き取った歴史を語り継ぐ活動をしている同学年の地元の高校生などから、ナホトカ港から3日かけて貨物船で引き揚げて来る間に体調を崩す人が多かったという説明を聞くと、悠仁さまは「冬の時期だと荒れている時も多いと思うので、さらに時間がかかったり乗り心地も悪かったりということもあったでしょうね」と話されていました。
8年前、秋篠宮ご夫妻が訪問された時に、記念館側から「いずれ悠仁さまも」と希望が寄せられていたことから、大学進学が決まり授業がないこの時期に訪ねたということで、悠仁さまはこのあと、歴史を残すため復元された引き揚げ船用の桟橋もご覧になりました。
説明役を務めた東舞鶴高校3年の藤田康輔さんは「一つ一つの展示物の歴史的背景についてとても興味を持って聞いてもらえて、私たちの語り部活動への激励のことばもいただきました」と話していました。
悠仁さま、舞鶴引揚記念館を訪問…市民から当時の話を聞かれる
読売新聞 2025/2/12(水) 15:25
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0f639f27b295036eb1a6e97a4b731b0df3ef46c
復元引揚桟橋を見学される悠仁さま(12日午後、京都府舞鶴市で)=前田尚紀撮影
秋篠宮家の長男で筑波大付属高校3年の悠仁さま(18)は12日、京都府舞鶴市を訪れ、舞鶴引揚記念館を視察された。
舞鶴は全国に18か所あった引き揚げ港の一つで、1958年までに約66万人が帰国した。同館はシベリア抑留や引き揚げの歴史を伝える拠点として、約1万6000点の資料を収蔵する。
復元引き揚げ桟橋について説明を受ける悠仁さま(京都府舞鶴市で)
悠仁さまは、案内役の説明を聞きながら、引き揚げ船の模型や港のジオラマなどを見て回られた。抑留者が望郷の念を短歌でまとめた「白樺(しらかば)日誌」の前では、「少ない文字で書くことで、効果的に残した面もあるのですかね」と話された。その後、復元された桟橋に足を運び、高齢の市民から、引き揚げ者を出迎えた当時の話を聞かれた。
悠仁さまは、これまでも先の大戦の記憶に向き合われてきた。2013年に沖縄、16年に長崎、18年に広島を訪れ、慰霊碑に供花したり被爆者の体験を聞かれたりされた。小学6年の終戦記念日には、作家の半藤一利さん(死去)から昭和史の講義を受けられた。
今回の視察は、17年の秋篠宮ご夫妻の同館訪問後から調整され、悠仁さまの進学が決まり、高校の授業がないこの時期に実現した。
【速報】悠仁さまが京都「舞鶴引揚記念館」訪問
シベリア抑留の資料を視察 単独での地方訪問は2回目
読売テレビ 2025/2/12(水) 15:56
https://news.yahoo.co.jp/articles/fb49561eb55927cfc41812e285fbcd89224b1793
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが12日、京都府舞鶴市の「舞鶴引揚記念館」などを視察されました。悠仁さま単独での地方訪問はこれが2回目となります。
第二次世界大戦後、京都府の舞鶴港には、満州から逃げ延びた人たちやシベリアで抑留された人たちなど約66万人の引き揚げ者が上陸しました。舞鶴引揚記念館に展示されているシベリア抑留者の日記や絵画などは、ユネスコの「世界記憶遺産」にも登録されています。
12日午後、引揚記念館を訪れた悠仁さまは、シベリアの収容所での過酷な暮らしについての資料などを閲覧され、復元された平引揚桟橋を視察されました。
悠仁さまは、筑波大学附属高等学校の3年生で、春からは筑波大学に進学されることが決まっています。悠仁さま単独での地方訪問は、2022年の伊勢神宮への参拝に続き、これが2回目です。
鴨田秋津舞鶴市長
2025/2/13
https://twitter.com/AkitsuKamoda/status/1889885422265966625?t=_AVr8L1XS-501evbul79Qg&s=19
引き揚げに加え、舞鶴の変遷にも関心を寄せていただきました。雨が降ったり止んだりしていたことから、舞鶴では「弁当忘れても傘忘れるな」と言われていることをお伝えし、殿下がトンボの研究をされておられることから、私の名前が秋津(トンボ)であることもお話しできました。https://t.co/4WAyLlqCyN
— 鴨田秋津(舞鶴市長) (@AkitsuKamoda) February 13, 2025
舞鶴市HPにも掲載されました:
舞鶴市HP 2025年2月13日
https://www.city.maizuru.kyoto.jp/kyouiku/0000013502.html
コメント
コメント一覧 (38)
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■■悠仁親王殿下が舞鶴引揚記念館にご来館 2025年2月13日
https://www.city.maizuru.kyoto.jp/kyouiku/0000013502.html
ききょうさん、
舞鶴市HPも記事に追加させていただきました。
いつもありがとうございます。
皆様の戦争関連コメントを読み、いろいろ複雑な気持ちになりました。
親戚が沢山いる母の実家では二人の戦死者の写真が仏間に掲げてありました。
行事があるたびに孫たちが親に連れられて集まるのですが、考えてみると戦争の話は誰も話したがらなかったように思います。父も戦艦に乗っていたみたいなのですが、何にも話さなかったです。ただ、街の戦死者の資料集めに奔走し、戦死した方々の供養のため「英霊と共に」という本を編集し出版しました。
そして、関係者すべての方に贈呈していました。
・南京大虐殺などなかったということははっきりして
いるのに日本人がぐらついています。
日本兵と中国人が仲良く笑顔の写真がたくさん残っ
ています。
・満州人と、中国人は違うということを鳴霞さんが言
っています。彼女は満州人です。日本人の子どもの
世話をしてくれたのは満州人です。
・東条英機大将は尊敬できる立派な人格者です。
(小堀桂一郎、渡部昇一他著書多数)
幼子を抱えて満州から日本へ戻るまでのご苦労を書かれた、正式な題名を忘れてしまったのですが「流れる雲の…」の藤原ていさん、中学校の校長会の講演会にいらしたときに、お腹の大きい私もお話を聴くことができ「元気な赤ちゃんを産んでね」と励ましていただきました。
メギィーさん、
お母様のご実家では戦死者がふたりいらしたのですね。
集まっても戦争の話はしたがらなかったのですか。
「英霊と共に」という本を編集し出版されたのですね。
藤原ていさんさんのお子さん3人連れての脱出の本、涙しながら何度も読みました。
励ましていただいたなんて良かったですね。
あっぱれさま、
srbさま、
まとめてで大変失礼ですが、ありがとうございます。
直接は戦争を知らぬ戦後生まれ民も、切れば鮮血が飛び散る過去を抱えて生きて来たのですね。
ききょうさん、
お父様のお話から皆さんもそれぞれの親御さんの戦争体験の報告がされることになりました。親御さんたちは時代のせいと言えばそれまでですが、辛い時代を生き抜いたのです。
私の母は朝鮮半島で生まれ終戦までいました。
戦後、ロシア人が祖母に「娘たちを全員出せ」と言いに来たそうです。祖母が言いなりになっていたら今頃私はいませんでした。(母は当時小学生でした。)
祖母は押入れに娘たちを隠し、「うちには娘はいません!」と答えたそうです。
現地人がロシア人に「あの家には若い娘たちがいる」とチクったのでしょう。
私が本心から半島人を信じられないのは、そのせいです。
K-POPアイドルに熱をあげる人たちとは考えが合いません。アイボンもですね。
なお、引き上げる時はおそらく現在の貨幣価値で一人あたり●十万円かかったと思います。
母たちは博多から入国しました。
平安時代の刀伊の入寇、鎌倉時代の元寇は対馬経由で博多周辺に上陸しています。
北方領土はロシアとの国境付近にあるし、日本の周辺は昔から危険でしたね。
出征した話と関係なくてすみません。
悠仁親王殿下のご訪問は日帰りだったようで、かなりハードだったと思われます。
https://x.com/AkitsuKamoda/status/1889885422265966625?t=_AVr8L1XS-501evbul79Qg&s=19
舞鶴市長のツイートになります。紹介させていただきます。
引き揚げに加え、舞鶴の変遷にも関心を寄せていただきました。雨が降ったり止んだりしていたことから、舞鶴では「弁当忘れても傘忘れるな」と言われていることをお伝えし、殿下がトンボの研究をされておられることから、私の名前が秋津(トンボ)であることもお話しできました。
あっぱれさん、
重い役割を割り振った、終戦80年、悠仁さまの大学進学も決まり、ほっとできる時間だったからでしょうか。ご両親殿下が約束したことを成し遂げられて良かったです。
敗戦により中国にいた日本兵はシベリアへ送られ悲惨でした。
女子はロシア兵に犯され、少年は毛沢東軍に拉致され、思想教育でしたか。
帰国して共産党になってしまうわけですね。
朝鮮半島からの引き上げは、背乗りした朝鮮人ばかりだったのですね。
ほんとうに戦争は悲惨です。
復員して一切戦争を語らなかった男には理由があるのですね。
本土も地獄でしたが、死ぬ思いで復員した兵士に屈辱的な言葉とは戦争って残酷ですね。
労りの言葉がかけられなかったのか、と思いますが、それは平時のことだからですね。
戦争に負けることは民族が滅びること、そうですね。
日本はよくよみがえりました。焦土と化した日本は80年前と打って変わった繁栄を果しました。
東条英機のことはいろいろと読みましたが、日本を敗戦に導いたやはりA級戦犯ですか。
お父様は大正十四年生まれで召集を受けたのですね。
父も大正生まれでした。
口癖は「あいつはチョンだ」通名の名字には精通していたとははっきりされていた方でしたね。
中国共産党に拉致されて思想教育をされ、共産党員になった人も多かったのですね。
srbさん、
さあ、私的ご訪問は秋篠宮家のご負担なんでしょうかね?
お約束を守られた双方とも素晴らしいですね。
引き揚げ船が着いた港は、1位 浦頭港|長崎県佐世保市 ・ 2位 博多港|福岡県博多市 ・ 3位 舞鶴港|京都府舞鶴市 ・ 4位 浦賀港|神奈川県横須賀市 ・ 5位 仙崎港|山口県長門市だそうです。舞鶴港へは延べ346隻の引揚船が入港し、総数66万2,982人が舞鶴港に上陸したそうです。
ご実家が関西なら次回戻られたらぜひ記念館を訪れてみるといいですね。
ききょうさん、
あっぱれさんへのコメント読みました。
帰還兵は日本もベトナムに参戦した兵士も同じですね。
初心者さん、
立派なご公務としてカウントできるのに、団子トリオの撮影が公務にカウントなんてふざけてます。
鴨田市長、寒い中、敬意でコート無しだったのですね。
市長の下のお名前は「秋津」ですか。
トンボは古来、日本では秋津(アキツ、アキヅ)と呼ばれていたのですね。
アレラ信者がそんなに荒れ狂っているとはもう日本人ではないですよ。
アマテラスさん、
海風が冷たく寒かったでしょうが、凛としたお顔が尊いですね。
市長さんも力をいれてのご案内でした。
引き揚げ者の御苦労を重く受け止めたことでしょう。
[先の大戦]という言葉を使うと平成と令和の天皇陛下の言葉みたいです。
アイコテンノーなんてお呼びでないです。
愛知のババちゃんさん、
待ち望んだお姿ですね。
「皇族」の皆様はかなり早くから年齢がお若くても単独活動にいそしんでいらっしゃるのですね。
いい歳で内容がスカスカの仕事しか来ないアレとアレとアレとは大違いです。
秋篠宮家を一日も早く天皇皇后両陛下とお呼びしたいです。
F.Yさん、
はい、終戦前に帰国したと聞いてます。
でもそのおかげで私が生まれたので、あのまま満州に残っていたら、殺されたか、シベリア送りで私は生まれませんでした。
お父様は北支から帰国され、3ヶ月後、部隊は全滅でしたか。
それも70歳になってやっと明かしたのですね。
うちの父は、苦労したのか、47歳の若さで亡くなってしまいました。
もっと長生きしてくれたら、たくさん聞くことが出来たのに残念です。
お父様は、自分一人が生かされたという重荷を背負ってらしたのでしょう。
紫陽花さん、
ほんと、ずいぶんな発表ですね。
重いお役目をさせておいて、公務扱いではないとは、ひどい扱いです。
でもそんなこと微塵も感じさせない爽やかさですね。
これから大活躍でしょう。
アレラ一家の周りは邪悪な空気が漂い、娘のまわりもどよ〜んとして濁った空気です。
それらをすべて浄化する悠仁さまとご一家です。
電気うなぎさん、
高校三年生なのに素晴らしいですね。
この季節なら、日本海が荒れて帰国するまで大変だったとご理解なさった、ナルだったら「大変でしたね」で終わりです。
アイボンがしゅっと来られますと言った光源氏の展覧会、二度と行かないですよ。
あれも公務にカウントね。自分から行きたいと言ってド遅刻でしたか。最低!
投稿ダブってなかったです。
まりささん、
悠仁様、涼やかで見目麗しいお姿です。
ナルがチビの上、ひどいスタイルですが、中身がちゃんとしていれば背丈なんていいのですが、中身も嫁と変らず中身がスカスカ。
マリーさん、
日帰りでした、ハードなスケジュールでしたね。
Xをありがとうございます。
今記事の最後に追加しました。
今上がチビの上、短足でひどいスタイルなので(チビでもなんでも中身が良ければいいが中身も何にもない、アホ)、小顔でスラリと背が高くスタイルの良い天皇になられると思うと、嬉しいです。今上は恥ずかしすぎる。
早くその美しいお姿拝見したいです。
記事のアップありがとうございました。
素晴らしいです。まだ高校三年生というのが、末恐ろしいほどです。
以前、悠仁さまは蜂子皇子の陵墓を訪ねた事もあり、私的訪問とはいえ、クオリティが高い!
この季節なら、日本海が荒れて帰国するまで大変だとご理解なさったのですね。
ナルだったら、「苦労したでしょうね〜。(以下同文)」で終わりです。水の専門家でこれかい!
自称源氏物語に興味があったというアイボンの光源氏のなんちゃら展覧会(チャラめのタイトルだったような)、会期終了間際に行ったやつこそ、私的なものと言って良いです。しゅっと来られますと言っていましたけど、二度と行かないでしょう。そもそも先方はノーサンキューです。
いちおう、あれも公務とカウントですけど、自分から行きたいと言って入れた公務です。なのにド遅刻。
依頼公務がゼロというのも、当然ですね。
※私からの投稿がダブったらお手数ですが片方を削除してくださいませ。
これから悠仁親王様がご両親殿下や内親王姉上と共に、大活躍なさると思います。
千代田夫人の周りには邪悪な空気が漂い、その娘さんの周りにはなんともどよ〜んとした濁った空気が流れます。
それらを全て浄化する、凛とした爽やかで清々しい悠仁様のお姿に、未来の日本を託したいと思います。
私の父も終戦の前年に国内への配置転換で、北支から帰国しました。
部隊で一人だけだったようで、隊長に泣いて拒否しましたが「請われたのだから、それを生かしなさい」と諭されての帰国だったそうですが、後に知ったのはその3か月後の部隊全滅。
それを父は70歳ごろになってやっと明かしたのでした。
それまでは北支の冬がどんなに苛酷か、と言う話しかしませんでした。
精々、暇なときは野球やフットボールをしたという話くらい。
自分一人が生かされたという重荷を背負ってきたのでしょうね。
皆様
こんにちは。
皆様と共に、
悠仁様の勇姿!を拝見出来る機会がどんどん増えると思いますね。
本当に待ち望んだお姿です。
ご立派です。
胸がいっぱいになります。
このようなご活躍を見て感じる事、
「皇族」の皆様はかなり早くから年齢がお若くても単独活動にいそしんでおられると言うことです。
お姉様もご両親も、宮家の皆様も、相応にお一人でもちゃんと「仕事」(あえてこう申します)をなさる毎日なのです。
いい歳で内容がスカスカの仕事しか来ないアレとアレとアレ。
どんなに威張っても元から能力的に無理で、公務と言う仕事が出来ぬのでしょう。
早く早く、一日も早く、日本と世界の為には正統の天皇陛下、皇后陛下をいただき、悠仁様が皇太子におなりあそばすべきと思います。
携帯の速報ニュースで知ったのですが、アラアラアラ〜と(笑)
海風はお寒かったでしょうに、涼し気な凛としたお顔が尊いです。
市長さんのとても力を入れてのご案内が伝わってきます。
日本の為に戦った方々と今日は帰るかと我が子や旦那様、兄や弟友人を待つ方々の思いを重く受け止められたと拝察致しました。
悠仁親王殿下には[先の大戦]という言葉を使って欲しくないです。
悠仁様の感性でこれから多くのお言葉を話して頂きたいです。
こんなにもご立派な親王殿下がいらっしゃるのに、アイコテンノーなんて良く言えるなと改めて思いますよ。
私的訪問ですと?なら団子トリオのぶらぶら撮影会はお楽しみ会、遊興だろうと。
まあSNSで、アレラ信者がまた怒りと嫉妬で騒いでますがそんなものは今日の強風で吹き飛ばします。
テレビ大阪の長動画、いいですね。シャッター音が鳴り響く中、学生たちが一生懸命説明し悠仁さまが優雅に頷かれ、質問し「ありがとうございます」と軽く会釈される。なんともいえない清らかな雰囲気は、皇嗣殿下妃殿下の温かさ、佳子様の華やかさと違う悠仁さまの魅力ですね。
港では鴨田市長が寒い中、敬意でコートなしで説明されて同行した女子たちがほんわかした雰囲気なのもよいです。市長の下のお名前は「秋津」だそうで、悠仁さまの研究テーマのトンボの意味でこれまた意味深い。
それにしてもますます荒れ狂うアレラ信者の誹謗中傷にはほんと腹がたちます。
ここまでやられるのは、現人神から人間になり戦争責任を問われた昭和天皇以来ではないでしょうか。
そういう意味でも同じ大きなものを背負った運命の方なんだろうと思います。
せめて学生生活はお友達に恵まれ安全で充実した楽しいものになりますようにと願います。
10,あっぱれさまへ
>復員して一切戦争を語らなかった男には理由があるのです
実家の前には小さな神社があり、その低めの石垣で、復員して来た見知らぬ男性が日がな一日ひなたぼっこしていました。カーキ色の軍服着たまま。母を含むおんなたちは皆、闇市への買い出しなどに奔走して、そんな魂の抜け殻状態の夫や子どもたちを養っていました。
後年「ベトナム戦争から帰国した米兵たちは、発狂したり自タヒしたり、人里離れた山奥に入って仙人暮らしした」との記事読んで「バンザイで送り出された日本兵さんたちも、命からがら帰国したら手のひら返しの世間が待ち構えていて、絶望と虚無感に襲われたのだろう」と、父や日向ぼっこの男性らの心情を、ようやく想像出来たのでした。
>東條靖国合祀復活から昭和天皇は靖国神社参拝をやめてしまう
最大時には9人もの胃袋を膨らませた母が「東条許せん!!」と凄まじい表情で吐き捨てたのを、思い出します。そんな経緯で、昭和天皇は靖国神社参拝おやめになったのですね。
あっぱれさまの博覧強記には、いつも感動させられています。今後も、どうぞよろしくおねがいいたします。
ききょうさま
私の父は大正十四年生まれで召集を受けてます
この男は戦争について黙る男ではなく口癖は「あいつはチョンだ」通名の名字には精通してましたね
戦争に負けた屈辱は八つ当たりにも等しいですが兵隊ですからヒロポン打ち過ぎて少し精神が不安定でした
私の養母は母親が朝鮮系の日本人で沖縄県人の入植者の後妻になり仁川から満州国の今の丹東朝鮮人自治区の出身で満州からの引き上げは愚痴のように聞かされました
この一家の長男が中国共産党に拉致されて思想教育をされ昭和三十年代に帰国して共産党員になってます、東大阪市や八尾市にはそのたぐいの系列の人が沢山いますよ
ま、戦後レジュームからの脱却は言うほど楽じゃなさそうです
私も以前東條英機について言われる通りの思いでしたが、何かを読んだ時(なにかが思い出せなく)誤解していたのではないかと
あやふやで詳しくは書けなくてすみません
さくらさん、
議員の7割以上が日本人でないですね。
日本国民のための政治をやらないわけです。
東條英機については私もまだ勉強不足です。
でも、私的ご訪問ということは秋篠宮家のご負担なのでしょうか。
2017年に「悠仁親王にも是非」と申し出られた職員の方も、お約束をお守りになられた秋篠宮様も素晴らしいと思いました。
一般的な、またアカデミックなご公務は元よりですが、このような地方の地味な場所へのご訪問にはさらに大きな意義があります。
恥ずかしながら、関西出身の私は舞鶴港が引き揚げ者を受け入れていたという事を知りませんでした。本当に恥ずかしいです。今度実家に戻ったら是非記念館を訪れたいと思っています。また、高校生のボランティアが対応しているのを見て、若い世代に歴史が引き継がれていることも心強く思いました。写真をみた瞬間に「若っ」と若さのパワーがこっちに反射して来ました。将来の天皇であられる親王と高校生達という絵面が、何かの象徴のように感じられ、希望が湧きました。
誹謗中傷しか書かないと思っていたYahooニュースで、「悠仁様はこれまでも先の大戦の記憶に向き合われて来た」とあり、私も幼い悠仁さまが秋篠宮様と一緒に献花されている映像を思い浮かべました。折に触れてご両親から「教育」を受けて来られています。これからのご公務が楽しみです。
それにしても、初々しさの中に既に風格をお持ちで、本当に喜ばしく有難い限りです。
満州国朝鮮半島からの引き上げに至る戦後の地獄から単独公務をさせるつもりなんだな
日本兵はロシアによりシベリア抑留により強制労働
満州国入植の日本家族は女子はロシア兵に犯され、少年は毛沢東軍に拉致され思想教育をされ中国人化した日本人として帰国して日本共産党として日本社会に侵食し、乳児は中国共産党人民に育成させ本国日本人の精神に負荷を与え人民を受け入れやすくして人的侵略を始める
朝鮮半島からの引き上げは地獄以下で日本人はほとんど虐殺され引き上げ船に乗っていたのはおぞましくも背乗りした朝鮮人だった
満州国でロシア兵に犯され妊娠した日本人は釜山港から祖国を一目みてから海に身を投げた話もある
気分悪くされた皆様には謝罪しますが、復員して一切戦争を語らなかった男には理由があるのです
本土も地獄だったでしょうが、死ぬ思いで復員して浴びせられた屈辱的な言葉もあったのです
生きて帰ることで復員兵に唾を吐く言葉をためらわない現実もあった
戦争に負けることは民族が滅びることなんですよ
だから昭和天皇は講和の機会を逃さぬように東條に確約させたが東條は身内を庇い本当の戦果を上奏しなかったので昭和天皇は東條を叱責した
講和の機会を失った帝国軍は「本土決戦一億総玉砕」を掲げる
天皇の苦悩煩悶は日本を残すために無条件降伏を許諾する
東條靖国合祀復活から昭和天皇は靖国神社参拝をやめてしまう
舞鶴への引き揚げについて、断片的にしか知りませんでした。悠仁親王殿下とremmikkiさまのおかげで、詳しく知ることが出来ました。ありがとうございます。
わたしの父は二度だったか三度だったか召集され、幸い帰国することが出来ました。母は「父さん、何故か戦争について一言も言ってくれない」と幼いわたしにこぼしましたが、ある日、その父はそんな幼いわたしに、縋りつくような真剣さで「中国南部で行進していたら地元民が牡丹餅を呉れた。嫌われていたら、呉れたりしないよな? な? な?」と尋ねました。が、父の言葉の意味すら全く理解出来無いわたしに返事が出来るわけも無く………。
近年になって想像するに、父は南京に派兵されていたのでは?帰国後「南京大虐殺」がでっち上げられていて、驚愕したのでは? もっと大人になってからでも父の話を聞いておけばよかったと、後悔しています。そんな父も舞鶴港から帰国したのかもと思うと、貴記事が格別に貴く思われます。本当にありがとうございます。
これこそが真の「帝王教育」ですよねぇ。夕方遅くにドタ出して、休館日の施設で足元の印に頼って”家族写真”を撮るのが天皇家と擁護派にとっての「帝王教育」なんですかねー。
涙雨に迎えられた悠仁親王殿下。
一方、硫黄島は「天皇皇后が慰問予定」と発表されたとたん、拒絶するかのように噴火しました。ビビリの雅子妃「行くの、や、やめたい」と今頃、行かぬ言い訳必死に考えて居たりして。硫黄島には馬は居ないのよ、雅子皇后陛下w
cocoさん、
加冠の儀の日程はまだ発表されてませんよね?
大学の休みを利用してになるでしょう。
これからは悠仁さまの”初めて”シリーズですね。
こちらの方が楽しみです。
あおいさん、
招待されたのに私的旅行扱いはおかしいですね。
立派なご公務です。
marikoさん、
Yahoo知恵袋と見ると、
「1945年の第二次大戦に日本が敗戦するまでは朝鮮半島は日本でした。 朝鮮人も日本国籍だったわけです。 そして森山幹事長の父親は、戦前に朝鮮半島から日本の鹿児島へ来られたようです。 そして日本女性と結婚されたものと思われます」
「驚く事ではありません 自民党は帰化2世〜4世 野党は帰化現役 国会議員は日本人の方が少ないんじゃないかと思われますね。 余談ですが・・・・ ルーツが外国でない生粋の日本人はなかなか総理になれない」とあります。
国会議員のほとんどはチョウセンジンがルーツではないですかね。
小泉純一郎のルーツもそうです。
出自の確認なしに国会議員になることを禁止してほしいです。
日本にも二重国籍が問題となったレンホーがいましたが、問題にもされません。
マタコのルーツもチョウセンジンです。
ラビさん、
私的訪問でも立派なご公務です。
下天一家の方が私的鑑賞を公務にカウントしてます。
池上彰も大嘘付きです。
アイボンが40数回も公務なんかしてませんよ。
彼もアイコを天皇に推し、皇統を潰す派ですね。
リボンさん、
悠仁さま、舞鶴引き揚げ記念館を訪問され、的確なコメントされて受け入れ側も嬉しかったことでしょう。
ご立派な公務と思われますが、私的訪問とされるのはあちらへのご遠慮かもしれませんね。
メギィーさん、
将来の天皇陛下の風格が感じられる悠仁さまですね。
ナルは足元にも及びません、アイコも同じ、比較にもならないです。
早く次代になってほしいです。
ききょうさん、
お父様は戦争では中国にいらしたのですね。
何も語らなかった、語れなかったのでしょうか。
「地元民が牡丹餅を呉れた。嫌われていたら、呉れたりしないよな」
その一言で今ならわかりますね。
「南京大虐殺」のでっち上げ、ひどいです。
私の亡くなった父も満州でした。幸い終戦の年の4月に日本に呼び戻されたのでシベリア送りにならずに済み、私も生まれました。満州の話し、もうちょっと長生きしてくれたら聞くことができたかも。
涙雨に迎えられた悠仁親王殿下でしたね。
今回思いがげず、戦争に纏わる皆様のご家族のお話を伺う事ができ
とても心を打たれました。
特に、キキョウさんのお父様の最後の「な?な?な?」
に思わず目頭が熱くなりました。
あっぱれさんが書いておられたのは事実、それもほんの一部、もっと恐ろしく醜く残酷な「非人間的」な事が公然と行われるのが「戦争」なんでしょう。口をつぐむしかないのでしょう。精神を病んでしまわれる方もいるのですから。
その先生きていくには「奥へ奥へ押し込んで無理やり忘れる」しかないのだと思います。お父様が幼いキキョウさんに言ったのは、幼い子供だったから、そして我が子だから、言う事が出来た奇跡のような一瞬だったと思います。キキョウさんはその時たとえキョトンとしていたとしても、お父様には「そうだよ、お父さん」お答えになっていたのだと思います。お父様はちょっとだけ風穴を開ける事が出来たのではないでしょうか。キキョウさんが、その時は分からなくても。きちんと受け止められていると言う事が答えです。
「な?な?な?」が私にも響いています。
Remmikkiさん
このような場を頂いていることに
改めて感謝いたします。
それと、早速引き揚げ船受け入れ港の情報を送っていただきありがとうございました。
電気うなぎさん、
お祖母さまも戦後ロシア人から娘たちを守るのに必死だったのですね。
現地人がロシア人にチクったのですか。やはり半島人を信用できなくなります。
引き揚げにそんなにお金がかかったのですか。
お金がなければ祖国に帰ることもできなかったということ?
当時の政府が無料で帰国させたのかと思ってました。
srbさん、
そうですね、思いがけず皆さまのご家族の戦争体験を聞くことが出来ました。
心が打たれます。
ききょうさんのお父様の「な?な?な?」は今ならわかります。
醜く残酷な「非人間的」な事が公然と行われるのが「戦争」なんですね。
生きていくには、「奥へ奥へ押し込んで無理やり忘れる」しかない、そういうことですね。
皆さまとこういうお話ができるのもこの場があるからですね。
私も感謝です。
悠仁親王殿下の健やかなお姿を拝見することができとてもホッとします。
お一人で立派にご公務を果たされ、18歳とはとても思えないような落ち着いた物腰で、それでいて可愛らしさも垣間見え、将来の天皇陛下の風格が十分に感じられます。
窮屈なお仕事をしてくださってありがたい気持ちと申しわけなささが混在します。
ご自分のお好きなことも十分に堪能されることを願っています。
ナルなんて悠仁様の足元にも及びません。
無能で愚かなマタコアイコには早く消えてもらいたいです。本当にマジで!!
こちらの記事、感動いたしました。
特に8分半にわたる大阪ニュースの動画。語り部の方々、高校生なのですか。ご案内の手の差し出し方など、悠仁さまをお迎えすべく完璧にリハーサルされた様子がうかがえます。
悠仁さまも当然歴史を理解され、的確なコメントをされて、説明員の方々も嬉しかったでしょうね。舞鶴というと漁港のイメージしかなかったのですが、とても勉強になりました。
桟橋でもみぞれが降る中、熱心に説明を聞かれているお姿は秋篠宮殿下にそっくりでした。隣の女子の方が満足げに何度も悠仁さまを笑顔で見上げていらしたのが可愛くて!こんな素朴で教養のある方とお付き合いくださればいいのにな、とふと思いました。
このようなご立派な国民との触れ合いを、公務ではなく私的訪問とされるのは、あちら様にご遠慮されてのことなのでしょうか。
>>悠仁さまも当然歴史を理解され、的確なコメントをされて
本当に歴史を理解されているのであれば引き上げ船の乗り心地等といった質問はされないと思います。
私的訪問も結構ですがそのような時間があるのであれば早く成年会見をされたらよいのにと思います。
大室啓さん、
乗り心地という質問をされていたのですか。
まだ経験も浅い高校生ですから、そんな揚げ足取るなら、天皇夫妻の毎度くだらない質問の方に突っ込みいれたらどうですか?
成年会見?加冠の儀のことですか?
コーゴーの体調の波で出るか出ないかわからないから日程が決まらないのです。
さっさとやれ、と天皇夫妻の方に宮内庁を通して文句言ったらどうですか?
アイボンのようにパパママの公務にただくっついていって、ボーーーーっと鑑賞や観戦をするよりもずっとご立派なご公務に見えますよ。
去年、反日ジャーナリストの池上彰がアイボンの公務が年に四十数回あったとホラを吹いていましたが、御料牧場でのタケノコ掘りや、那須動物王国でラクダに乗ったのも公務としてカウントしたのかもしれません。
レジャーと公務の区別はちゃんとつけて欲しいですね。池上はアイボン天皇派ですから、強引な擁護やアゲ褒めはお手の物です。
悠仁さまはこれからますます素晴らしいご公務を重ねられ、ご立派な皇太子殿下、そして天皇陛下になられるでしょう。
愛子さんは小室圭よりだらしなくて強欲でブッサイクな男性の元に降嫁して、夫婦喧嘩とトラブルばかりの素敵な家庭を築いて頂きたいです。
それを隠して国会議員になり、日本を売り渡そうとしている国賊だと言うこと。
自分の出自を隠すために、夫婦別姓とか言って戸籍制度を壊すことを、急いでいるとか。
スパイ防止法も、だからなかなか作れない。
出自の確認なしに国会議員になれるのは、日本だけだとか。
まだまだ国会議員の中に日本人じゃない奴が大勢混ざっているとか。
オーストラリアでは国会議員が、二重国籍だったことがバレて罷免されたそう。それだもの、女系天皇だの、女性宮家だのって言うのも理解できますね。
天皇になられるのは、悠仁様だけですよ!!
色々なことが最近一気に暴露されてきて、愛子が将来天皇よ、私は皇太后よとルンルンだった雅子も真っ青ですね。
議員の7割り以上は日本人ではないて聞きます
加冠の儀が楽しみです
記念館から招待されての訪問ならこれは公務ですよね。気まぐれドタ出鑑賞が公務で、招待されたのに私的旅行扱いなんておかしいです
早速の記事アップをありがとうございます。
加冠の儀は来月ではないかもしれませんが、大学生になったら、長い休みには宿泊を伴うご公務もされるのでしょう。
留学はもちろんのこと、海外からも招かれそうですよね。これからは悠仁さまの初めてシリーズで、本当に楽しみです。