徳島この日の気温は30度、暑い!真夏並み!
お宮参りの前にこの由緒ある神社にまつわる話を先にします。
この神社の近くには第一次世界大戦で青島で戦い、投降したドイツ兵1000人が収容された坂東俘虜収容所があったところ。
神社の近くに捕虜たちが作った眼鏡橋がある。
故郷を思い出して作ったそうだ。
この収容所については10年前に当ブログに書いてあり、その由緒ある場所にある神社に孫のお宮参りとは不思議な縁を感じてしまった。
2014/5/19
板東俘虜収容所 松江豊寿大佐
https://remmikki.livedoor.blog/archives/2014-05-19.html
この収容所所長が立派な方で、松江豊寿氏。
「武士の情け」として俘虜を扱うように訓示した松江豊寿大佐、板東俘虜収容所所長。
1914年7月に第一次世界大戦が勃発。青島の戦いで日本軍に降伏したドイツ軍俘虜は、徳島や大阪など全国12ヶ所の収容所へ振り分けられたという。俘虜たちが徳島俘虜収容所に収容された時の感動的な話を紹介する。
まずは動画をどうぞ。
徳島県板野郡坂東町(現、鳴門市大麻町)から始まる物語:
松江豊寿氏、会津藩の子として生を受けた。
「降伏人、俘虜というものがどんなに悲しいものか幼心に深く刻み込まれた。
武士の情け、これを根幹として俘虜を取り扱いたい。
武士の情けだ、わかってくれるかね。」
国旗の重み 板東俘虜収容所 第一話 (8:52)
大麻比古神社のことが出てきます(4:26〜)
坂東郡大麻町1967年には鳴門市に合併された。
国旗の重み 板東俘虜収容所 エピローグ
(10:40)
ブログには上記第二話までしか掲載していない。
第三話は以下です:
誕生した「」エンゲル音楽教室」で学ぶ四国全土から集まる若者たち、バイオリンを習って日本初の第九が演奏された、ドイツ人だけでなくこの音楽教室で学んだ日本人の若者も含まれていた。
国旗の重み 〜板東俘虜収容所 第三話〜
(7:54)
https://www.youtube.com/watch?v=T4zl3498vp4&list=PL65525ACCEE68673F&index=2
この動画を観て感動した。
ぜひご覧いただきたい。
板東俘虜収容所跡
https://www.city.naruto.tokushima.jp/promotion/bunkazai/bando_furyo_shuyojo.html
(1)遺跡の立地と現状
板東俘虜収容所跡は、徳島県北東部の鳴門市内西部に所在し、香川県との間で東西にのびる阿讃山地南麓の南側に開けた扇状地上に位置する。収容所跡の現状は、陸軍用地を引き継いだ国有地(財務省所管)を鳴門市が無償貸与されて整備した収容所跡地の記念公園(鳴門市ドイツ村公園)が大半を占め、その他は山林・畑・ため池・公衆用道路・民間宅地により構成される。一部で原地形の改変があるものの遺構の遺存状態はおおむね良好で、鳴門市教育委員会では、平成19〜23年度に、遺跡の状況を把握するための確認調査を実施した。


ドイツ兵が作ったという眼鏡橋












私がこの男信用ならないと言ったのは後藤田正純氏で,現徳島県知事のことです。
でもremmikkiさんが質問されたのは、正純氏の大叔父後藤田正晴のことだったのですね_(._.)_
正晴氏は「カミソリの後藤田」と言われるくらいピシッとした辣腕の政治家と言われていましたよね。
正純氏のような頼りない悪評は聞いたことありません。
徳島と縁があるのも、大叔父の正晴氏のおかげです。