このところ数十年のおつきあいのある海外の友人たちが次々と亡くなられている。1970年代アメリカにいた頃からの友人たちだから当然年も取ってきている。いつまでも元気に交流できると思っていたけど、確実に年を取り、天国に召されていく。

不思議な縁で始まった友人もいた。十数年前私は都心にある外資系企業に勤めていた。今は多いが子育てしながら働くママの走りであった。当時洋服など買いに行く時間もないため、海外通販でよく買い物をしていた。買い物した内容の封書が送られてきた時、不思議なことにもう一通の封書が私宛ての封書に張り付いてきた。剥がしてみたらスイスにいる女性宛だった。通販会社へ送り返すと時間もかかると思い、手紙をつけて封書にあった住所へ送ってあげた。しばらくすると本人からお礼の手紙が届き、日本の人と友人になりたい、と書かれてあり、そこから手紙による交流が始まった。クリスマスにはお互いにカードとプレゼントの交換などもした。写真も送られてきた。美しい30代の女性だった。アイルランド出身で結婚しているが子供はいない、本の著作もあり、ハリウッド映画の脚本も書いているという。それを聞いてぜひ本を読みたいし、映画も教えて!と頼んだが、私とは彼女の世界とは違う交流をしたい、とのことでペンネームも脚本家ネームも教えてもらえなかった。そのうち教えてもらえるだろうと思っていた。

その後ご主人の仕事の関係でアメリカワシントンDCへ転居した。その頃に私は子供たちを連れて妹と妹のふたりの子供と一緒に休暇を利用してバハマとフロリダ州のディズニーワールドのあるオーランドへ行った。その旅行計画を手紙に書くと彼女はワシントンから私たち家族に会いにきてくれた。同じホテルに泊まり、数日間一緒に過ごした。小柄な美人な女性だった。私たち一家を夕食にごちそうしてくださった時出したカードがプラチナカードでびっくりした。豊かな生活をしていることが伺えた。

楽しく過ごして別れ、また手紙による交流が始まった。その後ワシントンからバンクーバーへ転居したという。バンクーバーへ転居してから突然手紙が来なくなった。私が子供たちを連れてカナダビクトリアに住む友人宅を訪れた知らせをして、ぜひバンクーバーで会いたいと書いたが、返事はなかった。お土産も持参していたが渡すことはかなわなかった。それ以来10年も経つがまったく音沙汰ない。彼女は亡くなったのでは?と思う。出した手紙は戻ってこない、ということは届いていること。でもご主人は知らせてもこない。不思議な出会いと不思議な別れだった。