きょう久しぶりに東京地裁へ行ってきた。知り合いの裁判があり、傍聴席に座っての支援活動である。 傍聴席はほぼうずまるほどだった。この裁判に参加する人たちの話を聞くとほとんどの人たちが裁判経験者なのだが、裁判官に失望している人たちや弁護士にだまされたという人たちばかりである。
裁判所は正義を追求してくれる庶民の最後の砦と思ったら大間違い。裁判官は権力志向である、ということを聞かされる。
無力な個人が大きな組織や国を訴えてもほとんど勝ち目はない。それにひとりの裁判官は200件もの案件をかかえている。だから個々の人たちは一生に一度の命をかけた裁判を起こしているのに、きょう聞いた年配の女性が言うにはひじをついてつまらなそうに聞いていた裁判官がいた、携帯で写真を撮って証拠にしたい、と思うほどだと。裁判所では撮影は禁止だから写真を撮ることは不可能なのだが。
千葉地裁で知り合った人は大手の建設会社にだまされて数十万円というたいした金額ではないがそれを取り戻すために3年間争ったが、勝っても金額が少ないため、弁護士もついてくれず、本人訴訟(弁護士を立てず、ひとりで争うこと)で闘ったが、結局敗訴。裁判所は正しいことを認めてくれない、と失望感で無気力となった。裁判を経験するとほんとうにこの国はこれでいいのか、という疑問がわいてくる。
弁護士にだまされる人も多い。弁護士を何人も替えた、という人も。こんなことを聞くと司法の世界も政界や財界と同じように腐っている、と思う。弱者を助ける最後の砦とならない裁判所に失望感でいっぱいだ。
裁判所は正義を追求してくれる庶民の最後の砦と思ったら大間違い。裁判官は権力志向である、ということを聞かされる。
無力な個人が大きな組織や国を訴えてもほとんど勝ち目はない。それにひとりの裁判官は200件もの案件をかかえている。だから個々の人たちは一生に一度の命をかけた裁判を起こしているのに、きょう聞いた年配の女性が言うにはひじをついてつまらなそうに聞いていた裁判官がいた、携帯で写真を撮って証拠にしたい、と思うほどだと。裁判所では撮影は禁止だから写真を撮ることは不可能なのだが。
千葉地裁で知り合った人は大手の建設会社にだまされて数十万円というたいした金額ではないがそれを取り戻すために3年間争ったが、勝っても金額が少ないため、弁護士もついてくれず、本人訴訟(弁護士を立てず、ひとりで争うこと)で闘ったが、結局敗訴。裁判所は正しいことを認めてくれない、と失望感で無気力となった。裁判を経験するとほんとうにこの国はこれでいいのか、という疑問がわいてくる。
弁護士にだまされる人も多い。弁護士を何人も替えた、という人も。こんなことを聞くと司法の世界も政界や財界と同じように腐っている、と思う。弱者を助ける最後の砦とならない裁判所に失望感でいっぱいだ。
きょうブログ更新お読みになっておわかりのように昨日は裁判所でした。きょうも夕方別の方の裁判です。
2009年に書いた裁判所のことお読みになったのですね。そう、裁判所というところは裁判をしたことのない人にはおわかりにならないでしょうけど、正義を証明できる最後のよりどころでないのが真実ですね。多くの人が裁判を経験して打ちのめされています。それが実態です。
精神的にきつい状態とのこと、こちらにお散歩にきて愚痴をこぼしてくださいませ。お力になれないかもしれませんが、聞くことくらいはできますよ!